第一話 北風+太陽=大迷惑


 虚無という名の深淵の闇。
 何処まで続いてるのか、それともすでに行き止まりなのか。
 それすら分からない、上も下も左も右も無い、本当に何もないその場所に、彼女は居た。

 此処≠ノは彼女の他には誰もいない。

 しかし彼女は孤独と静寂の中、ただ眠り続けるだけ。 
 どんな夢を見ているのか。
 閉じられた彼女の目尻には涙の粒が光っていた。

   ***

 かつて灼熱地獄として機能していた場所に建つ、西洋風の館――地霊殿。
 主である古明地姉妹と、彼女らに飼われている多くのペット達が住むこの館で屍体(燃料)の運搬を任されている火焔猫燐は、いつものように猫車を使って灼熱地獄へと続く道を軽快に駆け抜けていた。
 地底の奥のさらに下。かつては罪を犯した人間がその魂に背負った業を払うために、骨まで熔ける猛火に焼かれては生き返り、焼かれては生き返りを繰り返していた地獄。
 しかし今となっては、その面影もなく怨霊が飛び交う、ただ他よりも暑い程度の場所になっている。その熱の調整を任されているのが、お燐達のような古明地さとりのペットなのだ。
 ただひたすらに屍体を集め、運び、そして燃やす。時に天窓を開き、熱を逃がすだけの単調な仕事。
 退屈だが、平和な生活。人々が考える地獄とは明らかに異なる暮らしがここにはあった。
 しかし最近、この地底は久しぶりに地上と繋がった。
 その要因は実は自分達にあるのだが、火焔猫燐――通称、お燐はそうは考えていない。
 活発化した間欠泉に乗せて怨霊を地上へ解き放ったのは自分だが、そもそも灼熱地獄の活性化を促したのは、自分の友であり、そして本を正せばその友に不用意な力を与えた二柱の神が原因なのだ。
 その一件はひとまず収束し、今はもうお燐も、彼女の友も以前と変わらぬ生活を送っている。
 変わったと言えば、その友の仕事が増え、その関係で地上に出向くことが多くなったということくらいか。
 次第に暑さが増していくのを肌で感じながら、お燐は猫車を持つ両手に力を込める。
 今日は確か『めんてなんす』とかの関係で、地上に出向くことになっていたはずだ。
 友はとても忘れっぽい性格をしているから、自分が教えてあげないと、まだ準備もせずにのうのうとしているかもしれない。
 霊烏路空。通称、おくう。
 その身に持て余すほどの力――八咫烏をその身に取り込んだ地獄鴉である。
 しかし、どれほど強大な力を得ようと鴉は鴉。忘れやすい鳥頭は変わらない。
「おくう〜。燃料運んできたわよ」
 後はこれをさっさと燃やして、灼熱地獄の温度を上げるだけ……のはずだったのだが。
 静けさに満ちた灼熱地獄跡は、薄暗くそれほど暑くもない。
 熱源の中心である、地獄の炉は稼働しておらず、もう一つの熱源たるおくうの姿はどこにもない。
「おくう?」
 再度呼びかけてみるが、友の声は返ってこない。
 まさか、とお燐はある可能性を考える。
 そして猫車をほっぽり出すと、本来の姿――赤毛の混じった黒猫へと変化し、この事を主に気付かれる前に解決しようと、地上へと続く縦穴を目指して走っていった。

   ***

 お燐が地底で友の不在に気付いたのと同時刻、その遙か頭上に位置する妖怪の山の頂上に立つ守矢神社に、当の空本人の姿があった。
 境内の石畳の中心に立ち、何やら不服そうな表情を浮かべている。
 長く伸ばした髪が熱の所為でごわごわになっていることよりも、空にとっては許し難い事が突き付けられているからだ。
「嫌だ」
 唇を尖らせて、率直簡潔に自身の言い分を述べる空。
 その矛先が向く先には、この神社に住まう二柱の神の一柱、かつて土着神として人々から信仰を集めていた洩矢諏訪子が居た。
 こちらも空に負けず劣らずの苛立った表情で、腰に両手を当てて毅然とした態度で立っている。
 背丈で言えば空の方が随分高いが、それでも負けじと対峙している姿は、どこか微笑ましくもある。
 が、実際の所はそんな和やかなムードではない。
「嫌だ嫌だって、そんな無理が通るわけないでしょうがっ」
「だって嫌なものは嫌なんだもの! 何さ、勝手なことばかり言って」
 お互いに一歩も譲らず、自身の主張を曲げようとしない。
 何か切っ掛けがあればすぐにでも争いになっておかしくない、一触即発の険悪なやり取りを、二人から離れた位置で眺めている者達が居た。
 どうにも気が気でなく、ハラハラとした様子で事の成り行きを心配しているのは、この神社の風祝、現人神の東風谷早苗である。
 その隣でどこか楽しげに傍観を決め込んでいるのは、諏訪子と並んでこの神社を納める神、八坂神奈子だ。
「神奈子様、止めなくて良いんですか」
「大丈夫よ。それにこれはあの子にとっても大事なこと。無理を貫いたところで、道理は崩せない」
 今にも爆発しそうな諏訪子と空の空気を肌で感じ、早苗は何とかこの場を穏便に収束できないものかと、隣の神奈子に助けを求める。
 しかし神奈子は余裕ぶった態度で、達観した言葉を返すだけだ。
 神である神奈子がそう言うのだから、と早苗も何とか手を出さずに見守ってきたが、どうにもそうなる様子がない。
 むしろ二人の剣呑さは増す一方にしか見えない。
「それにしても、諏訪子様はどうして突然あんなことを言い出したのでしょうか」
「あんなことって、さっき諏訪子があの鴉に言ったことかい?」
「えぇ。しばらくの間、八咫烏の力を封印するって。そんことをしたら、折角の神の力を使うことができなくなってしまいますよ」
 太陽の化身、金烏とも呼ばれる八咫烏を取り込んだ空は、その神の火を自分のものとして使うことができる。
 核融合を操る程度の能力。
 これを用いることで、幻想郷には新たなエネルギー源が生まれ、河童達の科学も飛躍的な進歩を遂げた。
 急激な進歩はバランスを崩しかねないが、バランサーである大妖怪達が今のところ何も言っていないことから察するに、そこまでの問題が生じたりはしていないようだ。
 だが、ここにきてその力を与えた本人達が、何故かそれを封印すると言い出したのである。
「強すぎる力は、知らずの内にその身を侵す。地獄鴉という一妖怪に過ぎない存在に、神である八咫烏の力は巨大すぎるからね。まぁガス抜きみたいなもんだよ」
「はぁ……それならそうと説明してあげれば、あの鴉も納得するのでは?」
「あの子は八咫烏の力を大層気に入っているようだ。それに一度、暴走しかけた前科もある。取り上げられたら、二度と戻して貰えないとでも考えているのかもしれない」
 そんな風に空の精神状態を分析する神奈子達を余所に、当の本人達のやり取りはますますヒートアップしていく。
「ぜぇ〜ったいに! 私は力を封印されたりしないからねっ」
「……言っても分からないようだね。だったら、こっちにも考えがあるわ」
 諏訪子は静かに呟くとその両手に、かつて諏訪大戦で猛威を振るった、鉄の輪を取り出した。
 その輪から発せられる気を感じ取った空もまた、右手に填めた制御棒を振りかざす。
 完全に臨戦態勢に入ってしまった二人を見て、いよいよこれは危険と察知した早苗は、なんとか神奈子に止めてもらおうと懇願する。
「神奈子様、あれはやばいですって! どうにかして下さいよぅ」
 だがしかし、神奈子はいたって不遜な態度を崩さないまま、むしろ状況はより面白くなったと言わんばかりの笑みを漏らす。
「こうなることくらい予測済みだ。なぁに、どれだけあの鴉が強かろうと、所詮は神の力を得てその真似事をしているに過ぎない。本物の神である諏訪子には到底適わないさ。それより何? まさか早苗は諏訪子が負けるとでも思ってるの?」
「そういうわけでは……ただ、あの二人が本気でやり合ったら、神社が壊れてしまうかもしれないじゃないですか」
「ああなるほど。そういうことか。だったら、神社に関しては私が結界を張っておこう。それなら問題ないだろう?」
 神奈子はそう言うや、左手を天に向かってかざした。
 するとその神気に呼ばれて、どこからともなく六本の巨大な柱が飛んできて、神社の周囲に突き刺さる。
 それは六角形を成し、また六芒星を形作る。これによって神社は二種類の結界によって守られることになった。
 これで早苗の心配事は一つ解決したのだが、どうしても早苗は自身の心に渦巻く、嫌な予感が拭いきれずにいた。
「神具、『洩矢の鉄の輪』っ!」
「そんな輪投げなんて、叩っ切ってやるわ! ハイテンションブレードォッ!」
 諏訪子が投げつけた巨大化した鉄の輪は、空の制御棒から放たれた光熱の剣によってなぎ払われる。
 しかし諏訪子はすでに次なる手を打っていた。
 左右に延ばした手を、胸の前でその平を合わせ打ち鳴らす。
 それに合わせて大地から現れた巨大な手が、空を挟み込もうと襲い迫る。
 未だ光線を放ち終えたばかり空は、第二射を撃つことができず、先程のように攻撃を攻撃でかき消すことができない。
「あっぶないなぁっ、もおっ」
 空はその背中に湛えた漆黒の翼を広げると、その土の手が届かない上空へと身を躍らせ、紙一重のタイミングでそれを交わした。
 そのまま頭を下にした状態で、視線に映った諏訪子へと照準を定めると、撃ち終えたばかりの制御棒から神の鉄の輪すら溶かした熱線を再び放った。
 逆さになっているため、元より短いスカートの中身がモロ見えになっていたりするのだが、この激戦の中、自分も相手もそんなことを気にしている余裕はない。
 それは外で見ている早苗にしても同等だった。
 息を呑む暇すら与えてくれない激しい攻防に、早苗はただひたすらに諏訪子の勝利と無事を祈るばかり。
 しかし祈りの対称が、神様であるだけに誰に祈れば良いのかという疑問が残る。自身も現人神という、系統的には神様なのだし。
「って、そんなどうでも良いこと考えてる暇は無いわ。諏訪子様、頑張って!」
 もはや傍観者である自分にできるのは、祈ること、そして応援だけ。
 せめて奇跡を起こす程度の能力≠フ加護をエールに乗せて、諏訪子の追い風くらいになれればと。
 だが、奇跡とはなんぞや。
 言うまでもなく、常識では考えられないような出来事。既知の自然法則を超越した不可思議な現象。起こるはずのないことが起きることを言う。
 早苗の能力とは、意図的にその奇跡を起こすことができるというものだ。
 しかし彼女は目の前の心配に固執するあまり、ある重大なミスを犯していた。直前に交わしたばかりの会話の内容だというのに。
「コレで一気に吹っ飛ばす! 爆符『メガフレア』!」
「しまっ!? ……あーうーっ!」
 その小さな体躯が爆風に飛ばされて宙を舞う。
 あれだけの大言壮語を口にしていた神奈子も、その光景を目の当たりにしては余裕を消さざるを得ない。
 空の力は凄まじいが、諏訪子には適わないという確信があった。
「有り得ない。諏訪子があんな鴉に負けちゃうなんて……ん、有り得ない?」
「神奈子様っ! 諏訪子様がっ」
「早苗……あんた、まさか……」
「え?」
 駆け寄ってきた早苗を見て、神奈子はもしやと考える。
 本来なら負ける可能性などない戦い。それがひっくり返る事態など、まず起こりえない。起こったとしたら、それは奇跡だ。
 そしてここには、その奇跡を現実のものにできる唯一の人物が居る。
 早苗は諏訪子への応援に集中するがあまり、自身の能力の本質的な部分を見落としてしまっていたのだ。
「ん、なんか知らないけど、勝ったのは確かみたいね」
 吹っ飛ばされた諏訪子、その結末に慌てる神奈子と早苗。
 それを見つめていた空は、どうやら戦闘は終了し、逃げるなら今が絶好の機会と考え、その場から飛び去っていってしまった。
 その姿を見つめつつ、今は逃げた鴉よりもやられてしまった諏訪子が大事と、早苗は飛ばされ倒れたままぴくりとも動かない諏訪子の元へと走った。
「諏訪子様っ、諏訪子様っ」
「う〜んんん……」
 どうやら気絶しているだけのようだ。
 咄嗟に防御に転じたのが功を奏したのだろう、諏訪子の体には目立った外傷は見あたらない。
 ホッと胸を撫でおろした早苗だったが、しかしその目にある違和感が残る。
「こ、これは……っ」
 諏訪子の体には傷こそ無かったが、そこにはあるべきものがなくなってしまっていたのである。


続きは本編で

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