カゼには一体何がきく?


 ★


 いったいぜんたいどうしたのでしょう。
 チルノがカゼをひきました。
 バカはカゼをひかないのにおかしいですね。
 ンなこたぁない! バカでもカゼはひくんです。


 ☆



 チルノが風邪を引いた。
 ギャグではない。本当だ。
 馬鹿だから、もといあれだけ毎日元気に過ごしている彼女が風邪を引くなど、
 かなり信じがたいことかもしれないが、今回は嘘でもなんでもない。
 別に馬鹿だろうがなんだろうが風邪は引くものである。


 余談だが、引いても気付かない、というのであれば流石に馬鹿っぽいものがある。
 詰まるところ「馬鹿は風邪を引かない」という言葉の真意は、
 「馬鹿は風邪を引いても気付かない」といったところなのだろう。



 紅魔館の聳える島がある湖。
 その周辺の森には悪戯好きな妖精が大勢暮らしている。
 毎日楽しく騒がしく、彼女たちの声が尽きることはない。

 そんな平和な一日が今日も終わった。
 陽気を好む妖精は基本昼間が活動時間だ。
 日が沈めば彼女たちはそれぞれのねぐらに帰って、次の朝日が昇るのを眠って待つ。
 今日も紅く染まった空が遊びの時間は終わりだと、妖精達に告げていた。
 また明日、と言葉を交わし散っていく妖精達。
 その中に彼女たちの長たる存在、大妖精の姿もあった。
 しかしその顔にはどこか浮かない表情。
 別に魔法使いや巫女がやってきて、妖精達が撃墜されたわけではない。
 言ってしまえば平和な一日。
 むしろ平和すぎるくらいに平和だった一日。
 ならばどうして大妖精の表情が浮かないのか。
 それは、平和すぎる一日を崩すトラブルメーカーがいなかったからだ。
 いつもなら何かしら騒ぎを起こす存在が、今日はまったく姿を見せなかった。
 仲間の妖精達はそれを喜んでいたが、大妖精はずっと気にしていたのである。


 だから皆が自分の家に帰った後、その子の家を尋ねてみることにした。



 チルノの家には、頬を紅潮させて苦しそうに眠る家主の姿があった。
 元々熱に弱い氷精が、自身の体温でうなされている。
 全身が動けないらしく、寝返りを打つこともままならないようだ。
 どうやらかなり重症らしい。
 いつも吹雪を巻き起こすほど、元気の有り余る姿からは想像が付かない弱り様である。
 いつになっても姿が見えず、心配して様子を見に来た大妖精も
 流石にここまでは想像していなかったらしく、チルノを見つけたときにはかなり驚いた。


 その大妖精だが、今は甲斐甲斐しくチルノの看病に当たっている。
「大丈夫?」
 そんなの見たらわかることだが、それしか声を掛けられない。
 医療知識などもっていないため、気休め程度の看病しかできずに大妖精は歯がゆい思いをしていた。
「ぅー……」
 時々苦しみの呻き声をあげるチルノ。
 彼女の額に乗せた濡れ絞りも、すぐにぬるくなってあまり効果を果たさない。
 それでも無いよりマシだと、大妖精はそれを交換する。
 大妖精の心配は募るばかりだ。
 死にはしないのかもしれないが、それでも一刻も早くこの苦しみから救ってあげたい。
 しかし大妖精にはそれだけの力がないのが現状だ。
「やっぱり誰かに助けてもらわなくちゃ」
 でも、と大妖精はチルノの方を見た。
 いつもチルノは皆からバカだ、Hだとからかわれている。
 そのことを言えば本人は勿論怒るが、それだけバカだと思われていることを酷く気にしているのも事実だ。
 そんな彼女の心中を知る大妖精は、あまり公には助けを求められないと考えた。

 「バカは風邪を引かない」

 そんな冗談の言葉だが、それらしいことがあると、あぁやっぱりなと納得するのが世の中だ。
 だから「夏風邪はバカが引く」という言葉だって皆一様に信じている。
 つまりチルノが夏風邪を引いたということが周囲にばれたら――
「チルノちゃんがお馬鹿だってみんなにからかわれちゃうっ」
 そう言っている時点で、大妖精もチルノのおつむが宜しくないと思っている事になるのだが、
 本人はそうと気付かず心配を続ける。

 チルノが風邪を引いたことがばれないように、彼女を助けてもらうには。
 まず往診など、直接診てもらう方法は即刻却下。
 隠さなければならないことを相手に見せてしまっては元も子もない。
 だから助けてもらうにしても、間接的な助けでなければならないのだ。
 間接的だとしても、どのみち方法は限られてくる。
 この幻想郷で、妖精の病気を診ることのできる人物は少ないためだ。
 ならば手当たり次第に頼みに行くしかないだろう。

 優先しなければならないのは、あくまでチルノは元気であると振る舞うこと。
 何度もそのことを頭に入れ、大妖精はまず近場の心当たりを尋ねることにした。



 ★


 よもふけて、あるじがめざめる紅魔館。
 くるしむチルノをたすけるために、やってきました大妖精。
 きっとなおしてあげるから。まっていてねチルノちゃん。
 くちもとキュッとひきしめて、門番さんにこんばんわ。


 ☆


 中国、もとい門番、もとい紅美鈴は困惑していた。
 こんな夜更けに来客とは珍しいが、その客の正体がもっと珍しい。
 なにやら真剣な表情を浮かべてこちら見上げている。
 背丈は美鈴の腰丈程度とかなり小さい。
 その背中の羽と感じる気から察するに、この子が妖精であることは間違いない。
 そういえばこの周辺で見かけたことがある。
 確か湖周辺の妖精達の長である、通称大妖精。
 問題なのは何故その大妖精がこんな時間に紅魔館を訪れるのかということだ。
「えっと……なんの用?」
 相手は「大」がついてもたかが妖精一匹。問答無用で蹴散らすのも無粋というもの。
 真夜中に暴れるのもまた然り。
 とりあえず美鈴は話を聞いてみることにした。
「教えてもらいに来ましたっ」
 大妖精はその一言に思い切り力を込めて言った。
 そんなに力一杯言わなくても、美鈴には聞こえている。
 だが聞こえていても、その言わんとしていることが今ひとつ掴めない。
 大妖精は言いたいことを言おうと張り切るあまり、途中の過程をすっ飛ばしたのだ。
「も、もう少しわかりやすく言ってくれるかしら?」
 美鈴の言葉に、大妖精は考え込んでしまう。
 そんなに難しいことを言ったつもりはなかったのだが、大妖精はなかなか次の言葉を見つけ出せずにいる。
「それじゃあ、うーん……何を聞きたいの?」
「かっ、風邪を治す方法ですっ」
 今度は間髪入れずに答えてきた。
 さっきまでいったい何を考えていたのだろうか。
 しかしなんにせよ、これで目的はわかった。
「だったらここはお門違いだと思うわよ」
 紅魔館は病院ではない。
 風邪を治す方法を聞くならば、もっと適切な場所があるだろうに。
「妖精の、病気だから……普通の方法じゃ、治せないと思って」
 大妖精は今にも泣き出しそうな声で言った。
 この展開はなんだか不味い気がする。
 このまま泣かれでもしたら、それがメイド長にでもバレでもしたら……。
(マズい、マズい、マズすぎるっ。ただでさえ理不尽な理由で懲罰を受けさせられる
 キャラが定着してしまっているから、このままこの子を泣かせたら、
 きっと暇つぶしに妖精をいじめてサボっていたと、濡れ衣を着せられてしまうっ)
 見事にMっ気に染まってしまった美鈴らしい思考回路。
 おかげで大妖精は紅魔館の中に入ることを許された。



 すれ違うメイド達が、大妖精を見る度に可愛いと黄色い声を上げる。
 外部とは殆ど接触を持たない紅魔館のメイド達にとって、
 お嬢様以外の可愛い物は珍しいのだ。
 故に館内での妄想補完が行われたりするのだが、それはまた関係のない話。
 閑話休題。大妖精はそのたびに抱きつかれたりして疲れたが、
 おかげで迷うことなく目的の場所へと辿り着くことができたのだった。




 重い扉をよいしょと開いて、大妖精はまずその光景に圧倒された。
 目に入ってくるのは、本本本本本本本本……。
 前も左も右も上も――流石に下は絨毯だが――本で埋め尽くされている。
 森に住んでいる大妖精にとって、本そのものが珍しい代物なのだが、
 その森すら覆い尽くしてしまいそうなほどの蔵書量は圧巻の一言。
 これだけの蔵書を誇るのは、紅魔館にあるこの書庫くらいなものだ。

 そんな本の森とも言える場所に、大妖精が目的とする人物は暮らしている。
 以前にチルノから聞いた、紅魔館に住む知識の魔女の話。
 その魔女なら妖精の風邪を治す方法も知っているかもしれない。
 だがだがこの巨大な書庫のどこにいるのだろうか。
「私に用があるんでしょう?」
 突然奥から声が届いた。
 圧倒されていた大妖精は、いきなり話しかけられて飛び上がる。

「そんな所で突っ立っててもらっても、気が散るだけなんだけど」
 すると大妖精の体がふわりと浮き上がる。
 自分の意思で浮かび上がったわけではないため、大妖精はさらに驚くがどうすることもできない。
 そのまま意思とは関係なく書架と書架の間を飛ばされて、書庫の奥へと導かれる。


 そうして辿り着いた書庫の深奥に、大妖精が求めた魔女がいた。
 ロッキングチェアに体を預け、ゆっくりと前後に揺れながら手元の本に目を通している。
 大妖精が着いたことにも気がついていないのだろうか。
 いや、そういうわけではなかった。
「私は今忙しいの。だから貴方をここまで招待した。わかるかしら?」
 どう見ても忙しい姿には見えないが、大妖精は頷いた。
 ここでツッコミを入れるなど大妖精にはできるはずのない芸当である。
 というかそんなことをしたら、せっかくの機会を棒に振りかねない。
 大妖精がとっさに取った判断は正しかったと言える。
 すると魔女は持っていた本にしおりを挟むと机に置いた。
 チェアの向きを変え、大妖精と向き合う形を取る。
「私をパチュリー・ノーレッジと知っての訪問らしいけど、妖精がなんの用?」
「あの……妖精が風邪を引いた時の治療法を教えてください」
 あくまで誰かが引いたから聞きに来たという風を悟られないように大妖精は尋ねた。
 チルノが風邪を引いたことはトップシークレットなのである。
「それだけの用事で、こんな時間に尋ねてきたというの?」
 パチュリーの声にはこちらの裏を読み取ろうとする含みがあった。
 その探るような口調に、大妖精も負けじと食らいつく。
「わ、私は大妖精です。もし仲間が風邪を引いた時、何もできないのは嫌なんですっ」
「風邪なんてたくさん寝て、栄養を摂れば自然と回復するもの。そんなに焦って聞きに来るほどのものでもないわ」
「もっと早く助けてあげたいんですっ」
「……わかったわ」
 大妖精の熱の入った主張に、パチュリーもこれ以上は無粋と判断したのか要求を呑むことにした。
 しかし本を探しに行こうとはしない。
 代わりに手を叩くと、どこからともなく悪魔の少女が姿を現す。
「お呼びですか?」
「妖精に関する棚から、妖精の病気について書かれた本を持ってきて頂戴」
「わかりました」
 どういう因果か通称小悪魔と呼ばれる悪魔の少女は、この書庫でパチュリーの助手を務めている。
 その関係についてはこの際関係ないので割愛するが、彼女のおかげで目当ての本はすぐに手にはいることとなった。



 小悪魔が持ってきた本には『妖精の生態』というタイトルが銘打たれている。
 かつて妖精という種を研究した魔法使いの記録らしい。
 魔法の実験の為に妖精の生態を調べていたのだが、いつの間にか生態を調べる方を主とするようになってしまい、
 このような本を残すこととなったと、後書きには書かれている。
「――そんなことは良いんですっ、風邪を引いたときの対処法とか書いてないんですか?」
「後書きを読むのもまた一興なのよ。本来の文章だけでなく、表題、前書き後書きまで含めて
 一つの本なの。そこまで読んでこそ、真にその本を読破したことになるわ」
 今はそんなことをしている場合ではなく、一刻も早く治療法を教えてもらって帰りたい。
 しかし今すぐ必要であることを悟られてはいけないのだ。
 あくまで平静を保って大妖精は肝心の話をしてくれるのを待つ。
「そうね……その妖精がどんな妖精なのかにもよるわ」
「それはどういう……」


 妖精と一口に言っても、それは種族の名称でありその中には様々な妖精がいる。
 そもそも妖精は自然から生まれた精神体ようなもの。
 だから自然の要素の分だけ、妖精もその種を持つということになる。
 太陽の光、月の光、星の光、稲光……。
 光だけ取ってもこれだけの種類がすぐに上がるのだ。
 今上げた光の種類から生まれた妖精も勿論存在するのである。


「その妖精毎に回復するための要素は異なってくるの。たとえば花の妖精には
 花の香りや日光が効果的だけど、火は厳禁ね。でも火の妖精には火が効果的なのよ。
 つまりその妖精の、所謂“属性”を考えれば、自ずと治療法も分かるというものだわ」
「それじゃあ氷の妖精なら……」
「とことん冷やしてあげることね。でももしこの季節に病気にでもかかったら、
 冷やす方法が無いから大変かもしれないわ。……あぁ、あの氷精に協力してもらうのが一番効果的ね」
 そのチルノ自身が病気なのだ。
 彼女以外に氷の属性を持っている妖精に、大妖精は心当たりがない。
「えっと……冷やす方法って他にはどんなのがありますか?」
「随分突っ込んでくるわね。……なら良い物をあげるわ」
 そう言うとパチュリーは、椅子から立ち上がり床に描かれた魔法陣の元へとやってくる。
 そしてなにやら呪文を唱え始め、精神を集中させていく。
 すると魔法陣の中央に、大気中の水分が集まり凝結し、一つの塊を生み出した。
 あっという間にできた水の塊は、ぶよぶよと動きながら浮かんでいる。
 パチュリーがその水の塊にさらに力を加えると、その塊は一瞬にして凍り付いた。
「これは魔法で作り出した氷塊。100℃くらいでないと溶けないわ」
 この書庫でも重宝しているものよ、とパチュリーは付け足す。
 確かになかなか溶けない氷なら、チルノを冷やし続けることもできる。
「えと……もらっていいんですか?」
 相手は魔女だ。
 ただでこちらの用件を聞いてくれた上に、魔法道具をくれるとは考えにくい。
 だがパチュリーの返答は、とても意外なのもだった。
「えぇ、あげるわ」
「でも……」
「魔女の気まぐれよ」
 パチュリーはそう言うと後ろを向いた。
 大妖精はその背中に向かってぺこりとお辞儀をすると、書庫から出て行った。




 静けさの戻った書庫。
 パチュリーは椅子に座り直すと、高い天井を見上げて息をついた。
「パチェらしくなかったわね」
 そこへこの紅魔館の主であり、パチュリーの友人であるレミリア・スカーレットが降りてくる。
 どうやら一部始終を見ていたらしい。
 パチュリーもその存在には早い内から気がついていたらしく、別に驚いた様子もない。
「盗み見なんて、趣味が悪いわね」
「珍しいお客が来てるというから見に来ただけ。そしたらなんか立て込んでるみたいだったから
 ちょっとそこらで見させてもらっていただけよ」
「そう……」
 パチュリーは背もたれに背を預けると、深く座り直す。
 長い話を聞くときはいつもこうするのだ。
 レミリアは自分の話につきあう意思を見せてくれた友人に笑みを浮かべると
 彼女の向かいにある椅子に自分も腰を落ちつけた。
 すると突然目の前に入れたての紅茶が現れる。
 周りには誰もいない。
 どうやら咲夜が気を利かせて用意してくれたようだ。
 こんなことは日常茶飯事である。
 だから二人とも驚くことはなく、自然と目の前のティーカップに手を伸ばした。
「それでなんの話だったかしら」
 紅茶を一口飲んで、途切れてしまった会話をパチュリーはそう切り出した。
「パチェらしくなかった、っていう話」
 そうだったわね、とパチュリー。
 本来ならあんな妖精の頼みなど聞く耳を持つことはない。
 だが今回は話を聞いてやるだけでなく、ちゃんと答え、しまいには土産まで持たせたのだ。
 パチュリーをよく知るレミリアからすれば、彼女らしくないと思うのは当然である。
 そんな問いに、パチュリーは紅茶を口に運びながら答えた。
「友達を助けたいって言っていたのよ」
「そうね。本人は隠していたみたいだけど」
 レミリアはわかって尋ねている。
 パチュリーも勿論それを知っている。
 ならばなんと無用な会話なのか。
 しかし永きを生きる者達にとって、友人との無駄話も大切な暇つぶしなのだ。
「あれで隠していると思っているのかしら……。まあ妖精だから仕方のない話ね」
「私は運命を“視る”ことができるから、あの子を見た瞬間に分かったけど」
「別になんだって良いわ。隠していようがいまいが、私には関係ないことだし」
 それもそうだとレミリアは笑う。
 しかしならばどうしてパチュリーは大妖精の手助けをしてあげたのか。
 それもレミリアには分かっていた。
「友達……ね。吸血鬼も病気になるのかしら?」
「さぁ? 私の知っている吸血鬼は病気になったことがないから分からないわね」
「そう、残念ね。私がもし病気にかかったら誰も助けてくれないじゃない」
「大丈夫よ。貴方はどうあっても病気にはかからないから」
「そうかもしれない。メイド達は私の体調に随分気を遣ってくれているし」
「まぁ、もし病気になったら――」
 そこでパチュリーは言うのを止める。
「何よ、気になるじゃない」
「別に……。病気にはかからない貴方に言っても仕方のないことだわ」


 そう言って私は本を開く。
 レミリアは続きを聞きたいようだが、言ってはやらない。
 もし彼女が本当に病気になったら教えてあげよう。
 私はあの妖精のように、素直に言ってはあげないのだ。

 ……というか病気に気をつけなきゃいけないのは私の方ね。


 ★


 おおきなやかたで氷をゲット。
 くらやみのなか、大妖精はいそぎます。
 すぐにかえってあげたいけれど、まだ行くところがあるのです。
 りっぱなやしきがたたずむ竹ばやしへと。


 ☆


 幻想郷の外れにある巨大な竹林。
 その中にひつそりと佇む屋敷が一つ。
 周囲の景観と相まって、まるでいつ来ても変わらぬ姿を残すその屋敷は、永遠亭と呼ばれている。
 大妖精がやってきたのは、ここに幻想郷一の薬師がいるからだ。
 その薬師には作れない薬はないという。
 ならば妖精の風邪にも効く薬を作ってもらえるかもしれない。
 そうすれば医者に直接診せることなく、チルノを助けてあげられる。


 ただ一つ、問題があった。


「起きてるのかな……」
 大妖精は玄関前で考えていた。
 まだ日も変わって間もない深夜。
 紅魔館は、主が夜行性のため夜に行ってもかなりの人数の者が起きている。
 だから何も問題はなかったのが、それはあの場所が特別なだけである。
 夜は妖怪の時間であり、それ以外の生き物の殆どは眠りにつく時間帯だ。
 この永遠亭の住人も、夜は眠っているに違いない。
 そのことをここに来てから大妖精は気がついたのだった。
「どうしよう……」
 うろうろと玄関の前をうろつき、名案を思いつかせようと頑張る大妖精。
 しかしなかなか良い案は浮かばない。
 相手が眠っているなら昼間来れば良いものだが、今の大妖精にはそんな悠長な考えはできないのだ。
 なんといっても友達の無事がかかっている。
「でもでも叩き起こすなんて迷惑だし、あーでも起きて欲しいし……」
 同じ所を行ったり来たり。
 なかなか前に踏み出せない。
 うんうん唸ってみても、それで良いアイデアが浮かべば苦労はしない。

 ……いや、効果はあったらしい。

「人の家の前で何が唸っているのかと思えば……」
 がらりと戸が開けられて、中から寝間着姿の少女が現れた。
 頭上にはいわゆるウサ耳が生えており、彼女が人間ではないことは一目瞭然。
 その耳はまるで誰かに握り丸められた後のようにくしゃくしゃになっている。
 この永遠亭には兎が大勢暮らしているが、そんな耳をしているのは一羽だけ。
 月から落ち延びた鈴仙・優曇華院・イナバ、彼女だけである。
 
 長い薄紫の髪を寝癖が付かないように頭上で纏めているが、紅い瞳は今起きた風ではない。
 だが眠たそうに見えるその様子から、今から寝ようとしていたことが伺える。
 まだ起きていた者がいたのだ。
「ここらでは見かけない顔ね。ここに用があるの?」
 鈴仙は珍客に対し、穏やかに尋ねた。
 相手が魔法使いや巫女なら話は別だが、目の前にいるのは妖精一匹だ。
 彼女一人に何ができるわけでもないだろう。
 それにそもそも悪意の波長も感じられないし、と鈴仙は判断した。
「あ、えと……薬師さんはまだ起きてますか?」
「師匠のこと? うーん……どうかな、実験してたり本を読んでいたら起きてるかもしれないけど」
「会えませんか?」
 大妖精の懇願する瞳に、鈴仙は困ったように頭を掻く。
 相手の目的が師匠――八意永琳との謁見であることはわかった。
 だがこんな時間だから眠っている可能性は大いにあり得る。
 仮に起きていたとして、永琳が会ってくれるかどうかはわからない。
「私が言付かってあげるから、明日また来たら?」
「今会いたいんですっ」
 どうにも引き下がるつもりはないらしい。
 可愛い外見とは裏腹に、結構芯の通った頑固者のようだ。
 自分も早く寝たいし、あまり夜中に玄関先で騒ぐものではない。
「しょうがないわね。様子を見てくるからここで待っていて」
「分かりました、ありがとうございますっ」
 そう言うと鈴仙は屋敷の奥に姿を消した。



 鈴仙が戻ってきたのはそれから数分後のことだ。
 そんなに時間が掛からなかったところを見ると、永琳はもう寝ていたのだろうか。
 だったら仕方がない。明日また来るしか選択肢は無い。
「良かったわね。会ってくれるって」
「え?」
 ダメだと殆ど諦めていた大妖精に告げられたのは、快く引き受けてくれた返事だった。
 面白そうだからいいわよ、と二つ返事に頷いてくれたのだという。
「それじゃあ案内するから着いてきて」
「はいっ」


 永遠亭の長い廊下を案内されて、奥の方の部屋までやってきた。
 他の部屋の者達は皆寝静まっているらしく、鈴仙と大妖精は音を立てないようにして
 目的の部屋へと辿り着いた。
「師匠、さっき言ってた妖精を連れてきました」
 少々控えめな声で戸の向こうへと話しかける鈴仙。
 まもなく、どうぞという声が帰ってくる。
「それじゃあ私はもう寝てくるわ。あなたも程々にね」
 だいぶ目がとろんとしている。
 寝ようとしていたときに、こうして客の相手をしたのだから当然だ。
「あ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ〜」
 ひらひらと手を振って去っていく鈴仙を見届けた後、大妖精は扉を開いた。
 中には大妖精が見たこともない道具がひしめき合い、そこだけまた別空間のような錯覚さえ感じさせる。
 日本家屋の中だというのに、フラスコやらビーカーやら不似合いな物ばかり。
 そのどれにも見目毒々しい液体が入っている。
 中には危なそうな煙まであげるものや、発行までしているものなど様々だ。
「そんなに珍しい?」
 眼鏡をかけて、白衣を着た女性が近づいてくる。
「初めまして、八意永琳よ」
「あなたが薬師さんですか?」
「まぁ……そういうことになるかしら」
 実のところ永琳は薬師としての腕があるだけで、薬師としてここにいるわけではない。
 姫の護衛が永琳の本当の仕事である。
 ただし護衛としての仕事など滅多にないので、こうして自身の研究に勤しみ、
 時には永遠亭の経済状況を救うべく薬を売って生計を立てて過ごしているのが現状だ。
 それが噂になって、いつしか薬師としての名が有名になったのだろう。
「ということはご依頼?」
 薬師としての自分を訪ねてきたのだから、自然と行き着く答えはそれになる。
 しかし妖精が遠路はるばるやってきたということは、何か重い理由があるのかも知れない。
「えと……妖精にも効く風邪のお薬は作れますか?」
「風邪薬か。妖精も風邪を引くのね」
「引きますよぉっ」
 どうやらバカにされたのだと勘違いした大妖精は仲間を代表して憤慨する。
 永琳は何もバカにしてそう言ったわけではない。
 素直に自身の知らなかった事実に驚きの感想を述べただけだ。
「まぁ落ち着きなさい。とりあえず用件は分かったわ」
 大妖精をなだめながら永琳は眼鏡を外す。
 その端麗な顔に微笑を湛え、大妖精に茶を勧める。
「でも、わざわざこなん深夜に薬をもらいに来るって位だから誰か重症の子でもいるの?」
「え!? えっと……はい」
 永琳は自分のことを知らない。
 ということは自分がチルノと仲がよいことも知らないはずだ。
 ならば多少話してしまった方が、頼みを聞いてもらえやすいかもしれない。
 そう考えた大妖精は頷いた。
「そう……だったら薬よりも実際に私が診てあげた方が早く治せると思うけど」
「そ、そこまでは酷くないですっ」
「そうなの?」
「そうなんですっ」
 大妖精はボロを出さないように必死だ。
 しかし必死になればなるほど、ボロを出しやすいということにはまだ気がついていない。
「妖精の風邪か……。症状は人間が引くものと同じ?」
 永琳はさらに幾つかの質問をし、大妖精も頑張ってそれに答えた。
 そしてでた結果は……

「そうね。その子の体はあなたと同じであれば、作れないこともないわ」
「本当ですかっ?」
「ただし……」
 永琳の口元が不敵に歪む。
 両手の指がワキワキと怪しげに動いている。
「え、えと……」
 困惑する大妖精。
 いつの間にか壁際まで追い詰められていることに、今になって気がついた。
「言ったでしょう? その子の体はあなたと同じであればって……。
 その為にはあなたの体を調べる必要があるのよね、うふふ」
 しまったと思ったときにはもう遅い。
 両肩をぐわしと掴まれ、完全に逃げ場を失う大妖精。
「大丈夫。全部お姉さんに任せておきなさい……。痛い事なんて何もないから」
 その声は確かに相手を安心させる穏やかで優しいもの。
 しかし、直に聞いている大妖精にはまったくそんな効果はない。
「あの、あのっ」
「さぁ、緊張しないで……」


 それから大妖精がどのような目にあったのかは、想像にお任せしよう。
 とりあえず酷い目に遭ったわけではなく、一言で言えば「お医者さんごっこ」的な
 そんなことを考えてもらえればそれで良い。




 全てが終わったとき、空には太陽がその姿を見せようとしていた。
 天を仰げば、蒼と橙が混じる朝焼け独特のグラデーションが視界に広がる。
 竹藪の緑と融け合って、えも言われぬ美しさを醸している。
 永遠亭を出てきた大妖精を迎えてくれたのは、そんな美しい光景だった。
「あ、ありがとうございました」
 玄関口までは永琳が自ら送ってくれた。
 色々調べさせてもらったお礼のつもりなのか。
 とりあえず薬は完成した。
 大妖精の手にはその薬が入った小さな薬壺がある。
「そのお友達によろしくね」
「はい……」
 どこか苦手意識の芽生えてしまった相手に、大妖精の返事の歯切れは悪くなる。
 怯えさせてしまった相手に、永琳は少しやりすぎたと苦笑を浮かべる。
「こちらとしても妖精について色々と調べられて良かったわ」
「そ、そうですか……」
「今度はその友達も連れてきなさいな」
 その言葉に大妖精はびくりと肩を震わせる。
「あー、今日みたいなことするわけじゃないから」
 今日のお礼にね、と永琳は笑う。
 その言葉に大妖精もホッとした表情を見せた。
 そしてぺこりとお辞儀をすると、橙色の消えゆく空へと飛び立っていった。
『えーりん様ーっ、朝餉の支度ができましたよー』
 屋敷の奥から食事当番の兎の声が届く。
 どうやらもうそんな時間らしい。
 永琳は今一度大妖精が飛び立った空を見上げて微笑んだ。
「お大事にね……」


 ★


 そうどうのあと、ようやくかえれた大妖精。
 れいきゃくざいとおくすりを手にいれました。
 はやくチルノのところにむかわないと。


 ☆


 どれだけ眠っていたのだろう。
 体がだるくなって、頭がぐらぐらして。
 体全部がとっても熱くなって、それからのことはよく覚えていない。


「う……ん」
 涼しい風が心地よい。
 ここ数日の暑さがまるで嘘のようだ。
 チルノは久しぶりに快適な目覚めを迎えた。
「あれ……あたいどうしたんだっけ」
 あー、なんか怠くなって寝床から動けなかったんだっけ、と記憶を辿る。
 ぽりぽりと頭を掻いて辺りを見回す。
 ここは自分の家だ。
 特に変わった様子はないが、なんか違う感じがする。
 見れば部屋の片隅に氷の塊が置かれていた。
 それは自分の作った物ではない。
 それにただの氷でないことは、氷精であるチルノにわからないはずがなかった。
「いったい誰がこんなものを……」
「うーん……チルノちゃん……」
 呟いたチルノの声に、別の声が重なり聞こえる。
 その声のした方――足下の方に視線を動かす。
 なんだか下半身が重いと思ったら、自分の体を枕にして眠っている奴がいた。
 よく一緒に遊ぶ大妖精だ。
 どうして、なんで、という疑問がチルノの頭を駆けめぐる。
「早く良くなってね……」
「え?」
 そういえばおぼろげだが、大妖精が自分の看病をしてくれていた気がする。
 部屋に氷を置いてくれたり、なんだか苦い物を飲ませてくれたり。

「……ありがとうね」

 チルノは大妖精の笑顔に向かって自身も笑った。
 大妖精が起きたら、目一杯遊ぼう。
 どれだけの時間眠っていたのか分からないけど、その分を取り返すんだ。


 自分はこんなにも元気になったのだから。


《終幕》


☆後書き☆

 あー、どうでしたでしょうか?
 いいと思っていただけたら幸いですね。

※ネタのヒント
 タイトルが問題。
 解答は幕間のお話、そしてこの後書きの中にありますよ。

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