『天体万華鏡 -本詰妖精 弐-』おまけページ

 いらっしゃいませ。こちらは『天体万華鏡』をご購入いただいた方のためのおまけページとなっております。
 内容は本編より後の話になりますので、できれば本編読了後に来ていただくことをオススメします。

 ちなみに本編の後日談という位置づけですが、サニーとルナのキャッキャッウフフをご期待されてきた方、申し訳ございません。

 ここには妖精一匹出てきやしませんのであしからず。


【乾杯の音頭は誰が為に】


 雲の晴れた夜の空は美しい。
 余ってしまった土産のワインを手酌しながら、妖怪の賢者と呼ばれる大妖怪、八雲紫は思った。
 特にどの星よりも大きく、白く輝く月の輝きはいつ見てもいいものだ。
 その輝きを見ていると、件の妖精のことを思い出す。
 もしかしたら、この場で一緒にこの酒を飲んでいた仲になったかもしれないあの妖精のことを。

「お戻りになっていたんですか」

 そこへ紫の式であり、身近の世話を一手に引き受けている八雲藍がやってきた。
 藍は紫が一人で飲んでいることを見つけると、眉を潜めて小言を呟いた。

「また一人で勝手に飲んで。言いつけてくれましたら、お酌くらいいたしますのに」
「そう思うならいらっしゃいな。今日は夜空がとても綺麗よ」

 紫に促され、藍も澄み渡冬の夜空を見上げる。
 なるほど、確かに改めて見ると今宵の星はよく瞬いているようだ。

「先ほどまであんなに曇っていたのに……」
「そうね、でも曇り空はいつかは晴れるものよ。ここまで見事に晴れるのは珍しいことだけど。
 って、いつまでぼーっとしているつもり? 酌をしてくれるなら早くしてちょうだい」

 慌てて藍は紫の元へ駆け寄り、深緑色のガラス瓶を受け取ると飲みかけのグラスにワインを注いだ。
 しかし、紫は満足していないのかそれに口を付けようとしない。
 藍が怪訝な視線を送っていると、業を煮やしたのか紫は唇をとがらせながら、その理由を口にした。

「ほら、注いだら今度は自分が注いでもらう番でしょ。酌をしてもらうだけなら、右手だけで充分よ」
「でも私はグラスが……」
「はい、どうぞ」

 紫は十八番のスキマからもう一つ、同じ形のグラスを取り出すと藍に手渡した。
 藍はおずおずとそれを受け取り、ワインを満たしてもらう。
 二つのグラスが満たされると、紫は乾杯を求めてそれを藍に向けて傾けた。

「はい、乾杯」
「何に対しての乾杯ですか」
「何だって良いじゃない。……そうね、だったら幻想郷のこれからに乾杯ってことで」

 紫の口からそんな言葉を聞かされると、彼女のことを少なからず知っている者なら胡散臭さを感じてならないだろう。
 だが藍は、その発言に含みを感じて尋ね返す。

「紫様、此度の件は少々お戯れが過ぎたのではございませんか」
「あら、知っていたの」

 紫はさして驚く様子も見せず、口元には笑みすら浮かべながら忠言を聞き流す。
 藍が言っている“此度の件”とは、紫が妖精に力を与え妖怪に変えた“実験”のことである。
 主人のすることだから、と藍は何も言わずに傍観に徹していた。
 妖精を妖怪に変えることがどのような意味を持つのか、あまり効率の良い事だとは思っていなかったが、
 さすがにその妖精と一戦やり合うことになっては一言くらい言わせてもらわないと気が済まない。

「お言葉ですが、わざわざ敵を増やすような真似は、紫様の立場を揺らがせます。
 ただでさえ、最近は外界の神やら地底に封印された妖怪やら、幻想郷のパワーバランスが変化しつつあるのですから」
「そこまでわかっていても、その先が読めないようではまだまだね」

 藍がどれだけ言っても紫に反省の色は浮かばない。
 これ以上乾杯が待てず、グラスを口元に近づけて傾ける。
 その喉が小さく上下する様を、藍は不服そうに見つめていた。
 従者のそんな姿に、紫はクスリと笑いながら再び口を開く。

「確かに、あなたの言うとおり。幻想郷のバランスは今非情に危うくなっています。だからこそ、事前に打つべき手は打っておかなければなりません」

 紫の口調が変わったことに、藍もそれまでの意識を切り替えて姿勢を正す。

「特にあの外から来た神々。地霊殿の一件にも絡んでいたようですし、現在最も気にするべきはあの連中で間違いないでしょう」
「それならどうして妖精なんかを」
「あれは信仰を失ったとはいえ、神。しかもそこらの神よりずっと強力な力を持った者達です。あの注連縄が何よりの証拠……。
 そんな連中と真っ向からぶつかるのは分が悪すぎます。それに、奴等は山の妖怪達をも取り込んでいる。
 下手をしたら天狗と河童の両方を敵に回しかねません」
「なるほど……ですが、それと妖精にどのような関係があるというのですか」
「相手に向けて何もできないのであれば、我々ができるのはこちら側の手札を整えることでしょう?」

 紫はグラスを盆に戻すと、空を見上げて月影を降らす白い円に視線をやった。
 その光は美しくも強く降り注ぎ、夜の種たる妖怪に力を与えてくれる。
 その力を得ようと、一計を講じてみたが結果的には失敗に終わってしまった。
 形だけを見れば、藍が何か言いたくなるのも頷ける。しかし……

「しかし、真に危惧すべきは、バランスが崩れてしまった後の幻想郷です。そうなってしまっては神との争いなど二の次。
 神といえども万能なものはありません。一度崩壊に向かってしまえば、元より儚い均衡をかろうじて保っているこの幻想郷は、
 すぐに衰退、いえ……消滅へと進んでいくことも考えられます」
「まさか……失礼しまた。ですが、そこまでのことを見越して」
「最悪の事態を考えておくのはマイナス思考ではありません。目の前の心配事ばかりに気を取られるなということですわ」

 紫の言う最悪の事態、それは幻想郷の消滅である。
 しかし藍は、その話を聞いても未だそれと今回の一件がどう繋がるかが後一歩理解できずにいた。
 それを知ってか、紫はとくとくと話を続けていく。

「バランスが崩れる際、その異変は末端から徐々に始まっていくもの。この幻想郷で末端に位置するのは……」
「そうか……幻想郷がそのような未曾有の危機を迎えた場合、まず変化が起きるのは妖精達、ということですね」
「ようやく理解したの? ここに来た次点で分かっていて欲しかったことではあるのだけれど」
「うぅ……申し訳ありません」

 しおしおと九つの尾を垂れさせながら、頭を下げる藍。
 だが紫はその頭を叩くでも撫でるでもなく、特に反応を示すこともなくグラスを傾けると、中の液体を全て飲み干した。
 そして催促するように空になったグラスを藍へと向ける。すぐに藍はボトルを手に取り、グラスを満たしていった。
 注がれる赤い液体を見つめながら、紫は無感情に呟きを漏らす。

「妖精の中には、今の段階でもそれなりに厄介な能力や力を持つ者もいる……。それらが、もし均衡が崩れたことで、思わぬ力を手にしたら」
「バランスの崩壊は更に加速することになりますね」
「そうね。それに妖精の変化は、何より自然に多大な影響をもたらすわ。妖怪といえども、自然の猛威の前には時に無力」
「……それで今回の“実験”を行ったわけですね」
「まぁ、面白い式がくみ上げられたから、試しに使ってみたかったというのもあるのだけど」

 紫の言葉に藍は思わずギョッとする。
 この大妖怪は、高尚な事を考えているようで、時に何も考えずに思いつきと好奇心だけで行動するフシがある。
 今回も可能性の一つとして、もしかしたらと思っていたのだが、たった今その一端が垣間見え、藍は気が気ではない。
 その様子を紫は面白がるように口の端を上げると、たった今注いでもらったばかりのワインを一気に飲み干し立ち上がった。

「まぁ、結果は概ね成功よ。所詮妖精は妖精に過ぎない、どれだけ力を得ようと知能が上がろうと、根底が妖精のままでは大した脅威にはなり得ない」
「ですが、それは一匹を相手にしたからでは? もっと多くの妖精が力を付けて反旗を翻すとなったら……」
「藍?」
「は、はい!」

 名前を呼ばれ、藍は思わず緊張した返事を返してしまう。

「この件はひとまず保留で構わないわ、その他にも打てる手があればそれを実行する。それで充分。
 妖精相手に意味もなく時間を取られていては、外界の神にまた先手を打たれてしまうわよ」
「そうですか……わかりました」
「とりあえず、グラスとボトルは片付けておきなさい。良い感じに運動したし、今日は気持ちよく眠れそうね」

 紫はそう言い残すと、寝室へと歩いていった。
 その後ろ姿を見ながら、藍は残されたグラス二つとボトルを盆に載せて立ち上がる。

「それにしても今日は一段と饒舌でしたね」

 すでにこの場にはいない主に向けて、藍は聞こえていないことを前提に話しかける。
 妖精を強い妖怪に変え従えるという計画は失敗したものの、むしろ紫はこうなって良かったと思っているように藍には感じられていた。

「そんなに嬉しい事があったのですか」

 一部始終を飛び飛びでしか把握できていない藍には分かりかねることかもしれない。
 しかし、あの紫の様子を見ている限り、まだまだしばらく幻想郷はこのまま平穏な日々を送っていくのだろう。
 藍はまだ少し肌寒さを感じる風を受け、軽く身震いするとその場を立ち去った。


〈終幕〉


☆コメント☆

 何故紫はルナに近づいたのか、本編ではあまり触れずにあった内容をおまけで晒してみました。
 なんという後付!
 ただ、本編ラストに含むには、雰囲気も流れも合いそうになかったので、位置づけとしては良かったかなと。

 ちなみに、読んでいただいた方の中には、もしかしたらピンと来る人も居るかもしれません。

「もっと多くの妖精が力を付けて反旗を翻すとなったら」というこの台詞。

 かつて私は『妖精大戦争』という小説を書いたのですが、そこに繋がる臭いを敢えて含ませています。
 この話はできればリメイクに挑戦したいと常々思っているので、その為の布石……とか言っておくと格好良くないですか?
 ただし、本詰シリーズの第何弾になるかとかは全然考えてないんですけどね。良いアイデアは浮かんでこないし。
 一つ言えるのは、この表題ですね。本家三月精で使用されていますので、今後リメイクするとなったら別の物にすることは決定です。
 創想話に出したのはずっと前なので、そちらに関しては変える必要性はないんですけどね。

  ***

 何にしても、ひとまず三妖精の内部のいざこざ話という奇特なネタに付き合っていただき、本当にありがとうございました。
 今後も需要があるのかないのか分からないネタを本気で書いていく所存です。
 こんなサークルですが、お付き合いを続けてくださると、とても嬉しく思います。
 次回は夏コミの参加を予定しています。内容の構想も着々と進行中。……落ちてなければ、ね。

 それでは今後も『雨水溜まり』と雨虎をよろしくお願い申し上げます。

2009年3月8日(日)




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