東方紅楼夢4新刊『六花ノ子守歌』試し読み


※Web上で読みやすくするため、改行などは書籍版とは異なっています。


   ***


 見渡す限り一面の銀世界。昨夜降った大雪で、秋から移ろいつつあった季節は、完全に冬の様相を現した。
 落ち葉が積もった腐葉土も、すっかり葉が落ちきった枯れ木々も、どこもかしこも白粉を塗りたくった肌のように真っ白だ。
 白以外に見えるのは、薄く雲がかった空色だけで、そこから降り注ぐ陽の光は、その白さをいっそう際立たせている。

 そんな白い幻想郷の中でも、よりいっそうの白さを際立たせている場所があった。
 その場所に名前などない。
 もっと言うと無いのは名前だけではない。本当に何もないのだ。
 山奥にぽっかりと空いた平地。一本も木は生えておらず、春と夏は青々とした草が生い茂っているだけの場所で、
 秋は周囲から舞い散った落ち葉が積もって赤い絨毯を作り出す。
 そんな何もない空間に雪が降ればどうなるか。考えるまでもない。

 混じりっけなど全くない、一面の白、白、白――――

 その白い空間のちょうど中心に、何をするでもなく、一人の少女が立ち尽くしていた。
 肌を刺すような冷たい北風が吹き付けても、身震い一つせず、波打った色素の薄い髪を揺らすだけ。
 その表情は揺れる髪に阻まれて周囲からは殆ど見ることができない。
 唯一覗くことのできる口元も横一文字に結ばれていて、そこから感情を読み取ることは難しい。

「―――ぃ」

 その時、近くに誰かが居たとしても、聞こえるかどうかという程度の微かな囁きが少女の唇から漏れ出でた。
 その囁きは一迅の北風によって掻き消されてしまい、しかも少女は再び口を硬く噤んでしまったために、
 その言葉が一体何を意味していたのかを知ることはできない。
 しかしその風によって前髪が巻き上がり、少女の瞳が露わになる。
 風になびく色素の薄い髪、青い双眸に映る感情の色。


 それは美しいと思えるほどに透明な、哀しみの色だった。


   ***


「抜き足差し足忍び足……抜き足差し足忍び足……」
「や、やっぱりやめようよ。ばれたら怒られちゃうよ」
「いまさら何言ってんの! ここで逃げたら妖精の名が廃るわよ!」
「廃らない、廃らないよ。ここでばれたら、それこそ妖精の名が廃るような目に遭わされちゃうよ」

 そんな会話が茂みの中で繰り広げられている。どちらも小声で話しているつもりなのだろうけど、
 言い合いに夢中になるあまり、お互いの声が大きくなっていることに気がついていない。
 そんな間の抜けたことをするのは、自分たちでも名乗っているとおり、幻想郷の中でも妖精族くらいなものだ。
 というか自分たちが妖精であることを大 声でばらしているあたりが、もうどうしようもない。
 茂みの中に隠れているつもりの妖精二人。それぞれチルノと大妖精という名称で周囲からは認知されている。
 ちなみに大妖精にも、チルノ同様ちゃんとした名前があったりするのだが「大妖精」の愛称の方がよく使われている内に、
 自分でも本当の名前がわからなくなってしまっている。
 さて、話は戻って、一体この二人は茂みに隠れて何をしているというのか。(もはや隠れ切れてはいないが)

「だって、昨日も一昨日も真っ正面から勝負したら負けたのよ? だから今日はこうやって頭を使って、後ろから不意打ちを食らわせるの」
「でもそれで失敗したら、もっと痛い目に遭わされるんじゃ」
「だ〜か〜らぁ、大妖精は心配しすぎなんだってば。失敗なんて考えたって仕方ないじゃん。そもそも失敗なんかしなきゃ良いんだから」

 それはなんだか正論に聞こえるかもしれないが、ただの暴論である。
 チルノよりも少しだけ落ち着きを持っている大妖精は、ここにいることが気が気ではない。
 それはチルノが失敗したら、チルノが痛い目に遭わされるのが心配という友達への思いやりだけでなく、
 自分までとばっちりを受けかねないという私利的な思考からきている。
 そんな大妖精の心配など露とも気にせず、チルノは茂みの向こうにいるターゲットに照準を定めていた。
 二人――実際はチルノだけだが――は、今ある妖怪にちょっかいを出そうとしている。そしてあわよくば勝利をもぎ取ってやろうとすら考えてるのだ。
 しかし、妖精程度の力で勝てる妖怪など探す方が難しい。それだけ幻想郷のパワーバランスにおける妖精の位置づけは低い。
 ただしそれは極々一般的な妖精に言えることで、このチルノという妖精は、他の妖精にはない強い妖力を持ち合わせている。
 それ故に自分よりも強い相手にちょっかいを出したがる悪癖が付いたとも考えられるが。

「今日こそはぎゃふんと言わせてやるんだから」
「昨日と一昨日はチルノちゃんが言わされたもんね」
「うるさいなぁっ、今日こそは、“二度あることは仏の顔も三度までの正直”なんだからっ」

 「三度」の付く諺を並べ立てて、今の自分の本気を示そうとしているようだが、そもそも意味の異なる言葉をくっつけてしまったことで、
 わけのわからない言葉になってしまっている。
 しかし本気であるという意気込みだけは大妖精にも伝わったようだ。

「わかった。頑張ってね」
「うんっ」

 親友の激励を受けて、チルノはさらにやる気を出す。その隣で、じりじりと後ずさる親友の姿には気づきもせずに。

「よしっ、今だーっ!」

 隙を窺ってはみたものの、いつが隙なのかわからないから、とりあえず突っこむという、隠れていたことの意味を真っ向から玉砕する行動に出たチルノ。
 しかし思い切りだけは良いスタートを切った。速度がある上、怖いものを知らない性格。
 そこに彼女の能力である冷気が加わることで、ただの突進でも威力は相当のものに変わる。普通の人間程度なら大怪我を負うに違いない。
 それを知ってか知らずかチルノは自信に満ち満ちた雄叫びをあげた。

「うりゃあーっ、今日こそあんたにぎゃふんと言わせ――――ぎゃふんっ!?」

 あえなく、というか当たり前のように玉砕。
 不意を突ければ、もしかすると痛手の一つくらい、負わせることもできたかもしれない。
 けれどあれだけ大声で話していれば、姿が見えていなくても相手には丸わかりだ。
 その上、単調にも程がある攻撃なら予測などしていなくても、気づくのが早ければ避けて反撃に転じることは容易い。
 脳天にげんこつ一撃を食らわされたチルノは、そのまま雪の上に勢いよく突っこんで、ごろごろずしゃあ! と、ものの見事にずっ転げた。

「三十七回目……」

 チルノの足を引っかけた妖怪は呆れた様子で、とある数字を口にした。

「あにすんのよぉっ!」
「とりあえず口の中の雪を吐いたら? いくら綺麗でもバイ菌がいないわけじゃないんだから。
 まぁバイ菌程度でお腹壊すほど、ヤワな体でもないかもしれないわね」
「ペッペッ、うぅ〜っ……」

 皮肉を言われた怒りと、先程受けた屈辱への悔しさと、口に入った雪の鬱陶しさに顔を歪めるチルノ。
 そんな尻餅をついたままふくれっ面を浮かべるチルノに、相手の妖怪は見下すような視線を向けた。その視線がチルノの神経をさらに逆なでする。
 パウダースノーのようにふわふわとした色素の薄い髪を肩口まで伸ばし、冬とは思えない薄手の衣装を身に纏う少女。
 かろうじて、風にたなびく白いマントが防寒具に見えなくもないが、はっきり言ってその効果は皆無に等しいだろう。

「レティのくせに生意気よっ」

 チルノが吠えたところで、レティと呼ばれた妖怪の少女に、動じる様子はまったくない。
 子犬が人間の大人にどれだけ吠えたところで、なんの威嚇にもならないのと同じ光景だ。

「あのねぇ、いくら物覚えが悪いからって、一昨日よりも前のことを片っ端から忘れないの。私にぎゃふんと言わせるって、一体何回こうしたら気が済むの」

 さっき彼女が言った “三十七 ”という数字は、今年に入ってチルノがぎゃふんと言わせようと彼女にちょっかいを出しに来た回数。
 そして、チルノが返り討ちにあって「ぎゃふん」と言わされた回数でもある。

「そんなの、あんたにぎゃふんと言わせるまでに決まってるじゃない!」
「言ったら言ったで、すぐ忘れてまた同じことを繰り返すくせに」
「そんなことないもん! あたしは勝ったことだけは絶対に忘れないもん」
「自分にとって都合の良いことだけ覚えていられるのね。妖精らしいったらありゃしない」
「そう、あたしは妖精の中の妖精! 言うなれば妖精オブ妖精!」
「褒めてない。そしてあなたの言ってることの意味が分からない」

 ぎゃいぎゃいと騒ぐチルノに対して、レティは至って冷静に言葉を返す。
 その言葉の刺々しさから、彼女がチルノをあまり快く思っていないことが窺える。

「私も暇じゃないのよ。こうして動けるのは冬の間だけなんだから。あなたみたいなお間抜けさんの相手ばかりしていたら、せっかくの冬が終わってしまうわ」
「むかつくことばっかり言ってくれるわねっ。せっかくあたしが、退屈そうなあんたの冬を面白可笑しくしてやろうって来てあげてるのに」
「私にぎゃふんと言わせるために来たんじゃなかったの」
「それはそれ、これはこれよ」

 あくまでも自分本位にしか話をしないチルノに、レティは深い溜息を吐く。
 こうやってチルノと無為な口論を繰り広げるのは最早日常茶飯事といっても過言ではない。
 レティは冬にしか活動しない、所謂雪女と同種の妖怪だ。
 冬以外の季節に何をしているのかはさておき、活動期間が限られるため、その間にやりたいことはやってしまう必要がある。
 しかしこうしてほぼ毎日のように、チルノにつきまとわれては、そういったことに手が回らない。溜息の百や二百、吐きたくもなるというものだ。

「私に勝てないのはあなたもよくわかっているでしょ。例え記憶に残っていなくても、経験がそれを覚えているはずよ。
 冬が来る度に私に戦いを挑んでは、あっさり負ける。何回繰り返したら気が済むの」
「無論勝つまで!」

 当然といえば当然の返答に、レティはがっくりと肩を落とす。
 しかし再び顔を上げたとき、そこには呆れとか苦笑などでは済まされない、見るものを凍てつかせるほどの殺気を漂わせた、氷のような無表情があった。



「だったら、勝つとか負けるとか……考えられなくしてあげましょうか?」



〜続きは完成品で〜


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