博麗神社例大祭6新刊『天体万華鏡−本詰妖精 弐−』試し読み

※Web上で読みやすくするため、改行などは書籍版とは異なっています。


『弥生の月、八日

 この日記を付け始めてから大体三ヶ月が過ぎた。最初は三日も持たないってバカにしていた二人も、今はそんなことを言ったりしない。
 それもそのはず。だって今の二人はそれどころじゃない。
 まったく、ひとまずこの件は落ち着いたから良かったものの、下手したら私たち光の三妖精は解散していたところだ。
 それにしても今回の事件はいったいなんだったのかしら……。あの妖怪の差し金なのは間違いないと思うけど。
 これはきちんと記録を読み返して考えてみた方が良いかもしれないわね。またこんなことが起きて、また東奔西走させられるのはこりごりだわ。
 それに……私もサニーやルナと別れたくはないしね。
 そもそもの始まりは、私がこの日記を付けようと思った切っ掛けになった、あの夜のこと。
 ……違うか、一番の始まりはその日の昼間に起きた、私たちにとっては些細で取るに足らないはずの日常茶飯事。

 そう、人里で起きたあの悪戯―――― 』



   ◎◇☆◇◎


 人々の往来が激しい真昼の人里。行き交う人は皆、一様に忙しなく自らの仕事に従事しこの平和な時間を謳歌している。
 今日も今日とて見事な日本晴れ。雲一つ無い快晴に、彼らの心も自然と軽やかになるというものだ。誰も、この平和が崩れるなど疑いもしていないだろう。
 しかし恒久的にも思えるこの平穏を、今にも崩さんとする者達が、すでに里に放たれていた。
 
「ふっふっふ……今日の作戦は完璧よ」
「さすがサニーね。これでしばらく甘いものには困らないわ」
「甘いものだけじゃなくて、私は珈琲も欲しいわね」

 物陰から人里の様子を窺う三つの影。
 赤・青・白にくっきりと分かれたトリコロールの衣装を身につけた小柄な体。透き通るシルクのような、いやそれよりもっと薄く透明感のある羽を生やした姿。
 一見すればただの子供にも見えなくはないが、彼女達も立派に人外の種に属する、幻想郷の得意な住民達だ。
 幻想郷に暮らす種の中でも、特に数多く存在する者達――妖精族。中でも妖精にしては良い頭と優れた能力を持った者達が居る。
 何を隠そう、この物陰から覗く三対の眼、その主達こそが光の三妖精と呼ばれる三人組の妖精である。

「珈琲といい、ふうき味噌といい、なんであんな苦いのが好きなのよ」

 縦に並んだ三つの頭の一番下。ツインテールに縛った頭を揺らしているのは三匹のリーダー格、サニーミルク。仲間内ではサニーと呼ばれる日の光の妖精だ。
 彼女達の悪戯の大半は、このサニーミルクによって考えられている。
 今日も、人里で食料を掠め取ろうという提案も、最初の一声を放ったのは彼女だった。

「あら、珈琲は私も好きよ? 挽き立ての淹れ立てを、甘いお菓子と一緒に頂くのは絶品だわ」
「はいはい。どうせ私は甘いものしか食べないですよーだ」

 むくれるサニーの言葉を受けても涼しい表情を崩さないのは、三つ頭の一番上にいる長い黒髪の妖精――スターサファイアである。
 掴み所のない性格で、他の二人が酷い目に遭っている時に一人だけちゃっかり逃げ延びていたりするしたたかさを秘めた、ある意味一番やっかいな性格をしている。

「ちょっと! 上から下からうるさいわよ」

 溜め息混じりに怒気を孕んだ声が、赤と青のリボンに挟まれた所から発せられた。
 上からのしかかられ、下からは賑々しい声に苛まれてはいい気もしない。溜め息の一つや二つ、吐きたくなっても仕方ないだろう。

「もぅ、せっかく悪戯のために人里まで出向いたんだから、もっと楽しまないと」
「そうね。ムスッとしてたら、せっかくの機会も見逃しかねないわよ。ただでさえ、ルナはぼーっとしてるんだから」
「ぼーっとなんてしてないわよ。それに私が怒った原因はルナとスターがうるさいからじゃない」

 ツンとそっぽを向いて、ルナと呼ばれた妖精は口を閉じた。
 どうせ主導権を握るのはいつもサニーだし、スターはおいしい所を持って行くだけ持って行く。
 真っ向からやりあって勝てるはずがないのは、長年の付き合いから身に染みて理解しているため、ルナは無駄な反撃はしない。

「ま、良いわ。それよりそろそろ作戦決行よ」

 この程度の些細な諍い事は日常茶飯事。ルナがそうであるように、サニーもスターもこの程度でやる気がなくなるわけがない。
 ひとまず言い争いは止めにして、まずは当初の目的を果たそうとサニーは二人の下から這い出て立ち上がった。

「良い? 今日の目的を確認するわよ?」

 今、三人がいる場所を再確認しておこう。
 妖怪と人間が共存する幻想郷。ここは人間達が集まり、生活を営む人間の里である。さらに三人が居るのは、その里の中でも往来の激しい日中の商店街だ。
 至る所から景気のよい声が飛び交い、左を向けば焼き鳥の香ばしい香りが漂い、右を向けば迷子の子供が泣いていたりする。
 中には人間とも理解のある妖怪の姿も見受けられるが、その殆どは人間という中、三匹の妖精の姿ははっきり言って浮いている。
 それにさっきからわいわいがやがやと騒いでいるから、注目されていて当然……と思いきや、誰も彼女達に見向きもしていない。

「そろそろ日用雑貨が無くなってきたからね。今日は各自必要なものを調達すること。まずはここの食料品店で調味料とか手に入れるわよ」

 ルナ達からの異論は――無し。
 必要なものは必要だし、今の生活のグレードを下げたいとはスターもルナも思っていない。
 沈黙を肯定と受け取って、サニーは満足げに頷いた。
 そのすぐ横を店の主人が陳列のために通り過ぎる。
 どう考えてもこの場には不釣り合いな連中が、不釣り合いにも程がある話をしているというのに、
 やはり彼も振り向くことはなく、入ってきた客に人の良い営業スマイルを向けるのみだ。

 誰も彼女達を意識しないのは、何も不思議なことじゃない。
 三人には、人間達には持ち得ない特殊な能力が備わっているのだ。

 日の光を司り、その光の屈折を操ることによって視界を操ることのできるサニーミルク。
 月の光を司り、夜の静けさを生み出すことのできるルナチャイルド。
 星の光を司り、無数の星が見下ろすように、生き物の気配を感じ取れるスターサファイア。

“見つからない ”という点においては、妖怪といえども彼女達と並び立てる者はそう多くない。
 こんな店先で泥棒談義を繰り広げようとも、姿も声も感じられなければそこには何もないのと同じこと。
 ぶつかりでもしない限り、そこに何かがあることに気づけない。仮にちょっとぶつかった程度では、店先に並んだ雑貨に膝をぶつけた程度と勘違いで通り過ぎてしまうだろう。
 そんなわけだから、三人は堂々としたもので、悠々と店内を物色して歩いていた。

「ねぇ、お塩はまだあったかしら?」
「さぁ? 胡椒はこの間爆弾を作るのに使っちゃったけど」
「その時に間違えて塩を使ってなかったっけ? サニーが」
「なっ!? あ、あれは表記の仕方が悪いのよ。『あじ塩胡椒』なんて付いてるから」
「相手を美味しくしてどうするのよ。私たちは人間なんて食べないし。とりあえず持って帰りましょ。要るときには要るものなんだし」
「それもそうね」

 会話だけ聞けば、他の買い物客と何ら大差ない。
 しかし、決定的に違うのはめぼしいが見つかったら、それを躊躇うことなく準備してきた風呂敷包みや鞄に放り込んでいることだ。
 もちろん持ち合わせなんかないし、あっても会計を通ることなく出口を通りすぎる。
 そうしてゆっくりと泥棒をやり遂げた三匹は食料品店を後にした。

 その後も花屋や金物店、衣料店などを廻り、片っ端から必要なものを手に入れた三匹。
 そして最後にやって来たのは里一番の酒蔵だった。ここでは日本酒から焼酎、洋酒まで様々な酒を取り扱い、幻想郷に住む者達の嗜好を満たしている。
 里に出入りする妖怪達も御用達にする程で、その品質はお墨付きだ。
 だから、三匹も酒を手に入れるなら、最初の食料品店ではなくここにしようと決めていた。

「清酒はこれから寒くなるし必要よね」
「麦酒は?」
「葡萄酒も良いわよ」

 あれやこれやと自分の好みを好き勝手に話しては、巨大な酒蔵を物色する。
 ひょいひょいと目に付いた酒瓶を手にとっては背中の荷入れにしまい込む三人。
 しかし、ここに来るまでに色んなものを持ちすぎた。
 酒瓶は小柄な妖精には中々の重量があるし、ガラス瓶は割れやすい。

 そんな要素が重なり合って、その事故は起こってしまった。

「ほらルナ。いつまで悩んでるのよ」
「待って。ワインは年代で味が大きく変わるんだから。折角なら美味しいのを持って帰りたいじゃない」

 他の二人が決め終えているというのに、ルナだけが未だ吟味を続けている。
 どうせここが最後だし、どれだけゆっくりしていようと見つかりっこないのだから構わない。
 ――が、それとこれとは話が別で、待たされすぎて苛々させられるのはサニーには我慢しがたいことだった。

「もうっ、いい加減にしなさいよね! もう帰るわよ?」

 いい加減にしびれをきらして、サニーはルナを急がせた。
 その口調にサニーの苛々を感じ取り、このままだと本当に置いてきぼりにされかねないと、
 ルナは仕方なく幾つか目星を付けておいた瓶の中から一本を取りだしそれを抱えて、小走りに駆け寄った。
 その時である。

「ぅえっ!?」

 意識がサニーに急かされていることに向いてしまっていたためか、はたまたドジッ子属性の本領発揮か。
 ルナは足下に置かれていた酒瓶の存在に露程も気づかず蹴躓き、そして盛大に足をもつらせた。

「わっ、わっ、わっ……!」
「ちょ、ちょっ、タンマタンマタンマっ!」

 重い荷物を背負って慌てて走り出した上、蹴躓いてバランスを崩したままこちらへ向かって来るルナに、サニーは止まるように大声を張り上げる。
 しかしルナの体は体制を持ち直そうと、その場で止まることを許さない。重心が覚束ない足取りで緩やかに加速を続け、そして――

「あ〜ぁ〜あ〜……」

 まったく何をしてるんだと言わんばかりにスターの口からは落胆と呆れのこもった声が漏れる。
 彼女の目の前にはぶつかった衝撃で目を回している妖精が二人。そして勢い余ってぶつかった棚からは色取り取りの酒瓶が転がり落ち、次々と派手な音を立てた。
 スターはすぐにこの次に訪れる危機にいち早く気づき、まだ二人の意識が戻っていないというのにその場から逃げ出した。
 一番危険に敏感な仲間が去ったことも気づかず、未だ焦点の合わない視点を互いに向け合いながら、
 二匹は状況がどうなっているかも考えずにただ衝動に促されるまま言い争いを始めてしまう。

「もぉ〜、なんでそんなに鈍くさいのよ」
「私だって好きで転ぶわけじゃないわ」
「好きで転んでたらどうしようもないわね」
「だから違うって言ってるでしょうっ!」
「あー、盛り上がってる所悪いんだがな」
「「何よっ!」」

 同時に振り向かれた首は、同時に同じものを瞳に映し、そして同時に固まった。
 それはこちらが見えていないはずの人間達が世にも恐ろしい形相でこちらをにらみ見下ろしてくるという恐怖の光景。
 どうやら先ほどの衝突で、二匹ともうっかり能力を解いてしまったらしい。
 こうなることをいち早く察知したスターは、人間達がやってくる気配を感じてさっさと逃げたというわけだ。

「その背中に背負ってるのは、うちの酒だよなぁ?」
「どうするつもりだい? この悪戯妖精どもが」

 こうなってしまっては今更消えたところで逃げ道を絶たれてアウトだ。
 妖精達の特集な能力は人間達にとっては驚異だが、その能力がなくなれば妖精など小さな子供と同じ。
 相手が人外であっても、その対象が畏れるに足らないものであれば、人間達も臆す様子を欠片も見せない。

「さぁて、どうしてやろうか」
「とりあえず盗んだ酒は返してもらうぞ」

 日頃の仕事で鍛え抜かれた大男の手がサニー達に伸ばされる。しかしサニーもルナも、ここで易々と捕まり、せっかくの獲物を奪い返されるわけにはいかない。
 彼女達とて修羅場を潜り抜けてきた回数では誰にも負けない自信がある。

「ルナっ!」
「わかってるわよっ」

 二人はその小さな体躯を活かして、男達の股座を潜って絶体絶命の危機を脱出した。
 そのままかろうじて塞がれていない入り口へと一目散に走り抜けようと試みる。
 すでに勝ち誇っていた人間達は思いの外すばしっこい妖精達の動きに反応がワンテンポ遅れ、その首根っこをつかむことはできなかった。
 これなら逃げ切れる――二匹がそう思った矢先だった。

「あっ!」

 先ほどルナの足下をすくった酒瓶。それがまたしても彼女の行く手を阻んだ。
 ここで転んでしまったら今度こそ捕まってしまう。
 バランスを崩し、為す術もなく傾いていく自分の体に半ば諦め、ルナは転んだときの衝撃に備えてギュッと目をつむった。
 だがその時はいっこうに訪れず、代わりにルナが感じたのは強く手を掴まれ引っ張られる感触。

「まさか二度も同じことをするなんて、思ってもなかったわよ!」
「サニー?」

 目蓋を開くと、腕をつかんでいたのは先頭を走っていたサニーだった。
 てっきり先に逃げてしまったものとばかり思っていたのだが、どうやらそんな白状な奴はスターだけだったようだ。
 それはいつものことなのだが、もう少し仲間を助けてくれても良いと思う。

「ルナの背中にもいろいろ必要なものが入ってるんだからっ。ここで取り戻されたら台無しだわ」
「……そういうことね」

 走りながら、少し残念そうな溜め息を吐くルナ。
 しかし今はそんな感傷に浸っている時間は微塵もない。
 二人はなんとかすんでの所で酒蔵から逃げ出し、住処としている森へと脱兎の如く逃げ帰ったのだった。
 そんな妖精達にしてやられた人間達は、口々に愚痴をこぼしその後ろ姿を忌々しげに見つめていた。
 その彼らの中に、一人だけ。まったく周囲とは異なる反応を見せる者が居た。
 日傘を差し、スミレ色の衣装に身を包んだ美しい女性。悠然とした態度で烏合の衆に近づくと、白いシルクの手袋を付けた人差し指で一人の従業員の方をつつく。

「なんだか騒がしいですわね。何かあったんですの?」

 話しかけられた従業員の男は振り返るとその美しさに一瞬息を呑み、直後その女性が上得意様であることに気がつき頭を下げる。

「これはこれは。ご自分で来られるとはお珍しい」
「挨拶は構いませんわ。それより……」
「あ、ああ。実はなんともお恥ずかしい話ながら妖精に一杯食わされましてね。なんとか年代物のワインだけは取り返したのですが……」

 あの一瞬で、ルナの手は掴めなかったものの、男はルナが抱えていた葡萄酒の瓶だけはなんとか取り戻すことに成功していたようだ。
 女性はその葡萄酒に目を落としながら同情の言葉をかける。

「あらあら、それはとんだ災難でしたわね」
「えぇまったくです。それで今日は何をご所望で?」
「それじゃあ、その取り返したという年代物のワインを戴ける?」
「え? これですか? お取り替えできますが……わかりました。すぐにお包みいたしますので、しばらくお待ちくだせぇ」

 そう言って奥へ向かっていく従業員。しかし彼女の目はまったく別の方向を見つめていた。
 それは先ほど二匹の悪戯妖精が去っていった方向。
 そして彼女の口元には、何やら得体の知れない、低い空で嗤う下弦の月のような怪しさが浮かんでいた。


   ◎◇☆◇◎


『師走の月、三日

 日記、というものを書いてみる。人間達にとっては自己を見つめ直すための手段みたいだけど、私達妖精は自己を見つめ直す必要なんてあまり無い。
 だけど、あの妖怪が言ったように、私達妖精は昔のことを蔑ろにしすぎているかもしれない。
 だから私はこうして日記を書くことでそれをどうにかしようと思う。
 ルナは……いったいどうするつもりなんだろう。あの妖怪に言われたこと、されたこと――気にならないはずがないわよね。
 このことはサニーに言うべきかしら。あの子はあの子で色々問題を抱えてるようだし。
 はぁ、悩める二人の間に立ってる私も苦労させられるわ。まったく、これだから共同生活ってのは大変ね。
 でも――私は自分で選んでここにいるんだから、その場所を自分のために守るのは、当たり前と言えば当たり前か

 ……日記って、こんなもので良いのかしら』



※これ以降は本編で。


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