『本詰妖精 壱』おまけページ
このページに来られたと言うことは、『本詰妖精 壱』をお手に取っていただいたのでしょう。
ありがとうございます。ここは、その感謝を形にするために用意したおまけページです。
『友達の居場所』の裏側に隠された物語。
作中では明記していなかった、過去の新太がどうなったのかをつづりました。
本当は作中に入れる予定の話でしたが、チルノの話であることを押し出すためにカットした物です。
ですが、これも大事な話のパーツ。なので、おまけという形で披露させていただくことにしました。
それではどうぞ。
【それはどこまでも純粋な】
細い月明かりが木々の合間から差し込み、かろうじて獣道を照らしている。
踏みならされた草の上を、ただひたすらに走る足音だけが聞こえる森の中。
その足音を立てているのは、どこにでもいるただの人間の子供。
丑三つ時にもなろうというこの時分、物の怪の縄張りである森の中を一人で走っている。
彼が走ってきた道には、まるで目印のように点々と赤い軌跡が残されていた。
衣服の肩口部が破れ、そこから覗く健康的な肌は無惨に食いちぎられ、真っ赤な血を滴らせている。
どこから見ても普通でないことは一目瞭然だし、早く治療しなければ命が危ういのも明白だ。
しかし、周囲に少年以外の生き物の姿はない。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
呼吸はとても苦しげだが、彼は走ること以外を知らないかのように足を動かし続けている。
時折後ろを振り返っては、夜の帳が広がっているのを見て少しだけ安堵の表情を浮かべるものの、すぐにまた走り出す。
止まれば二度と動けない。
そしそていずれ血の跡と臭いを頼りに、“常闇の口”が追ってくる。
そうなれば、肩の肉だけでなく全身を食い尽くされてしまうことだろう。
少年にはそれが分かっていた。
だからどれだけ血が流れる傷が痛くても、体力が限界を迎えても止まらずに走り続けているのだ。
こんな事になるなんて思っていなかった。
彼には仲良しの男の子と女の子がいた。
二人ともまるで兄のように彼を慕い、彼もまたそんな二人を本当の弟や妹のように可愛がっていた。
そんな彼らには秘密の遊び場があった。
崖の側に立つ廃屋。今はもう誰も住んでいないその場所を、彼らは秘密基地として使っていたのだ。
なんとも子供らしい遊びの一つ。
少年は今日もその秘密基地で、二人が来るのを待っていた。
今日は何をして遊ぼうかと玩具箱を開けてあれやこれやと考えを巡らせる。
運動は得意だけど頭を使うのは苦手な太彦。
女の子らしく飯事が好きな沙耶。
だけど、どんな遊びでも二人はとても楽しそうに遊んでいる。
少年は二人のそんな顔を見るのが何よりも嬉しかった。
一人っ子で、親はいつも畑仕事。
二人と遊ぶようになるまでは、退屈で寂しい毎日を送っていた少年。
だから二人の存在は、少年にとってかけがえのないものなのだ。
どうもおかしいと少年が思い始めたのは、だいぶ日が西に傾き始めた頃だった。
どれだけ待っても、二人がやって来る気配は一向にない。
後で行くからと言っていたが、ここまで遅くなるなんてことはまずありえない。
少年は心配になって、ひとまず里に戻ることにした。
里に戻った彼を待っていたのは、あわただしく駆け回る大人達の姿だった。
仕事で忙しいという風には見えない。
その中に両親の姿を見つけ、少年は何があったのかを聞こうとした。
だがその前に、母親に抱きすくめられてしまう。
「あぁ、お前は無事だったんだね。あの子達とよく遊んでいるから、お前まで……お前までっ」
少年はされるがままに抱きしめられていたが、なんのことらさっぱり分からない。
母親はついに泣き出してしまう始末で、ひれでは聞き出そうにも聞き出せない。
その騒ぎを聞きつけて父親が戻ってきてくれたのが救いだった。
少年は一体何があったのかをようやく聞くことが出来た。
しかし、父親の口から発せられた言葉は、にわかには信じられないものだった。
「お前と仲の良い、太彦と沙耶ちゃんな。もしかしたら妖怪に喰われたかもしれん」
少年が尋ねた後、二人は昼食を食べ出掛けていったという。
大人達はてっきり少年の元へ向かったものとばかり思っていたが、木こりが持ち帰った話で事態が急転する。
この里に伝わる“常闇の口”と呼ばれる妖怪の話。
薄暗い森の中には、そこに入ってきた人間を喰う妖怪が住んでいて、油断しているとその餌食に遭うというよくある話。
しかしそれは御伽噺ではなく、実際に居る。だからこそ、里の人間は余程のことがない限りその森には近づかないようにしている。
その問題の森の入り口付近で、太彦と沙耶の姿を見たと言うのだ。
そしてこの時間になっても帰ってこない。
それどころか遊び相手の少年が帰ってきたことで、悪い可能性はさらに上がってしまった。
少年は父親が呼び止めるのも聞かずに、母親の腕を振り解くと一目散に走り出した。
あの二人が妖怪に喰われたなんて、そんなことがあるはずがない。
二人はきっと、あの秘密基地に居るはずだ。
だって、後で行くと、そう言ったのだから。それは彼らの間で交わされた約束。
今までその約束が破られたことはない。
だから、きっとあそこに戻れば、太彦と沙耶が自分を待っているはずなのだ。
「太彦っ! 沙耶っ!」
勢いよく穴の空いた戸口を開く。
茅の隙間から月の光が差し込む室内を見渡し、二人が居ないかを確かめる。
しかし、姿どころか誰かが居るという気配すら感じられない。
少年は力ない様子で部屋に座り込むと、ぽつりと呟いた。
「喰われた……二人が妖怪に喰われた……」
そんなことあるはずがないと、ずっと言い聞かせるように呟き続ける少年。
他には誰もいない廃屋の中、涙混じりの声だけが響き渡る。
やがてその涙声は啜り泣く嗚咽に代わり、言葉すら失われていった。
どれだけそうしていたことだろう。
すでに外は真っ暗な夜の姿に変わり、空には満月が浮かんでいた。
泣くこともやめて茫然自失としていた少年は、そのうっすらと浮かび上がる室内にぼんやりとした視線をさまよわせていた。
室内のどこを見ても、二人と遊んだ思い出が詰まっている。
色々なシーンがまぶたに浮かんでは、蜃気楼のように消えてしまう。
楽しいはずの思い出が、今は思い出す度に胸を締め付けられる。
それでも意識は彼らを信じろと言わんばかりに、二人との思い出を浮かび上げてくるのだ。
「太彦……沙耶……」
幾度も二人との思い出を思い返す内に、少年の中に再び希望が灯り始める。
里の大人達は、“常闇の口”が住むという森の側で二人を見たというだけで、何も二人が食べられた形跡を見たわけではない。
帰りが遅く、どこを探しても居ないからそう懸念して探しているだけなのだ。
そう、まだ決めつけるのは早計というもの。
希望はそれを大きくする要素が少しでもあれば、どんどん大きくすることができる。
いつしか少年は秘密基地を飛び出し、すっかり暗くなった夜の中を走るまでに気力を回復させていた。
向かう先は里ではない。
“常闇の口”が巣くう森へと。
二人の消息をその眼で確かめるために、少年は月明かりを頼りに走り続けた。
それが――――こんな事になるなんて。
妖怪の住む森も、秘密基地がある森と変わり映えする森ではなかった。
空気が違うわけでも、おどろおどろしい植物が生えているわけでもなく、ただひたすらに静かな森だった。
だから油断がなかったわけじゃない。
それでも、「ソレ」はいつの間にか背後に現れて、気づいたときにはもうすでに手遅れだった。
ふと何者かの気配を感じ少年が振り返ると、そこには光すら飲み込む闇があった。
声を上げるより早く、視界が、体が闇に飲み込まれてしまう。
逃げようも一体どっちが道なのかすらわからない。
混乱と戸惑いで頭の中がいっぱいな少年だったが、その思考は肩に走った激痛によって支配されてしまった。
最初は何が起こったのかすら、分からなかった。
ぞぶりと、違和感が走ったかと思うと、肩が熱くなりそして今まで体感したことのない苦痛を感じたのだ。
思わず絶叫する少年。
無我夢中で転げ回り、痛みにのたうち回る。
そのうちに再び月光の下に脱出することが出来たが、その刹那、彼は自身の肩の肉を食いちぎられている光景を見せつけられてしまった。
その瞬間、少年はこの闇こそが“常闇の口”であることを理解した。
そう判断するやいなや、彼は痛みも忘れて思わず口走っていた。
「お、いっ! お前は二人の子供を喰ったのかっ」
常闇の口と話が出来るかなど考えている余裕はない。
だがもしこの言葉に応えてくれれば、二人の安否が確認できる。
すると少年の思いが通じたのか、その闇の中から拍子抜けするほど可愛らしい声が返ってきたではないか。
「子供を二人も? そんなご馳走食べてないよ」
「ほ、本当かっ」
「でも、今のお肉は美味しかったな〜。もしかしてあなたのお肉?」
「ち、違うっ」
妖怪は子供を喰ってないと言った。
それだけでもうここにいるべき理由は無くなったのだ。
しかし、そう安心すると同時に恐怖と痛みが込み上げてきて、少年はとっさに「違う」と答えて走り出していた。
あそこに止まっていたら、本当に食べられてしまう。
そうなったら意味がないのだ。
また三人で、あの場所で、楽しく遊んで過ごすんだから。
そのためにも自分が生きて帰らなくてはならない。
少年はその一念だけで走り続けていた。
どれだけ肩から血が流れても、もう限界というまでに体力を使い果たしても、彼がその足を止めることはない。
そんな生き延びることだけを考えていた少年の瞳に、あの廃屋が飛び込んできた。
三人の約束の家。
ここまで来ればきっと大丈夫だ。
この辺りで常闇の口を見たという話は聞いたことがない。
もはや限界をとっくに迎えていた肉体は、休みたいと訴えてくる。
少年は三度戸口を開いて、中へと入った。
もしかしてという期待を抱くも、やはり中に二人の姿はない。
しかし二人の無事は確認しているのだ。
もう何も心配することはない。
「良かった……本当に……」
少年は疲れた体を休めようと、煎餅布団を敷いて、その上に横たわった。
途端にどろんとした睡魔が全身を包みこむ。
凄く眠たい。
そうだ、今はもう寝よう。
いずれ日が昇って、朝が来たら、里に戻ろう。きっとみんな心配していることだろう。
父親からはこっぴどく叱られて、母親は心配のあまり大泣きしながら抱きすくめられているところに、太彦と沙耶がやって来る。
そしてお互いの無事を喜び合って、また元の楽しい毎日が戻るのだ。
「だから、今は……もぅ……」
少年は静かに眠りに就くようにまぶたを閉じた。
その口元には幸せそうな笑みを湛えたまま。
しかし、彼が翌日の朝日を迎えることは永遠になかった。
翌朝、里の人間が彼の変わり果てた姿を見つけ、泣きながらそれを持って行き、そしてそこには誰もいなくなった。
しかし誰もいなくなったはずの空間に、その廃屋での一部始終を、ずっと見ている者が居た。
それはこの廃屋の付喪神。
少年達が秘密基地として使う前から、そこにいて自分を捨てた人間達に復讐するため、幻によって取り殺していたのだ。
しかし少年達は毎日のように、訪れ幸せに過ごしてくれた。
それこそ家としての本懐であり、いつしか三人の訪れを心待ちにしていた。
それがこんな最悪の形で終わりを迎えてしまうとは、彼/彼女も予想だにしていなかった。
今、見下ろす先には少年――新太の亡骸が横たわっている。
どこまで純粋に、太彦と沙耶との日々を楽しんでいた彼の存在が、付喪神にはとても大切なものだった。
彼が自分を見つけてくれたから、昔のように人間と共に生きる家として、再び生きていられたのだ。
その彼が今はもう目を覚まさない。
今まで幾度となく、人の命を奪ってきたのだ。死というものはよく知っている。
だから、新太が死んでしまったのだという事実は理解していた。
だが、これではまた自分は家として生きることができなくなってしまう。
いやだ、いやだ。
もうあんな寂しく、荒んだ日々は送りたくない。
新太と太彦と沙耶と共に過ごした、宝石のような日々をずっと続けていたい!
その願いを、付喪神は叶えることに成功する。
自分自身と新太の思い出を重ね合わせて、楽しい毎日だけを繰り返すという幻影を、自分自身に見せ続けるという手段で。
新太がそうであったように、彼/彼女もまた純粋に、その日々を守りたかっただけなのだ。
誰も近づくことのなくなったその廃屋で、毎日繰り広げられる幻想の日々。
その幻想が、ある日突然破られることになる。
ここに居た者達と同じ、どこまでも純粋な心を持った妖精の登場によって――――
《終幕》 そして、『友達の居場所』へ――――
☆後書☆
読んでいただきありがとうございます。
これで『純粋無垢の白昼夢』、『友達の居場所』共々完全に終幕であります。
本編にこれを挟むと、どうしても新太達に比重が掛かりそうだというのも、わかってもらえたかと。
あとぶっちゃけ、本文には挟みづらい回想シーンだったり(ぉぃ)
でもこれでこの話に関しては書きたいことは全部書けました。
ここからは紅楼夢に向けて頑張っていきます。