妖精大戦争〈U〉〜奪われた永久の秘宝〜


『紅魔館妖精に襲われる』

 ○月×日、幻想郷でもその名を知らぬ者はいないと言われるほどに名の知れた紅魔館が、謎の妖精軍団によって襲撃されたことが判明した。私が実際に出向いたときには、すでに玄関ホールは全壊し、辺りには傷つき倒れるメイド達の姿が見えた。館内のあちこちに弾幕戦を繰り広げた跡がまざまざと残っており、襲撃の度合いを物語っている。話によると今まで見たこともないほどの数の妖精が襲いかかってきたのだという。
 本来妖精というのは縄張りの外には出ない。それがこのように一致団結して、ある場所を襲撃するというのは幻想郷始まって以来の大事件といえるだろう。このような事件と巡り会えたことに感謝したい。などと言っているとこの館でメイド長として働いている十六夜咲夜(人間)に思い切りたたかれた。ちょうど良かったので、今回の件について話を聞いてみた。
 ――今回のことをどう思われますか。
「突然のことで驚くしかありませんでした。新月の次の日ということでお嬢様達も本領発揮できなかったこともありますが、なにより私達従者の力不足が目立ち、このような結果を招いてしまい残念でなりません。今後はメイド達の戦闘訓練を強化していきますわ」
 あの「完全で瀟洒な従者」の二つ名を持つ十六夜咲夜がやられるとは、ますます相手の得体の知れなさが高まる。
 メイド長の他にも話を聞くことができたので紹介しよう。あの日たまたま本を奪いに来ていた霧雨魔理沙(人間)はこの事件をこう語る。
「まさか妖精が暴れ出すなんてな。しかも本を奪うために紅魔館を襲撃するとは……。まったくもって許すことができない連中だぜ。私? 私は借りてるだけだ」
 どこか間違った認識をしているようだがさておき、この話の中に注目すべき点がある。「本を奪うために紅魔館を襲撃」と魔理沙は話した。つまり妖精達は本を手に入れるために、今回の襲撃事件を起こしたと考えられる。つまり次に襲撃されるとすれば、貴重な蔵書を誇る場所が最もだろう。私が知る中で言えば永遠亭、上白沢慧音(ワーハクタク)氏の庵、白玉楼、霧雨邸、香霖堂、マヨヒガなどが候補と考えられる。この周辺に住むもの、もしくはその家主当人達は充分に注意をしておくべきだろう。

(文責 射命丸 文)


 ☆


 あの事件から一週間が過ぎていた。
 紅魔館が妖精に襲撃された事件はすぐさま天狗ブン屋、射命丸文の手によって号外化され幻想郷中に配られている。
 スカーレット・デビルも落ちたものだと失笑を浮かべる者もいれば、その妖精達がいつ自分たちにも
 危害を加えるかわからないと不安に怯え出す者もいた。
 紅魔館ほど実力者の揃ったものが妖精如きの襲撃を許し、あまつさえ敗北をきしたなど、
 まさか誰も考えたことはなかっただろう。
 紅霧異変のときも、形だけで見れば似たようなものかもしれないが、
 その時とは襲撃者の力も数もまったく異なっている。
 この事件を聞いた者達の中で重要なのは、「紅魔館の住人」が「妖精」に「負けた」ことなのだ。
 博麗の巫女が相手なら、まあそれも仕方ないかと思えるが、誰が妖精に敗北する紅魔館を想像することができようか。


 この事件の報は、とてつもない衝撃となって幻想郷中を響かせ走った。





 人間の郷へ向かう道。
 そこを真剣な面持ちで進む一人の女性がいた。
 ワーハクタクの上白沢慧音だ。
 長い白髪を揺らしながら足早に郷へと向かっている。
 その理由は言わずもがな、今回の紅魔館襲撃事件。
 文々。新聞には自分の家も危険だと書かれていたが、彼女にとって最も危惧すべきは
 妖精達が人里を襲撃しないかどうかの一点であった。
 紅魔館の住人、あのレミリアですら敗北したという相手なのだ。
 何の力も持たない人間達はすぐにやられてしまうだろう。
 そうなる前に、せめて防衛策だけでも各里長達と話しておかなければならない。
 その為の緊急会合を開くために慧音は急いでいるのだ。
 ちょうど郷々の中間に位置する交流地点。
 今日はそこで会合が開かれる予定となっている。
 いてもたってもいられず、今日は早朝から急ぎ出掛けていた。
 おかげで昼前には付くことができそうだ。
 そうこう考えている間に、慧音の視界に郷の姿が広がった。


 幾つかの家屋と田園風景。
 そしてここは各郷の中間地点ということもあり、よく市が開かれている。
 しかしあのような事件のあった後で市など開けるはずもなく、郷は静まりかえっていた。
「人々の活気に溢れた明るい郷だったのに……」
 かつての喧騒溢れる姿を思い出し、変わり果てた今の姿に悲しそうに目を細める。
 他の郷からやってくる行商だけでなく、元々この地に住んでいる人間の姿も見えない。
 皆いつやってくるとも知れぬ妖精の襲撃を恐れ、家に引っ込んでいるのだろう。
 いや、外に出ている者もいた。
 慧音が見つけたのは幼い二人の男の子。
 こんな状況下でも、子供の遊びたい欲は止まることを知らないらしい。
 危ないからお帰り、そう言おうとしたとき、慧音はそこにいるのが子供二人だけではないことに気がついた。
 もう一人、子供達の足下にうずくまっている者の姿が見える。
 子供と同じくらいの背丈。
 着ている服から考えて性別は女性。
 そしてその背に生えているのは、オーロラのような透き通る羽。
 一目で彼女の種族に気付いた慧音は、それと同時にもうと一つの重大なことに気がつく。
 目にもとまらぬ速度で子供達の元まで駆け寄る慧音。
 子供達は突然現れた慧音に驚き腰を抜かしてしまう。
 しかし慧音が手をさしのべたのは、人間の子供ではなくうずくまっていたもう一人の方だった。
「大丈夫か」
 抱き寄せて意識の有無を確認する。
 どうやら気絶しているだけらしく、呼吸は安定していた。
 慧音は彼女が無事であることに安堵すると今度は周囲に視線を向けた。
 そこには強い警戒の色が浮かんでいる。
 そして周囲には何もいないことを確認すると、ようやく大きく息をついた。
 いきなりやってきて様々な表情を見せる慧音に、圧倒されていた子供達。
 しかし彼女が落ち着いたところで、ようやく我に返る。
「なっ、何だよ! ねーちゃんっ」
「そうだよっ」
 たぶん兄弟なのだろう。
 よく似た顔に怒った表情を浮かべて、揃って口を尖らせ抗議する。
 そんな二人に、慧音はすぅ、と息を吸い込み――


「お前達は自分が何をしているのか分かっているのかぁっ!」


 空気がびりびりと震えるかと錯覚するほどの大声で怒鳴る慧音。
 綺麗に整った顔だからか、彼女の怒りの表情が見せる威圧感は凄まじいものがある。
 子供達も思わずビクリと背筋を振るわせ黙ってしまった。
「何をしていたんだ」
 慧音が尋ねても、子供達は答えない。
 きっと答えられなくなっているのだと思われるが、慧音は容赦なく続ける。
「言えないことなのか?」
 まっすぐにこちらを見つめられ、子供二人は今にも泣き出しそうだ。
 などと言っている間に……
「う……うえええぇぇんっ」
 弟の方が泣き出してしまった。
 しかし慧音は慌てるそぶりも見せない。
「泣いて許されることと、そうでないことがある。お前達がやっていたのはそうでないことの方だ」
「だ、だって……そいつは悪い妖精じゃないかっ」
 子供達がやっていたこと。
 それは弱っていた妖精への暴行。
 あの事件をありのままに受け入れた彼等なりに、郷を守ろうとしたのかもしれない。
 だがそれでは根本的な解決にはならないのだ。
 小さな事件はさらに大きな事件を生み出す火種にしかなりはない。
「あなた達はまだわかってない。こんなことをしても、何も解決はしないんだよ」
 先程とは打ってかわって優しく諭す慧音。
 間違いは厳しく正し優しく諭す。
 人間と共に生きる道を選んだ彼女だからこそ、こういうときに正しい接し方ができるのだ。
 子供達も、慧音の言葉を多少は理解したのか、ごめんなさい、と何度も呟きながら家に帰っていった。
「さてと……」
 残った慧音は足下でぐったりとしている妖精を抱えると、人目の付かないところまで運んだ。
 先程の子供のようなことが、また起きないとも限らない。
 慧音が誠に危惧していたのは、さっきのような現場を他の妖精に見られることである。
 紅魔館襲撃後、幻想郷中から妖精の姿が消えた。
 いったいどこで息を潜めているのかわからないが、だからこそどこでその目を光らせているかもわからないのだ。
 もし今の光景を見られていたなら、この郷が次の標的にされてもなんらおかしくはない。
「それにしてもこの妖精はこんな所で何をしていたんだ」
 眠る妖精の顔を見ながら、慧音はその目的を考えた。
 偵察が最も可能性としては高いだろうが、ならばどうしてこんな衰弱した者を使いに出すだろうか。
 この体力ならば先手を討ちにきたとも考えにくい。
「ひとまずは会合に出ることが先決か」
 慧音は妖精を背に担いで、会合の行われる家へと向かった。
 ここで放っておいて、目を覚ませばきっと仲間の元に戻るだろう。
 そうなれば先程の事を話すに違いない。
 そうなればこの村が戦場になってしまう。
 人質、というわけではないが、ここは自分と共に行動させるのが得策と考えた慧音は、彼女を連れて行くことにしたのである。



 会合は無事終了した。
 慧音が妖精を連れてきたことに里長達は驚きを見せたが、慧音の話を聞いて納得してくれた。
 それに動く元気もないところを見て安心したらしい。
 やはり連れてきて良かったと、慧音は心底安堵した。
 あのまま放っておいたら、子供達と同じ事をする者が必ず現れていただろう。
「それでは私は失礼するよ。くれぐれも気をつけてくれ」
 去り際、慧音は再び里長達に忠告した。
 すると里長達も慧音を心配する言葉を返してくれる。
「あぁ、慧音さんこそ気をつけてな。狙われているんだろう?」
 その言葉に慧音は失笑した。
 確かに文々。新聞号外にはそんなことが書かれていた記憶がある。
 だがそれはあくまでもあの天狗の主観による予想でしかない。
 慧音は確証は無かったが、自分の庵が狙われるのはまだ先な様な気がしていた。
「う……」
 慧音の背中で妖精の少女が目を覚ます。
「気がついたか。随分疲れていたようだな」
「あ、あなたは……」
「上白沢慧音。今は郷から私の家まで帰っている途中だ」
 妖精は自分が背負ってもらっていることに気がつくと、慌てて頭を下げた。
「すすすみませんっ」
「……お前、妖精軍団の一員なのか?」
 新聞で見た妖精軍団の在りようとはまったくことなるその様子に、慧音は首を傾げる。
 幻想郷中の妖精が集団となっていたと思っていたが、そうではないのかもしれない。
 慧音の予想通り、その妖精は自分は妖精軍団の一員ではないと答える。
 そして自分は大妖精であることを口にした。
 彼女は仲間を探している途中、あの村の上空で精根尽き果ててしまったのだという。
 そこに居合わせた子供達に、妖精軍団の仲間だと思われ暴行を受けていた。
 もっともその時点ですでに意識はなかったようだ。
 大妖精は自分がどうしてアザだらけなのか、慧音の話を聞いて初めて理解したのである。
「ということは、お前が傷つけられても妖精軍団は何もしないと?」
「たぶん……私はもうみんなの仲間じゃないから」
 俯く大妖精に、慧音はなんと声を掛けてよいものやら考えあぐねていた。
 かつてと仲間だった者達と対峙しなければならないこの状況。
 慧音からしてみれば人間に排他されるということだろうか。
 考えただけでも嫌な気持ちで胸がいっぱいになる。
 大妖精はいまその気持ちに苛んでいるのだ。
「今は、なるようにしかならんさ……」
 慧音はそれしか言えず、それっきり気の利いた言葉を掛けてやることができなかった。


 ☆


 場所は変わってここは永遠亭。
 不老不死の蓬莱人と多くの兎が暮らす竹林の大屋敷だ。
 もちろんここにも紅魔館襲撃事件の報は伝わっていた。
 その上号外には狙われる可能性があると指摘もされている。
「いいわね、相手は妖精といえどもあの紅魔館をあそこまで痛めつけた奴らよ。
 絶対に油断せずに、できる限りの防衛線を張っておきなさい」
 八意永琳は兎たちに指示を出し、襲撃に備えて準備を進めていた。
 普段なら兎たちに戦闘訓練などさせないのだが、今はそうも言っていられない。
 うさーっ、うさーっ、と気合いの入った声が、あちこちの部屋から聞こえてくる。
「備えは順調なようね……」
 しかしいくら妖精軍団の襲撃に備えても、心休まることはない。
 それだけ紅魔館という存在の敗北は大きな衝撃だったのだ。
 妖精達の目的は能力強化の魔導書だったが、あの襲撃はそのほかにも思わぬ副産物を生んだ、ということだろう。
「師匠、永久廊下の仕掛けが終わりました」
「こっちのトラップも完璧よ」
 そこへ自分の仕事を終えた鈴仙とてゐが戻ってきた。
 永遠亭の兎の中でもこの二羽の実力は格が違う。
 鈴仙は月の兎特有の狂気の目を持ち、てゐの悪知恵はここぞというとき役に立つ。
「そう、ありがとう。後はいつ襲撃が起こっても良いように万全を期すだけ……ね……」
 突如、永琳の視界がぐらりと揺らぐ。
 鈴仙とてゐが叫ぶ声が聞こえた気もするが、彼女の意識はそこで落ちた。


 ☆


 日が沈み、ようやく今日も夜を迎えた。
 ここ一週間はろくに気の休まる暇がなく、一日が終わりそうになってようやくその日が安心できたと言えるのだ。
 しかし次の日にはまた心労に悩まされることになる。
 いつまでこんな日が続くのだろうか。
 慧音は今日郷で見た人間達の疲れ切った表情を思い返していた。
 目の前にも疲れた顔で、細々と飯を口に運んでいる少女がいる。
 その視線に気がついたのか、疲れた顔の少女――大妖精は箸を置いた。
「すみません……ご飯までご馳走になっちゃって」
 大妖精は雑炊の注がれたお椀を置いて、お礼の言葉を口にした。
 今彼女がいるのは慧音の庵。
 傷が回復するまではここにいろと言われ、そのまま世話になっている。
「いや、私から言い出したことだ。気にしないで」
 それよりも、と慧音は話を変える。
 大妖精にとっては話したくないことかも知れないが、
 幻想郷の今後が掛かっていると言っても過言ではないことなので、致したかあるまい。
「妖精軍団のこれからの動向に何か心当たりはないか」
 それがわかれば各地の力のある人妖と協力して、この異変を収めることができるかもしれない。
 しかし大妖精の返答は、首を横にふっての否定だった。
「すみません……私も今仲間がどこにいるのか分からなくて」
 空を飛ぶ力もなくなるほど探しても見つからなかった。
 それに妖精が報復を考えたことなど、これまで一度もなかったためその行動が読めないのだ。
 妖精である大妖精にもわかりないことなのだ。
 そうではない慧音が知る術はないだろう。
 幻想郷の歴史も、膨大な書物も何も教えてはくれない。
 つまり自分の知恵と判断だけが最後の武器なのだ。
「……紅魔館では力をつける為に。となると次にすることはなんだ」
 妖精は人妖との力の差を埋めようとしている。
 同等かそれ以上の力を身につけなければ、数が多いだけでは報復などできないだろう。
 とすれば……
「我々人妖と妖精の力の違い……」
 言葉を使うことは互いにできる。
 弾幕を使うことができる者は、人妖にも妖精にもいる。
 歴然の差があるのはやはり耐久力や知恵といった身体能力か。
 いや、それだけではないはずだ。
「まだ何か……何かあるはずだ。私達にあって妖精にないもの……まさかっ」
 慧音はある答えにたどり着く。


 もしそれが正解だとすれば、次に襲われるのは――――


 ☆


 永琳が倒れたのは連日連夜の襲撃対策でため込んだ疲労が原因だった。
 いくら不老不死とはいっても、疲労は体に蓄積されるもの。
 無理のしすぎは蓬莱人にとっても毒のようである。
 永琳が目覚めたのが翌日の昼ということからも、彼女がどれだけ疲れていたのかが窺い知れる。
「師匠、大丈夫ですか」
 額の手ぬぐいを替えながら、鈴仙は心配そうに尋ねた。
「えぇ、心配掛けてすまないわね」
 そう言うが、布団で横になっている永琳の顔はまったく大丈夫そうではない。
 痩せ我慢であることがバレバレだ。
「まったく……いつ妖精どもが襲ってくるかもしれないっていうのに」
 そこへこの屋敷の主君である蓬莱山輝夜も入ってきた。
 その顔には怒りの雰囲気が漂っている。
「申し訳ありません、姫」
「これでも食べて、さっさと体力回復なさい」
 輝夜は手に持っていた土鍋を側の机に置いた。
 布越しにその蓋を開けると、白い湯気と共に美味しそうな香りが部屋に漂う。
 中身は卵と山菜を混ぜ込んだ、滋養に効きそうな粥。
 いやけして見た目は悪くはなく、むしろ視覚だけでも充分美味しいと思えるほど。
 しかしそれを持ってきたのが小間使いの兎ではなく輝夜だということに、鈴仙と永琳はぎくりとする。
「も、もしかして姫が……作ったんですか?」
 鈴仙がさも驚いた顔をして尋ねる。
 永琳も心なしか苦笑を浮かべているように見える。
「何? 私が料理なんてできないとでも思っていたの」
「いっ、いえっ!」
「断っじて、そのようなことはっ」
 慌ててフォローをする二人だが、まったくフォローになっていない。
 輝夜の怒りはさらに募っていく。
「ひとまず頂きますね」
 永琳は起き上がって鈴仙が器に盛った粥に口をつけた。
 一口……二口……。
 ゆっくりと咀嚼して、飲み込む。
「美味しい……」
「そりゃあ私特製の蓬莱粥だもの」
 そのネーミングはさておき、輝夜が作ってくれた粥は正直に美味しいと感じた。
 輝夜が手作りの料理を作ってくれたことなど、覚えている記憶の中ではこれが初めてだ。
 もっとも、こんなレアイベントなどどれだけ時間が経とうと忘れるはずがない。
 とどのつまり、今回が初めてだということだ。
「姫、ありがとうございます」
 永琳はとても良い笑顔を浮かべて、素直にそう言った。
 たとえ気まぐれだったとしても構わない。
 なんの薬も効かない永琳にとって、何よりも効く薬なのだから。
「ふ、ふんっ……今更お世辞なんて言ってもさっきの無礼は許さないんだから……。
 さっさと元気になって、私を守りなさいっ」
 くるりと背を向けて、照れて紅くなった顔を隠す輝夜。
 しかし、その先には鈴仙がいるわけで……。
「イーナーバーっ」
 怒って鈴仙を追いかける輝夜。
 なぜ追いかけられるのか分からず、鈴仙は慌てて逃げる。
「私が何をしたんですかーっ」
「その存在が許せないのよーっ」
「そんな無茶苦茶なーっ」
 わぁわぁぎゃあぎゃあと、部屋を出て行った二人。
 いきなり静かになってしまった部屋に残された永琳は、しばらく呆気にとられていたが、
 ふっ、と吹き出すと再び粥を食べ始めた。
 輝夜の言うとおり、早く回復して守らなければ。

「――っ!?」

 しかし、さじを口に運ぼうとした手が止まった。
 碗を置いて唇を噛みしめる。
「まさか……こんなタイミングの悪いときに」
 永琳は二人が出て行った扉の向こうへ、険しい表情を向けた。


 来るべき時が来てしまったのだ。
 それも最悪のタイミングで。


 ☆


 廊下を出てしばらく走ったところで、輝夜と鈴仙もその不穏な気配に足を止めていた。
「ねぇイナバ」
「何ですか」
「これって……」
「えぇ、たぶん姫の考えているとおりだと」
 二人は揃ってある方向を凝視しながら会話している。
 しかし顔にも声にも感情はない。
 彼女たちが見ている先、そこにはこの屋敷の玄関がある。
 紅魔館のような仰々しいホールがあるわけではないが、それなりに立派な玄関口だ。
 その扉の先から、悪意敵意が漂ってきている。
 それが誰なのか――そんなもの考える必要はないだろう。
「姫、隠れていてください。相手の目的がなんであれ、姫を危険な目に遭わせるわけにはいきません」
 輝夜に、永久の回廊の隠し部屋へと向かうよう告げる鈴仙。
 しっかりとした従者らしい物言いに、輝夜は笑いを漏らす。
「イナバのくせに言うようになったわね。永琳があんなだから張り切っているのかしら」
 いつもは頼りなく、永琳の指示を待っているだけの鈴仙がこうして自分のために動こうとしている。
 ちゃんと成長しているのだな、と感じる瞬間だ。
 場違いな笑みを浮かべる輝夜に、鈴仙は表情を険しくする。
「そんな冗談言ってる場合じゃないですよ」
 確かにね、と輝夜は表情をただした。
 そこへてゐが訓練した兎たちと共にやってくる。
 もうすぐここは戦場と化すだろう。
「それじゃあ」
 全てを言わずとも、今の鈴仙なら悟るはずだ。
 その予想の、いや信頼の通り――
「はい、お任せください」
 強く頷く鈴仙。
 彼女を始めとする、永遠亭に住む兎たちに見送られながら、輝夜は隠れ部屋へと向かった。


 輝夜が隠れ部屋へ向かったのを見届けると、鈴仙は封印の術を施す。
 永夜異変の時はやってきた一人と一匹に破られてしまったが、今度はそうはいかない。
 二度とあんなことにならないよう、密かに鍛えてきたのだから。
「なーに、張り詰めた顔してんだか」
 隣に立つてゐが面白くなさそうに呟く。
 この状況下で面白いもへったくれもないのだが、その言葉がいつものてゐらしい。
「永琳様がいないからって一人で背負い込んでるつもり?」
「そうじゃないけど」
「だったらいつものあんたらしくしてなさいよね。変に気張ってたら本気出せないわよ」
 素直に励ましてくれる気はないらしい。
 それがまたてゐらしくて、鈴仙は笑いを溢した。
「そうよ、それくらいの余裕を持っていればいいの。……きたわね」
 てゐをはじめ永遠亭で暮らしている兎たちは、鈴仙を除いて元々は野生の環境下で暮らしていた。
 だからその勘は鋭く、不穏な気配もすぐに察知することができる。
 鈴仙は鈴仙で、その耳を用いて生物の波長を感じ取るができるため、索敵には一役買っていた。
 そんな彼女たちが一斉に玄関から飛び出した。
 敵が来た、と己の感覚が告げているのだ。
 その予感は正しく、空の向こうからどこにそれだけの数を隠していたのかわからない程の妖精の群れが、
 こちらへ向かって飛んできているのが見えた。
 その影がどんどん大きくなり、ついに両者は対峙する。
「あれ。なんだか物々しいお出迎えだね」
 先頭で群れを率いてきた妖精が笑みを浮かべて言った。
 その言葉にはまったくと言っていいほど悪意が感じられない。
 しかしその体から発せられる気配はどろどろしているように見えた。
「ここで話すのもなんだし、さくっと終わらせようか」
 妖精の周囲に幾つもの光弾が生まれる。
 それが攻撃の予兆であることに気がつかない呑気者はここにはいない。
「みんなっ、特訓の成果思う存分見せてやれっ」
 てゐが合図の弾幕を空に放つと、うさーっ、というかけ声と共に兎たちが一斉に弾幕を放った。
 妖精達も負けじと弾幕を放つ。
 絶対にここは通さない。
 家を、姫を、育ての母を守るために。


 ☆


 妖精達の永遠亭襲撃がついに始まった頃、永琳は床についたままそれを感じ取った。
 本来なら自分が指揮を取って立ち向かわなければならない状況だというのに。
 それまでの俄準備で体力を使い切ってしまうとは。
 体が平和慣れしてしまった、とでも言うのだろうか。
 姫を守るために彼女を凌ぐ力まで身につけたというのに、今は全盛期どの力が残っているかどうか怪しいものである。
 何にしても早く体力を回復させないことには足手まといでしかない。
 そのためにはこのような状況下でもできる限り寝ておいた方が良い。
 仕方なく眠りにつこうとした永琳は、鈴仙達が戦っている所とは別に不穏な気配を感じた。
 それは外にいるものに比べればかなり数が少ない。
「……招かれざる客のようね」
 いま屋敷の中にいるのは自分と輝夜だけ。
 外にいる鈴仙達は大勢の気配に囲まれて、この気配を察知してはいないだろう。
 永琳は重い体をなんとか立ち上がらせ、その気配のする方へと向かった。
 全員が外に出ているため、中にいる気配を追うのは容易いこと。
 永琳はすぐにその気配の主達と出くわすことができた。
「まだ中にいたようですね」
 気配の主――妖精達は少し意外そうに永琳を見た。
「妖精にしては、なかなか小狡い手を使うじゃない」
 永琳は廊下で4匹の妖精と対峙している。
 どうやら外にいる大群は、兎たちの野生の勘を眩ませる為の囮で、
 本命の4匹が進入するのがそもそもの目的なのだろう。
 うちの一匹は紅魔館でレミリアと会話を交わしていた妖精だ。
「妖精は頭が良くないというのは、もはやかつての話。我々は知恵も手に入れたのですよ」
「それでなんの用かしら」
 永琳としては早く決着をつけておきたい。
 今は立っていることもできるが、弾幕戦になればすぐに体力は尽きるだろう。
 自身の体は自身がよく分かっているのだ。
 おそらくスペルカードは使えて三種。
「我々は人妖に復讐するのです。その為にはまだ力が足りない」
「復讐、ね……。妖精にしては物騒な考え方だわ」
 妖精という種族の特性を考えれば、精々悪戯が関の山。
 復讐などという極めて人間的な思考に至るとは考えにくい。
 知恵を身につけた、と言っているがそれが関与しているのだろう。
 いやしかし、それも原核たるものが無ければここまで育ちはしないはずだ。
「何があなた達を駆り立てているのかしら」
「何も……ただふと気付いたのですよ。妖精はどれだけ人妖にその存在を蔑ろにされてきたか、とね」
 話している内に永琳はこの妖精達を恐ろしいと感じていた。
 単純な恐怖ではなく、このままこの妖精達を放っておけばとんでもないことが起こるかもしれないという予感。
 長い時を生きてきた中で、ここまで悪寒を感じる相手は久方ぶりだ。
 それは妖精達の力が強いというわけではない。
 力だけで言えばまだ勝てない相手ではないのだ。
 ただしいつもの調子が出せればの話であり、今は五分五分よりも確率は低いだろう。
 それでもこのまま妖精達を野放しにしてはおけない。
「色々聞けて良かったわ。それじゃあとっとと終わらせましょうか」
「そうですね。我々もあまり時間を掛けていられませんから……」


 ――『天丸「壺中の天地」』


 ☆


 永琳が屋敷内で妖精達と交戦を始めた頃、鈴仙達は自分たちがよもや囮に引っかかっているなど露知らず、
 ただ屋敷の中に一匹たりとも進入させまいと戦い続けていた。
 紅魔館での傷が尾を引いているためか妖精達の力はそれほど驚異ではなく、
 今のところ決意通り一匹の進入も許してはいない。
 しかし数の多さで言えば妖精達のほうが断然多い。
 付け焼き刃で弾幕を覚えた兎たちには、次第に疲労の色が見え始めていた。
「このままだとやばいわね」
 相手の数も減ってはいるのだが、こちら側の戦力が落ちるのが先だろう。
 全員が全力で守りを固めているからこそ、今は進入させずに済んでいる。
 しかしこのまま戦い続けて力が落ちれば、一気に攻め入れられてしまう。
 なんとかしておきたいところだが、これが永遠亭の全戦力なのだ。
 永琳はまだ本調子ではなく体を休めているし、姫は封印部屋に隠してある。
「てゐ、もう他に戦力は無いのよね」
「ハァ!? この期に及んで隠し球なんて持ってないわよ」
 てゐも隣で弾幕を放ち続けている。
 その顔にいつもの余裕はない。
 いつも裏で何を企んでいるか分からないてゐがこの調子なのだ。
「後一人……一人で良いからスペカが使えるくらいの戦力があれば……」
 元々は永琳がその穴を埋めてくれるはずだった。
 だが今はそれを頼ってはいられない。
 一人、また一人と疲れて攻撃ができなくなる仲間たち。
 このままでは本当にいつ防衛線が破られてもおかしくはない。
 覚悟を決めなければならないか。
 だがそこへ、思わぬ助け船が現れた。


『国符「三種の神器 剣」!』


 凛としたスペカ発言と共に、剣状の弾幕が雨のように妖精達の上空から降り注いだ。
 予想していなかった上空からの攻撃に、妖精達の統率が崩れる。
 その隙を狙って降り立ったのは、永遠亭への襲撃を危惧してここまでやってきた慧音だった。
 彼女の傍らには大妖精の姿もある。
「大丈夫かっ」
 一瞬のことに唖然とする鈴仙。
「なんとかね。まさかあんたが手助けしてくれるとは思ってなかったよ」
 いち早く状況を理解したてゐが鈴仙の代わりに応対する。
 それにしてもまさか慧音がこの襲撃を察して手助けに来てくれるとはてゐも考えていなかったことだ。
「ありがとう。助かったわ」
 鈴仙もひとまず礼を言う。
「まずはこの場を一気に片付けるぞ。話はそれからだ」
 妖精達が落ち着きを取り戻し、再び攻撃の体勢に入ろうとしている。
 確かにゆっくりと話をしている場合ではなさそうだ。
「来ますっ」
 大妖精の言葉を合図に、鈴仙、てゐ、慧音はそれぞれの奥義を発動させた。


『幻朧月睨』!
『エンシェントデューパー』!
『日出づる国の天子』!


 ☆


 封印された部屋の奥。
 気配を漏らさぬ為に、外の気配も届かなくしてあるこの部屋で、輝夜はただ静かに待っていた。
 ときおり響いてくる振動で、戦いが始まっていることを感じ取っている。
 今頃イナバ達は妖精相手に戦っているのだろう。
 永琳も戦いの始まりを感じ取っているに違いない。
 足手まといになることがわかっていて、無茶をするような彼女ではないから、
 歯がゆい思いを抱きながら自分と同じように待っているのだろうか。
「でも……私達が出て行くこともないのよ」
 輝夜は自身に言い聞かせるように呟いた。
 紅魔館の主は自身で迎え撃ったと聞いたが、それで返り討ちに遭ってしまえば、
 威厳も矜恃もないだろうに。
「だからあんたはこんな所に隠れているのか」
「なっ」
 輝夜はすぐさま立ち上がり、どこから現れたのかも知れぬ相手に身構えた。
 だが驚いたのはその出現に対してだけでは終わらない。
 その姿を確認した輝夜の顔には吃驚と怒りが混じった表情が浮かぶ。
「妹紅……っ」
 炎の羽を生やした少女が、蔑むような笑みを浮かべて立っていた。
「外は大変な事になっているというのに、あんたはこんな所で無様に隠れているって訳」
 臆病者のあんたにはお似合いだわ、と妹紅はさらに笑う。
 いつになく好戦的な物言いに、輝夜の苛立ちも自然と募ってくる。
「そんなことを言いに来たの……」
 輝夜の雰囲気が、いつもの殺し合い時のようなものにかわる。
 すると妹紅は笑いを止めて、逆に真摯な表情に替えた。
「怒るのは勝手だけどね。怒る相手が違うんじゃないの?」
 極めて真摯な言葉に、輝夜も思わず困惑する。
「この部屋に来る途中、あんたの従者がやられていたわ」
 あんたの従者――
 やられていた――
「そんな冗談、笑えないわ」
「冗談で言うものか。ただでさえ外は緊急事態だっていうのに」
 輝夜は愕然と膝を折る。
 中に残っているのは自分と永琳だけ。
 ならば必然的にやられたのは永琳ということになる。
 この部屋に来る途中、ということは部屋から出て交戦したのだろう。
「なんで……あんな体で無理をするのよ」
 やられてしまったら意味無いのに……。
 膝を折り、畳に手をつく輝夜。
 そんなライバルに、妹紅はわざとらしい口調で蔑んだ言葉を浴びせる。
「輝夜姫様も落ちぶれたもんだねぇ」
「なっ」
「危ないことは全部従者達に任せて、自分は隠れてやり過ごす。まあ権力者がよくやりそうなことだこと」
「妹紅……っ」
「そんなだからカリスマが無いとか言いたい放題にされるのよ」
 ここまで言われて黙っていられる輝夜ではない。
「あんたに何が分かるというのよっ!」
「分かんないわねっ!」
 輝夜以上に大きな声で怒鳴る妹紅。
「分からないじゃない……分かりたくもないわ。大切な人たちが頑張っているのに、
 自分は何もしないで隠れているだけの臆病で卑怯者のことなんてね!」
「妹紅……」
「そんな奴がライバルだなんて……少しは私のライバルらしくしたらどうなのっ」
「あんた……もしかして本当はそれが言いたくてここまで」
 そんなわけ無いじゃない、と妹紅は背を向ける。
 妹紅はここに来る途中に出くわした永琳との会話を思い出した。


 妖精の大群が永遠亭に向かっているのを偶然見かけた妹紅。
 急いでやってくると、鈴仙達兎が必死になって進入を阻んでいるのが見えた。
 しかし、永琳と輝夜の姿が見えない。
 裏口の存在を知っていた妹紅はそこから屋敷に入り、二人の姿を探した。
 そこで廊下に倒れている永琳を見つけたのだ。
 外傷は少なかったが、かなり体力が低下している。
 こんな永琳を見たことなど妹紅にはなかった。
「ねぇ! なんでやられてんのよ」
 妹紅の呼びかけに、永琳は力なく答える。
「あら、あなたまで来ているなんて……」
「それより輝夜はどうしたんだ。外にはいなかったけど」
「……きっと封印の部屋ね。ウドンゲも気が利くようになったわ」
 封印の部屋。
 それは輝夜に危険が及ぶかもしれない事態のとき、一時的に隔離しておく為の部屋だ。
 この緊急事態に輝夜は隠れているというのか。
 妹紅は思わず歯がみした。
「そこはどこだっ。私が首根っこ掴んで引きずり出してやる」
「駄目よ……姫を危険な目には遭わせられない」
「あんたがこんな目に遭っているのに、それでも守るというの!?」
 こくりと頷く永琳。
「馬鹿だわ。外にいる兎たちも全員、揃いも揃って大馬鹿よ」
「その馬鹿を気に入って、ずっと殺し合いをしているのは何処の誰かしら」
「そ、そんなこと……」
 こんな状況でもこの従者はこんなことを言う。
「ねぇ妹紅、姫を連れて行くのならこれを持って行って」
 永琳から渡されたのは一枚の札。
 これがあれば輝夜の部屋の封印を解いて入ることもできるという。
 自分にこんなものを渡して良いのか、そう尋ねると永琳は微笑を浮かべてこう言った。
「だって、あなたも結局は心配して来てくれたんでしょう?」


 あのときほど顔を真っ赤にしたことはない。
 単純に喧嘩のできる輝夜と違って、永琳は相手をしにくい奴だ。
 慧音はあれはあれで扱いやすい。
 こつらが手玉に取られることもあるが、まあ五分五分といったところだろう。
「ねぇ、妹紅」
 輝夜の口調が突然変わり、妹紅は反応する。
「何よ」
「カリスマは……取り戻せるかしら」
 目をぱちくりとさせる妹紅。
 だがすぐにその顔には笑みが浮かぶ。
 もちろん後ろを向いているから、輝夜には見せはしないが。
「さぁ、あんたの行い次第じゃない?」


 ☆


 さすがに傷が完治していない状態に強力なスペカを喰らっては一溜まりもなかった。
 妖精の大群は全て地に臥している。
 しかしこちらも攻撃できる要員はかなり減ってしまった。
 みんなぐったりとしてしまっている。
「なんとか守りきった……のかな」
 鈴仙も疲れた様子で息をついた。
「まだ油断しない方が良い。紅魔館の連中はそれにやられたらしいからな」
「でも、流石にあたしも疲れたわよ」
 足をぺたんと投げ出して座り込んでしまっているてゐが呟く。
「それにしてもよく永遠亭が襲撃受けてるって分かったわね」
 人里から随分離れた位置にあるため、ここで騒動が起こっていてもそれが郷まで伝わることはない。
 煙が上がっていても、注意して見なければ気付く者はいないほどだ。
「あぁ、それなんだが……」
 大妖精と顔を見合わせる慧音。
「我々にあって妖精にないもの。わかるか?」
 突然の謎かけに鈴仙とてゐは揃って首をひねる。
 しかし今は悠長に考える時間を与えられるほど余裕はないので、すぐに答えを提示する。
「これだ」
 慧音が見せたのは一枚の札。
 それは鈴仙もてゐもよくよく見知ったものだ。
「スペルカード……そっか」
 ぱん、と手を合わせて納得する鈴仙。
 確かに妖精達はスペルカードを使える者達がいない。
 強力な弾幕を扱える者もいるが、スペカを使っている者は見たことがない。
「妖精はスペルカードが使えないんだっけ?」
 てゐが大妖精に尋ねる。
「使えないというか、使う必要がなかったというか……」
 本来スペルカードの存在意義は決闘の平和的解決である。
 つまり縄張りに入ってきた人妖を追い払うために弾幕を放つ妖精にとって、その存在は必要ないのだ。
 あとスペカが使えるほど頭がよいわけではないのも理由の一つと考えられる。
 しかし、先程平和的解決だと記したが、これを本気で使ったときの威力は凄まじいものがある。
 中にはどう考えても、平和的解決の手段ではないだろう、と突っ込みたくなる効果を持つものもある。
 まあ威力、効果よりも、「これから凄いのいきますよ」と相手に伝えることで、
 どんな非道い攻撃をしても文句は言うな、というのが大切な要素なのだろう。
「妖精にとっては必要のない要素だったのだが……」
「それが必要になった、と」
 鈴仙の相づちに慧音が頷く。
 弾幕の威力をあげても、その弾幕を打ち消して攻撃効果のあるスペルカードを使われれば勝機が減る。
 だから妖精達はスペルカードの習得に乗り出そうとしたわけだ。
 スペルカードの習得には様々な方法がある。
 自分で開発するのが最もポピュラーで、もしくは誰かから受け継ぐのがそれに続く。
 だがそれでは習得に時間が掛かってしまう。
 それで妖精達が目をつけたのが、もう一つの習得方法。
「まさか……」
 鈴仙もここまで言えば気付いたらしい。
 もう一つの方法とは、アイテムによるスペカ発動。
 要するに符以外のスペカ発動アイテムを手に入れること。
「そう、輝夜の所持する五つの宝具だ……」


「大正解!」


 その場にいた全員が一斉にその方を見る。
 そこには大群を率いてきた妖精と、それに加えて四人の妖精が浮かんでいた。
 大群を率いてきた妖精は一緒に倒したものとばかり思っていたのだが、
 どうやら離れて事態を観察していたらしい。
 他の四人は傷を負いながらも、その顔には歪んだ笑みを浮かべている。
「見事なまでに陽動に引っかかってくれてありがとう」
「おかげで作戦は終わりましたよ。若干痛手は負いましたがね」
 傷を負った4匹は、宝物庫に隠してあった宝具をしっかりと抱えている。
 神宝ブリリアントドラゴンバレッタ、ブディストダイアモンド、サラマンダーシールド、
 ライフスプリングインフィニティ。
「四つ……?」
 確か宝具は五つ。
 そう、輝夜が真に求めた宝具の内唯一の本物――蓬莱の玉の枝。
 彼女たちはそれを所持していない。
「蓬莱の玉の枝はどうしたのよ」
 鈴仙の言葉にライフスプリングインフィニティを持った妖精が答える。
 彼女は大妖精に突っかかったあの妖精だ。
「我々もそれが聞きたくて戻ってきたんですよ」
 どうやら輝夜は本物の神宝だけは別の場所に隠してあったらしく、妖精達も見つけられなかったらしい。
 ということは、だ。
「姫や師匠は……」
「我々に傷を負わせた人間は自滅しました。そのほかには誰もいませんでしたが?」
 きっと傷を負わせた人間というのは永琳のことだ。
 あんな体でも姫を守ろうと戦ったのだろう。
 姫が見つからなかったのはまだ封印した部屋にいるからなのだろうか。
「どうやらその様子では最後の一つの在処は知らないようですね。ではもう用はありません
 あなた達全員を動けなくして、それからじっくり探すとしましょうかっ!」
 妖精達がそれぞれら持った宝具を構える。
 一つ一つが難題と称される代物をこの疲弊した状態で四つも一度に喰らえば、
 反撃どころか避けることすらままならないだろう。
「待って!」
 まさに攻撃が開始されようとした瞬間、大妖精が再び立ちはだかる。
 その姿を見て先頭の妖精はため息をついた。
「また貴方ですか……よくよく縁があるみたいですね」
「いつまでこんなことを続けるのっ」
「それしかないんですか? まあそういった進歩のないところが妖精らしいとも言えますが……」
「ちゃんと答えてっ」
 まったく対極の口調でずれた会話を続ける二人。
 しかし、次第に相手の妖精の雰囲気が変わってきていることに気がついた慧音が叫んだ。
「避けろっ」
 え――という顔を浮かべる大妖精。
「……煩いですよ」
 すぐに慧音が飛び上がり、大妖精を抱えて飛び降りる。
 元々大妖精がいたところに放たれる弾幕。
 その威力に仲間への躊躇はない。
 邪魔者を消すための攻撃だ。
「――っ!!」
 避けきったと思ったところに突然の一撃が放たれ、慧音の足を掠める。
 着地するも片膝を付いてしまう慧音。
「慧音さんっ」
「油断をするなと言っていた本人がこの様とはな……っ」
 足首を襲う痛みに顔を歪める慧音と、それを心配する大妖精。
 鈴仙も駆け寄ってきて、傷の具合を見始めた。
「たぶん痛みはすぐに引くと思うわ。でもしばらくは立っているのもきついかも」
「そうか……だが痛みが引くまで奴らは待ってくれないようだぞ」
 慧音はずっと妖精達から視線を外していなかった。
 隙を見せればすぐに第二波が来ることくらい見抜いている。
「この傷さえなければ確実に仕留められていたんですけどね……」
 弾幕を放った妖精は忌々しげに腹部の傷を押さえて言った。
 だが彼女たちの傷は、永琳との戦いで負ったものだけではなく紅魔館で負った傷も、
 他の妖精と同じように後を引いていたのだ。
 フランドールの怒濤のスペカコンボに耐えきったのは良かったが、その傷は思いの外深かった。
 完治するまで襲撃は控えておけば良さそうなものだが、時間を空ければそれだけ自分たちへの対策を練られてしまう。
 その前にせめて永遠亭の宝具奪取だけでも終わらせておく必要があったのだ。
「そろそろ尻尾巻いて帰ったら?」
 てゐの言葉に、妖精達は首を横に振る。
 まだ諦めないつもりらしい。
「そうはいきません。最後の宝具も頂いて帰ります」
 妖精達が一斉に宝具を掲げる。
 鈴仙とてゐもすぐにスペカを取り出すが、相手の方が一足早かった。
 慧音も痛みの所為で反応が遅れてしまっている。
 無数の龍の鱗、巨大な輝く鉢、燃え尽きることのない炎、無数に湧き出る水柱。
 それぞれの宝具が生み出す強力な攻撃が、鈴仙達を狙って襲い来る。
 これは受けきれないと、避けようとする鈴仙達だが動きを止めてしまった。
 その視界に飛び込んできたのは疲労困憊で動けなくなっている兎たち。
 このまま自分たちが避ければ、自分たちは無事で済むだろう。
 だが、動けない兎たちは……。
(どうすれば……)
 受けきれない。
 避けても、兎たちが犠牲になる。
 どうすれば、どうすればいい。
 慧音が助けに来てくれたときのように、もはや助けは期待できない。
「それでは……お休みなさいっ!」

 迫る難題。
 解く余裕を与えてくれない非情な攻撃。


 そこへ紅き翼を纏った火の鳥と、流水の如き清らかな黒髪を携えた永久の姫が舞い降りた。


「つうっ!?」
「がはっ!!」


 しかし彼女たちは攻撃をするでもなく、ただ盾となり弾幕をその身に受けるだけ。
 初撃を喰らった瞬間は苦痛に顔を歪めたが、すぐに二人の顔には笑みが浮かぶ。
「自分の難題にやられてちゃ世話無いわよね」
「またあんたらしくないことを……」
「何よ、私はあの子達の姫なんだから。あんたこそ何でこんなことしてるのよ」
「あんたの目は節穴か? あそこに慧音がいるだろう」
「仲間はずれのあんたを人間扱いしてくれる優しい奴だものね〜」
「ふん、あんたこそ永琳がいなけりゃ何もできないくせに」
 攻撃を喰らい続けているという状況下で口げんかまで始める始末。
 しかしその体には確実に痛みが走っているはずだ。
 それでも二人の表情からはそれを読み取ることができない。
「なんなんですか……こいつらはっ」
 妖精達も倒れることのない二人の得体の知れぬ気迫に恐れの表情を抱く。
 そしてそれは弾幕の威力となってさらに二人を責め続けた。
「や、めて……」
 自分たちを守るように立ち塞がる二人の後ろ姿。
 いくらなんでもこれはやりすぎだ。
 鈴仙は思わず目を覆う。
「なんで私はこんな時に役に立てないんだ……っ」
 慧音も動かない足に思わず歯がみする。
 その間も、輝夜と妹紅には休むことなく弾幕の雨が降り注ぐ。
 二人の顔には依然として苦渋は浮かんでいない。
 しかし顔色だけは正直だった。
「そろそろ我慢も限界のようですね」
 ようやく変化の見えてきた状況に、妖精達もようやく余裕を取り戻す。
「何を……言ってるのかしら」
「私達が何度死線を……越えてきたと思っているの」
 まったく戦意を失わずに立ちはだかる二人。
 だがその言葉にも限界が見え隠れしている。
「痩せ我慢も程々にしておいた方が良いですよ」
 確かにもはや意識を保つのも難しいのが現実だ。
 いっそ死んでしまった方が楽になるだろう。
 どのみちその意思一つで蘇ることができるのだから。
 だが今は死んではならないときなのだ。
 今だから理解できる。
 どうして紅魔館の吸血鬼は自ら戦陣に加わったのかが。
「――っ!?」
 がくりと視界が揺らぎ、目の前がぼやける。
 やはり神宝の力を直撃し続けていれば、それだけ限界も近くなるのだろう。
 だがまだ後ろには傷つけたくない者達がいる。


「タンマタンマ、ちょいタンマっ!!」


 その声に場の全員が反応する。
 それは妖精達の背後から聞こえてきた。
 なんといつの間に移動していたのか、そこにはてゐがいた。
 背後を取られたことで妖精達の意識がてゐに向けられる。
 攻撃が止み、輝夜と妹紅はそこで力尽きた。
 鈴仙と慧音がそれぞれに介抱する。
 その傍ら、てゐの行動からは目を離していなかった。
「いったいなんなのですか。我々の後ろを取るとは大胆不敵ですね」
 妖精達は今にも攻撃を始めようとする。
 だがてゐは慌てたように手を上げて、攻撃の意思がないことを示す。
「違う、違うわよっ」
「ではなんの用ですか。まさかここまでしておきながら、降参とでも?」
 散々防衛戦を繰り広げて、妖精達に大打撃を与えておきながら降参など……。


「うん、降参」


 鈴仙の顔が「な!?」の形で固まる。
 慧音も予想だにしないてゐの行動に唖然としている。
「貴方……本気ですか」
 もちろんそんな嘘くさすぎる台詞を妖精達が信用するはずがない。
 しかしてゐは兎の良い笑みを浮かべてさらに続ける。
「やだなぁ、そんなに疑い深い顔を浮かべちゃって」
「相手が貴方なら尚更です」
 妖精達の間にも、「卯詐欺」と称してもおかしくない因幡てゐの存在は知られているらしい。
「これを見ても信用してくれない?」
 そう言っててゐが取り出したのは――
「蓬莱の玉の枝!?」
 その場にいた全員がてゐが持つそれに驚きの顔を浮かべる。
 七色に煌めく玉が生る枝。
 輝夜が求めた宝の中で、唯一の本物である神宝。
 それを何故今てゐが持っているのか。
 そして何故それを妖精達に差し出そうとしているのか。
「てゐっ、あんた自分が何をしているか分かってるのっ?」
 必死にその行動を止めようと叫ぶ鈴仙。
 だがてゐはそんな彼女に、変わらぬ笑みを向ける。
「あたしは痛い目に遭いたくないんでね。このまま妖精側につくことにするよ」


 何を言ってるの?


「だって、ここで助かってもまた襲われるかも知れないでしょ?
 だったら私は長いものに巻かれる道を選ぶわ」


 本気で言ってるの?


「てぇぇぇゐっ!!」






「さすが因幡てゐの名は伊達ではありませんね」
 空を飛びながら妖精が言う。
 その隣を飛ぶてゐに対してだ。
「まぁねぇ……」
 てゐの顔はずっとにこにこした笑みを浮かべたまま。


 妖精達に蓬莱の玉の枝を渡し取り入ったてゐ。
 宝具さえ手に入れば永遠亭には用はない、と妖精達は引き上げた。
 勿論てゐもそれについてきている。
 もう随分飛び、永遠亭からだいぶ離れた場所まで来た。
「それでどこに向かっているの?」
「別にどこでも構いませんよ」
「は?」
 リーダー格の妖精は数人の仲間を残し、残りは先に行くよう指示をする。
「やはりさすがは、因幡てゐ……といったところですか」
「な、何を言ってるのよ」
 てゐを取り囲む妖精。
 突然の変貌に狼狽するてゐ。
「あそこで宝具を差し出せば、我々の攻撃は止められた。そして協力者として取り入ることで、
 あわよくば我々の隠れ家まで探り出そうとした……。とんだ策士もいたものですね」
「だから何を……」
 てゐの頬を光弾が掠める。
「宝具を手に入れるためにあなたの策に乗った、と言うわけですよ」
「それでもう用済みってわけか……」
 てゐの顔から人の良い笑みが消える。
 変わりに浮かぶのは不敵な笑み。
「最初はね、本気で降参して見逃してもらおうかなぁ、とも考えていたのよ?」
 誰に言うでもなく、てゐは語り出した。
「あたしは自分の無事が一番大事だし」
 でも、とてゐは笑みを別なものに変える。


「姫のあんな姿見せられて、なんとも思わないわけないじゃない」


 妖精達の容赦ない弾幕が放たれる。
 防御の構えもしていなかったてゐは、それをまともに食らった。
 先の戦いの疲れもあり、攻撃を受けたてゐは為す術もなく地へと落ちていく。
 その最後を確認することもなく、妖精達はその場を飛び去っていった。
 その後ろ姿を目の端で捉えつつ、てゐは自嘲の呟きを漏らす。
「嘘とはいえ、みんなを裏切った報いなのかな……」
 このまま落ちても、木々がクッションになり死に至ることはないだろう。
 ただし大怪我をすることは免れない。
 あれだけ自分の怪我や病気には気を遣ってきたというのに。
 もうすぐ終わりが見えてきた。
 衝撃に備えて体に力を入れようとするが、それもままならない。
「仕方ないか」
 どれだけ木が助けてくれるかは分からないが、後は運を天に任せるだけだ。
 まったく、他人は幸せにできるのに自分には力が使えないとは。

「少しは反省したの?」

「え……?」
 体に掛かったのは落ちた衝撃ではなく、誰かに抱かれる感触。
 見ると鈴仙が怒った顔で自分を見ている。
 気がつけば俗にお姫様だっこと呼ばれるスタイルで抱きかかえられていた。
「鈴仙」
「ったく、姫といいあんたといい、らしくないことばかりして心配させて……」
 鈴仙は怒りながら泣いている。
 それを見ると、何故か無性に笑いたくなった。
 いつもの悪戯では見られない彼女の顔が見えたからだろうか。
 それとも助けに来てくれたことを、嬉しく感じているのだろうか。
 いや今はそんなことどうでも良い。
 とりあえず伝えなければならないことがある。
「へへ、隠れ家までは分からなかった」
「馬鹿……」


 夕暮れに浮かぶ二兎の影。
 二人の頭上には一番星が輝きだした。
 妖精達の襲撃もようやく終わり、再び静かな夜が訪れようとしている。
 今度はそれがいつまで続くのだろうか。


 〜続く〜


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☆後書☆

 第二話です。一話よりも長いです。
 うん、原作サイドがやられ気味なのはね。仕様なんだ。
 そろそろ反撃しないと読者に反感買うかもしれませんね。

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