夢も希望もない話


 師走の月、廿と四の日――――。


 その夜は特別である。多分大晦日の夜の次くらいに。
 子供達は夢と期待に胸躍らせながら、布団に潜って朝を待つ。
 ちゃんと寝ないと来てくれないと両親の言い付けきちんと守って夢の中。
 勿論夢では紅い服に白ひげのあのおじいさんとご対面。
 今年一年よい子にしてたかな。
 子供が笑顔で頷くと、そのじいさんもにっこり微笑む。
 そうして目を覚ましたら、枕元には素敵な素敵なプレゼント。


 ……ただし、これは外界の話である。


 ☆


 年の瀬となり忙しいところは忙しく、変わりないところは変わりない師走の日々を送っていた。
 紅魔館や白玉楼、永遠亭などでは大晦日に向けての大掃除が早い時期から着々と進められている。
 特に白玉楼は掃除をするのも料理をするのも半人しかいないので大変だ。

 そんな場所があるかと思えば、一転して働きもしない連中もいる。
 それは特に時間の感覚が季節の巡り程度しかない妖怪や妖精達である。
 彼等にとって新年が来ようと来まいと関係なく、ただまた冬か終わって春が来る程度のことでしかない。
 ある程度文化的な要素が必要な行事だから仕方がないと言えば当然か。


 そんな連中の一角が今日も寒いというのに、元気に弾幕ごっこを繰り広げていた。


 ☆


「なんで二回も連続で負けちゃうのよっ」
 いまさっきルーミアに負けたばかりのチルノは大の字に寝ころんだまま喚いた。
 冬は彼女が一番力を発揮できる季節だ。
 それなのに二回も続けて負けてしまい、それは彼女のプライドを大いに傷つけている。
 そこへ人数的にあぶれたリグルが近づいてきた。その顔に浮かんでいるのは心配ではなく呆れ。
「チルノの攻撃は単純なのよ。それに一回目と同じスペルカードばっかりじゃ尚更ね」
「ふんだ。負けたら今度は同じ方法で勝ってこそさいきょーなんじゃないの」
 せっかくリグルがアドバイスをしても、チルノは全く聞く耳を持たない。
 だからまた負けてしまうのだという考えが浮かばないのだろうか。多分そうなのだろう。
「で、またやるの?」
「もちろんよっ」
 がばりと起き上がり、チルノは再び空へと舞い上がる。
 リグルが溜息をついているのも何処吹く風。あくまで自身のペースを崩さないのが妖精の性分だ。

「さぁルーミア、二度ある仏の顔も三度までの正直よ」
 多分知っている「三」の付くことわざをくっつけたのだろうが、
 全く意味が分からない言葉になっていることに本人は気がついていない。
 いや言われているルーミアに関しても、わはーと笑っているところを見る限り
 気がついていないというか理解しようとしていないように見える。
 まあ似たもの同士だからこうして仲が良いとも言えるのだが。
「それじゃあいくわよ――って、余所見するなんて良い度胸じゃないの」
 せっかく前口上も――本人にとっては――ばっちりだったのに、肝心の相手がこれで拍子抜けだ。
 しかしルーミアは喚くチルノに見向きもせずに、ただある方向だけを見つめ続けている。
「そうじゃないよ。あれ何かなーって」
 ルーミアが指差す方向。
 よくよく目を懲らしてみると、その彼方には何やら紅い影が飛んでいる。
 四角い箱みたいな物に乗って、それを馬のような鹿のような動物に引かせている。
 やたらと目立っているが、感じたことのない気配にチルノとルーミアは首を捻った。
 紅くて空を飛ぶと言えば巫女くらいなものだが、あれは巫女には見えない。
「どうしたの?」
 いつまで経っても弾幕ごっこが始まらない為かリグルもやってきた。
 そして同じようにその影の正体が分からずに首を捻る。
「なんだろうね。特に強い気配はしないけど」
「新しい妖怪かな」
 それなら自分たちが知らなくても当然のことだ。
 相手が新しい妖怪もしれない。その次はどうするか――――
「どれだけ強いのかな」
 妖怪の中で重視されるのはその力量。
 強い者は弱い者を無条件に従え服従させられる。
 チルノ達もそこまでのことは考えていなくとも、やはり相手の力が気になるという点は変わらない。
「じゃあ、とりあえず」
「何する気よ」
「決まってるじゃん。こうすんのっ」
 チルノはなんの躊躇いも遠慮もなく弾幕を放った。リグルが止める暇もない。
 勿論その対象は得体の知れない紅い影。
 弾幕ごっこに持ち込んでしまえば嫌でも相手は力を見せざるをえないだろうとの考えなのだろうが極端すぎだ。


「さぁ、あんたの力を見せてみ――」


 命中――撃墜……


「……ありゃ?」
 唖然となる三人。
 しばらくして我に返ったチルノは、
「や、やっぱりあたいってさいきょーねっ」
「言ってる場合じゃないよっ」
「そーなのかー」
「そうなんだって! あーもう、行くよっ」
 空気の読めないチルノ。つっこむリグル。天然なルーミア。
 三者三様に騒ぎながら、三人の妖怪少女は撃墜現場へと急いだ。


 ☆


 確かに不意打ちだったと言えば不意打ちになるだろう。
 だが気付けば避けられる距離だった。それをああまでも見事にぶつかってしまうとは。
 まるでただ空を飛ぶくらいの力しかない人間でも撃ち落としたようだ。
「たしかこの辺に落ちたと思うんだけどなぁ」
「まったく、あんな弱い奴放っておけばいいのよ」
「だったらなんで付いてきてるのー?」
「べ、別に。あんた達が行くって言うから仕方なく付いてきてあげてるのよ」
 そんなやり取りを続けていると、森の中に例の目立つ紅色を発見した。
 近くには木の破片が散らばっており、何かが壊れたようにも見える。
 何かに乗ってるように見えたから、多分それが壊れたのだろうと3人は結論づけた。
 だが今はそんな物より、それに乗っていた者の方が気に掛かる。
 さてご対面と、うつ伏せに倒れているそれを転がして顔を見てみると。
「なんだおじいちゃんじゃん」
 どんな奴かと思ったら、真紅の派手な服を着た只の老人だった。これなら弱くて当然だ。
「まだのびてるねー」
「どうする?」
 とりあえず起きないことには話も聞けない。
 じゃあ起こそうか、ということになったのだが……。
「どうやって起こそっか」
「揺すっても起きなかったしね。後は少しくらい痛みを与えるとか――」
「痛けりゃ起きるのね」
 リグルの言葉を最後まで聞かず、チルノは腕を高々と振り上げた。
 そして容赦なくトールハンマーの如き一撃を振り下ろした。
 パチンとか可愛らしいものではなく、パアンッとか景気の良い音でもなく。
 チルノの手の平が奏でるその音は、ベチイッという痛みが内部に籠もりそうな酷く生々しいものだった。
 傍にいるリグルとルーミアがあまりにもな音に耳を塞ぎたくなるほどのものといえば多少は想像がつくだろうか。
 そしてその叩いた――殴ったに近い――本人は、至って平然と、
「痛いと起きるんでしょ?」
 いやそうだが。痛いを通り越してしまっては元も子もないのではないだろうか。
「う……何があったんだ」
「起きるのっ!?」
 まるで何事もなかったかのように起き上がる老人に、リグルがツッコミを入れる。
 ふくよかで面の皮は厚そうに見えるが、それでもあれは痛いに違いない。
「おや、君たちは誰だね」
 しかもリグルのツッコミは完全にスルーされてしまっている。
「あたい達はおじいちゃんを助けに来たのよ」
「いやいやチルノ、助けに来たのは私達で、あんたはこの人を落と――ムグッ!?」
 リグルの口を塞ぎながら、チルノは老人との会話を続けた。
 老人はそんな二人を微笑ましげに見つめており、なんら自身は関係なさそうにしている。
 かなりマイペースな性格なのだろう。
「助けに……。そうかそういえば儂は突然ソリから落とされたんだった」
 そんなこと真っ先に思い出すべき事だろう。
「そ、そう! あたい達はそれを見て飛んできたってわけ」
「そうか。君たちは良い子だね。……人間には見えないんだが」
 今更になって老人はチルノ達の羽やらなんやら、要するに人外たる姿に気付いたらしい。
 しかし人外と分かっても驚く様子はない。まったくもってマイペースとしか言いようがない。
「それにしても……ここはいったいどこなんだ」
 改めて周囲を見回し、老人は不思議そうに首を傾げる。
「確か日本に向かって飛んでいたはずだが……君たち、ここは日本なのかな?」
「ニホン?」
 人差し指と中指で所謂チョキの形を作って差し出す三人。
 馬鹿丸出しにも程があるが実際に知らないのだから仕方がない。
 老人も三人がふざけているわけではないことはわかったようで話を続けた。
「日本を知らない……じゃあここはどこなんだね?」
「ここは森の中よ」
 ルーミアが当然と言わんばかりに答えるが、それは違う。
 だが他の二人が言ったところで正解は出なかっただろう。横で頷いているし。
「はは、質問が悪かったね。ここは国の名前で言えば何処なのかな」
「国って言われても……ここは幻想郷だし」
「幻想郷?」
 今度は老人の方が首を傾げた。
「はて、そんな国は聞いたことがないぞ。これまで担当になった地域とは別の所か?」
「おじいちゃん、何ぶつぶつ言ってるのさ」
 チルノの不満げな口調に、老人はすまんねと笑いながら謝った。
「つい考え事をしていてな。そうだ、もう一つ聞きたいことがあるのだが良いかね?」
「聞きたいこと?」
「あたいがなんでも答えてあげるわっ」
「それは頼もしい。じゃあここから儂が元いた場所に戻る方法が知りたいのだが」



 誰も答えることができませんでした。



 ☆


「ねぇーっ、本当に行くのー?」
 チルノがとても不満げな声で先行く二人に話しかける。
 リグルとルーミアは老人を挟むようにして歩きながら、その言葉をスルーし続けていた。
「良いのかい? 友達は凄くいやがっているようだが」
「良いの良いの。チルノはあの人が苦手なだけだから」
 結局誰も老人の問いに答えることができなかったため、三人はそれに答えてもらう為にある人物の元へと向かっている。
 向かっているのだが、チルノは気乗りしないようで文句をずっと垂れ続けている。
「あいつだって答えられないってば。もっと他の奴の所が良いんじゃない?」
「でも他の人の所に行っても私たちの言うことなんて聞いてくれないじゃない」
 何を言っても言い返されてしまい、チルノもついには黙りこくってしまった。



 四人はしばらく歩いているうちに開けた場所に出た。
 先日の雪で一面真っ白に化粧されている。
「たぶんここにいるはずなんだけどなぁ」
 きょろきょろと辺りを見回すリグルとルーミア。
 だが周囲には雪兎の影も見えない。
 チルノからしてみればあまり会いたくない相手がいないのは好都合だ。
「いないいない。さぁ帰るわよ」
 見つからないのを良いことに、さっさとこの場を離れようと急かすしだす始末。
「いないって誰がいないのかしら?」
「ぎゃーっ!!」
 がばぁっと雪の中から現れ出でたる巨体、もといチルノから見て大きな背丈。
「やっぱり雪の中でお昼寝するのは気持ちいいわぁ」
 体中に付いた雪を払いながら、とても満足そうに言う少女。
 そんなことができるのは彼女、レティ・ホワイトロックくらいである。
 普通そんな所で昼寝をすれば間違いなく昼を過ぎて永眠になってしまう。
「あらリグルにルーミア、……それにそこで腰抜かしているのはチルノね」
「そんなところで昼寝なんてするなーっ」
 雪の上に尻餅をついたまま腕を振り上げて喚くチルノ。
 彼女にしては至極まっとうな反論だが、その体勢ではどう見ても負け犬の遠吠えだ。
「これはまた愉快なお友達だね」
 老人は相変わらずなマイペースぶりを発揮して微笑んでいる。
 ここまでくると寛容とかおおらかとかそういったものを超越しているとしか言いようがない。
 だがそんな老人とは裏腹に、彼を見たレティの顔からは表情が消えていた。
「……どうやら訳ありのようね」


 ☆


 三人から事の次第を聞いたレティは、まず大きな溜息をついた。
「チルノ。見ず知らずの相手にいきなり勝負をふっかけるのはあれほど止めなさいと言ったじゃない」
「ふん。あんたの言う事なんて誰が聞くもんか――って痛い痛い痛い!」
 そっぽを向けた頬をつねられて、流石のチルノも降参の意を示すように手を振った。
「さてと、それじゃあ本題に入りましょうか」
 真っ赤になった頬をさすり目には涙を浮かべるチルノには目もくれず、レティは老人と向き合うように立った。
 そしてなんの前触れもなく、本当に唐突にレティは告げた。
「あなた、サンタクロースでしょう?」
「ほぅ、ここにもサンタの文化は浸透していたのかね」
 レティが自身のことを言い当てても、老人はまったく驚く様子は見せない。
 だがそれは、それまでのマイペースぶりとはまた違うものだった。
「そうじゃないわ。幻想郷で“あなた達の文化”を知ってる人は限られてる」
 レティは何故か哀しそうな顔を浮かべ、それを聞いたサンタと呼ばれた老人は寂しそうな顔を浮かべた。
 しかし蚊帳の外の三人はどうして二人がそれぞれそんな顔をしているのかまったく分からない。
 分からないことずくめだと、知りたくなるのは当然だ。
「ねぇさっきから何を話してるの?」
「そうよ。私たちにも説明してよ」
「せっかく聞きに来てあげたんだから。つねられただけなんて嫌だからね」
 口々に急かす小さな妖怪少女たち。
 しかしレティは首を横に振って、彼女たちの問いには答えなかった。
「後でね。……それよりもあなたが知りたいことだけど、私にもわからないわ」
「そうか……」
 残念そうに笑うサンタ。
 そんなサンタにレティは言葉を続ける。
 虚空の彼方、その先にある場所を見据えるように空を眺めながら。
「でも、あそこなら――博麗神社ならきっと」


 ☆


 サンタは教えてもらった神社への道を歩いていった。
 もうここまでで良いよというサンタの言葉に従い、チルノ達はレティと共に雪原に残っている。
「さてと、それじゃあ昼寝の続きでも……」
 さも何事もなかったように、再び雪の中に潜り込もうとするレティ。
 それを大きな声が制止した。
「ちょぉっと待ったあ!」
「何よ〜」
 心底面倒くさそうな顔をするレティに、もはやそのポジションが確定したリグルが突っ込んだ。
「まだ私たちへの説明が終わってない」
 勝手に話を進めて、勝手に話を終わらせて。
 それではこの寒い中自分たちがやってきた意味がない。
 彼女の両隣に立っているチルノとルーミアも納得がいかない様子で睨んでいる。
「別に面白くも何ともない話よ。それでも聞きたいの?」
 それを聞くとチルノの顔から剣幕が一瞬にして消えた。
「面白くないならあたいは……」
 面白くないの一言で一気に興醒めしてしまったらしい。
 そんなチルノにルーミアが痛烈な一言を放った。
「チルノは黙ってた方が良いよ」
「ルーミアに言われたっ!」
 まったく無為な会話を続ける二人に、リグルは溜息をつきながらレティを促した。
「はぁ……。私だけはちゃんと聞くから話してよ」
「あなたも大変ね。いいわ、そこまで言うなら話してあげる」
 レティもこのまま帰しては、リグルが可哀想に思えたのか話を始めた。
「あのお爺さんの正体だけど。あなた達は知らないのよね」
「うん」
 空が飛べる力を持っている程度のことしか3人は知らない。
「たしかサタンクロースっていう名前だったっけ?」
 チルノはうろ覚えな記憶から老人の名前を引きずり出してきた。
 だが惜しいかな、その記憶は間違って覚えてしまったものだった。
 ありきたりと言えばありきたりな大ボケに、レティもリグルも苦笑しか浮かばない。
「サタンじゃ悪魔になっちゃうわ。「サンタ」よ、サンタクロース」
「そうサタンクロース!」
「いいから続けて」
 うなだれながら告げるリグルに、そうねとレティは先を続けた。
「サンタクロースって言うのは、外界にいる精霊みたいな存在よ。
 一年に一度、その一年よい子だった子供達にご褒美としてプレゼントをくれるの」
「へー、あのおじいちゃん外界から来たんだー」
「自分とは関係ないのにプレゼントなんてするの?」
 ルーミアが抱いた疑問はもっともなものだ。
 見ず知らずの子供達がよい子にしていたからといって、プレゼントをあげる義理などどこにもない。
「その辺りは私にもわからないわ。詳しくは本人に聞かないことにはね」
 なんにしてもそういう存在なのよ、とレティは強引に話を続ける。
「ただね。ここの所外界ではその存在に対する認識が変わってきているようなの。
 それまではいると信じてくれる子供達が大勢いた。でも今は子供達が
 “サンタなんて実際にはいないもの”として彼等の存在を認識しつつあるの」
 だからその存在が幻想となりつつあるサンタが時折こうして幻想郷に迷い込むのだとレティは話を締めくくった。
「ふぅん。そうだったんだ」
「外界の精霊ねぇ……。だからあんなに弱かったのか」
 ごちんとチルノの頭に叱咤の鉄拳が振り下ろされる。
「あうっ!?」
「どうやら反省してないみたいね」
 小さな子供を叱る保護者のようなレティの視線に、チルノは涙目で睨み返す。
「うー……レティなんて嫌い嫌い大嫌い〜っ」
 なんのひねりもない直情的な負け台詞と共にチルノは飛び去ってしまった。
 その小さな青い影が雲一つない蒼天に消えていくのを見送りながらレティはやれやれと肩をすくめる。
 チルノのはいつまで経ってもあんな感じだ。変わらないのが良いのか悪いのか……。
 冷気系ということで対抗心を燃やしているのか、それとも単なる子供っぽい反抗心なのか
 どちらの理由か定かではないが、どちらにしてもチルノが自分の言うことを聞いた試しがない。
「あなた達、追いかけなくても良いの?」
 仮にもと言ってはなんだが3人は友達だ。
 その一人が飛んでいってしまったのなら追いかけるのがひとまず当然な選択だろう。
 しかしその二人は
「うん……。なんだか今日は疲れちゃったし」
「それじゃ私は追いかけてくるねー」
 まだまだ元気の余っているルーミアがチルノの飛んでいった方角へと飛び去った。
 残ったのはレティとリグルの二人だけ。
 もうすぐ日も傾き白い世界に橙が混じろうとしている。
「それでここに残ってどうするの?」
「どうしようか」
「私に聞かれても困るわよ。別にすることもないんだったら帰るか、それとも……」
 もう少し私とお喋りしていく? とレティが微笑う。
「付き合って欲しいならそう言えば?」
「あら、誰もそんなことは言ってないわ。あなたこそ素直にもう少し私の話が聞きたいから残ったって言えばいいのに」
「どっちもどっちね」
 二人は揃って吹き出す。
 笑い声は白い息となって空の彼方へと吸い込まれて消えた。


 ☆


 レティから逃れるように飛んできたチルノ。
 がむしゃらに飛び続けた為自分の居場所がいまひとつ把握できない。
 森の中、ということだけは理解できるが森などいくらでも広がっている。分かるはずがない。
「ぅぅ、全部レティの所為だーっ」
 やり場のない苛立ちをとりあえず今一番むかついている相手の名前に乗せて叫ぶ。
 しかしそんなことで現状が変わるはずもなく、その叫びも北風にかき消されてしまった。
「はぁ、空しいってこういうのを言うのかしら」
「チルノがチルノらしくないこと言ってるー」
 もの凄く馬鹿にした台詞を刹那にキャッチし、その方向へ怒りの双眸を向ける。
 そこには無邪気な笑みを浮かべる無邪気な少女が浮かんでいた。
「ルーミア、もういっぺん言ってみなさいよ! 氷漬けにしてやるからっ」
「寒いの嫌いだから嫌」
「あたいだって馬鹿にされるのは嫌よ」
「じゃあ言わない」
「だったらあたいも凍らさない」
 なんだかんだで仲直り。お馬鹿さんと天然無邪気の会話でツッコミ役は不在。
 そんな不思議会話をしている二人の元へ、近づいてくる者がいた。
「おや、また会ったね」
 二人が同時に振り向くと、そこにははでな紅い衣装に身を包んだあの老人が微笑みを浮かべて立っていた。
「あ、サタンのおじいちゃん」
「サンタだよ、お嬢ちゃん」
 名前を間違われても、怒らないし取り乱しもしないのは流石と言うべきか。
 それとも持ち前のマイペースな性格故か……。
「神社に行ってきたんでしょ。どうだった?」
「あぁ、巫女さんが迎えてくれたよ。随分面倒くさそうだったがね」
 チルノとルーミアは揃って「あーやっぱり」という顔をした。
 あの巫女が突然の来訪を快く出迎える姿など想像できない。
「それで? 知りたかったことは聞けたの?」
「あぁ、聞けたよ」
 しかしサンタの顔はあまり嬉しそうではない。
「どうしたの?」
「聞くことはできたんだが……」
 もうわしはここからは出られないらしい。
 サンタは寂しそうな笑みと共にそう溢した。


 ☆


「ちょっと、サンタはここから帰れないってどういうことよ」
 チルノ達がサンタと再会していた頃、リグルもレティの口から同じ話を聞かされていた。
「どうもこうも、ここで生きてる私達ならわかるでしょ」
 幻想郷と外界。
 博麗大結界によって隔たれた二つの異なる空間。
 外界で幻想になったもの、若しくは結界の綻びに偶然辿り着いてしまったものしか立ち入ることはできない世界。
 そして出ることは特殊な力を持ってしか適わない。
「それじゃ、あのおじいちゃんは……」
「ここで暮らすしかないわね」
 レティ言葉には冷酷さも同情も込められていない。
 それが事実であり、変えることのできない答えなのだ。
「そういえばレティはサンタのことを知っていたけど、レティは何か分からないの?」
「わかっていたら真っ先に教えているでしょう」
 わざわざ博麗神社の場所まで教えておいて、じつは知っていましたなんて酷いとしか言えない。
「そっか……。でもどうしてレティは知っていたのよ」
「それはね、前にも一度サンタクロースに会ったことがあるからよ」
 その時のことを思い出したのか、レティはとても寂しそうな顔をした。
 その顔を見ればその時どんなことがあったのかなんとなく窺い知れる。
 だからリグルはその詳細を聞くことはできなかった。いやしようとしなかった。


 ☆


 幻想郷には幻想になったものが流れ着くの。
 あなただって例外じゃないわ。外界であなたの存在は幻想になってしまったようね。
 元いた場所に戻る方法が知りたいとのことだけど、生憎そんなものはないわ。
 幻想になった者ものが再び世に戻るなんて事、あなただって不可能なことだってわかるでしょ。
 ここに来てしまったなら、諦めてここで暮らす事ね。
 あなたの見た目は人間と大差ないし、特に力もないんだったらすぐにとけ込めるはずよ。
 人間の郷に人間の世話を焼くのが好きな奇特な半妖がいるからそいつを頼ると良いわ。

 最後に一つ言っておくけど、この幻想郷では本来のあなたとして生きることはできない。
 この世界にはあなたの存在意義そのものがないもの。
 これまでも何度かあなたみたいに幻想になった連中がやってきたけど、
 みんなサンタとして生きたいと願っていた。……でもね、それは無理な話なのよ。




「幻想郷、外界で幻想となったもの……あの子は色々なことを教えてくれた」
 サンタは霊夢が話してくれたこの世界のこと、自分の置かれた立場を思い出しながらチルノ達と話していた。
 もう戻れない。
 自分はすでに幻想のもの。
 それはとても哀しく寂しいことだ。
「それでどうするの? ここで暮らすしかないんでしょ?」
「そうだね……だが儂はどうしても自分の存在を諦めきれないんだよ」
 サンタとはなんだ。
 世界中の子供達に一年良い子にしていたご褒美を配る存在。
 クリスマスが近づけば子供達はサンタに欲しい物を願い、その到来を心待ちにする。
 子供達に配るのは欲しい物だけではない。夢を配るのがサンタの仕事だ。
「儂はサンタとしてこれまで数え切れないほどの子供達に夢を与えてきた。儂にはそれしかないんだ」
「でもここにはおじいちゃんのことを知ってる人はいないんだよ」
 わかっている。
 だがサンタはサンタとして生まれた以上、サンタとして生きるより他にはないのだ。
 人間の化けたサンタのように、その紅い服を脱げば元の生活に戻れるそんな手軽存在ではないのである。
 そして自分達はサンタであることに誇りを持っている。
「そうだね……でも儂はサンタなんだ。それ以外の何ものでもない……」
「そーなのかー」
「なんかよくわかんないけど格好良いわね。気に入ったわ!」
 半分も理解していないだろうが、正直に感心する二人にサンタは笑みを溢す。
 それも一時の慰めにしかならないだろう。
 それでも少しでもホッとできるならそれはとても嬉しいことだとサンタは思った。
「じゃあ、あたい達が手伝ってあげるわよ」
「?」
「サタンとして生きたいなら生きれば良いじゃない」
 とても簡単なことだとチルノは言い切った。
 ただサタン(悪魔)として生きたら、それはまずいと思われる。
 しかしチルノの言葉はサンタに最後の希望を与えたのだ。
「……はは、そうか。そうだな、最後の大仕事を頑張ってみるのも良いかもしれん」
 存在意義が無くても。
 サンタとして生きられなくても。
 自分がいる以上、やれることをやればいいのだ。
「そうこなくっちゃ! ルーミアもやるよねっ」
「うん、なんか面白そう」
「リグルは……ってリグルは!?」
 きょろきょろと辺りを見回し、きっといると思っていたもう一人の姿を探す。
 だが生憎その姿は雪原に残ったままだ。
「いないよ」
「むー……肝心なときにいないんだから。まぁいいわ、あたい達だけでやってやろうじゃない!」
 おーっ、と腕を振りかざして気合いを入れる二人。
 そんな二人を見ていると、自分が絶望していたことがなんだか些細なことのように思えてしまう。
「それじゃあ儂の最後の大仕事に、君達の力を貸して貰えるかな」
 サンタがそう尋ねると、二人の心強い妖怪少女達はにかっと笑って
「「任せといて!」」
 頼もしい言葉を口にしたのだった。


 ☆


 幻想郷に辿り着いたサンタの哀しい運命。
 リグルはレティと別れてからようやくチルノ達を追っていた。
 もう今日は会えないかもしれないが、それならそれでもいい。
 だが会えることなら誰かと一緒にいたかったのだ。
「どこにいるんだろう」
 だいぶ時間が経ってしまったからもうそれぞれの住処に帰ってしまったかもしれない。
 よい子はすでに寝ている時間だ。
 見上げると空は完全に黒の天鵞絨に覆われ、白い月だけがぽっかりと浮かんでいる。
 しかし次の刹那、その月があっという間に見えなくなってしまった。
 完全なる真闇が周囲を包み込む。
「なななななにが起こったの!」
 まったく突然の出来事にリグルは動揺する。
 目を開けているのに真っ暗。星の光も月の光も届かない深淵の闇。
「これってまさか……」
 こんなことができるとすれば心当たりは彼女くらいだ。
 だがここまで広範囲に及ぼす力が彼女にあっただろうか。
 そんなことを考えていると、今度は突然視界が真っ白に開けた。
 同時に急激な冷気が吹き抜け、リグルは思わずしゃがみ込んで目を閉じる。
 しばらくして冷たい風が止むと、リグルはぎゅっと瞑っていた目蓋を開いた。
「うわ……」
 リグルは息を呑んだ。
 目の前を光り輝く小さな宝石がゆっくりと舞っている。
 風の吹かない森の中、一つ一つが煌めく本当に小さな粒達が舞っている。
 リグルが腕を動かすとその動きに合わせて動きまた違った一面を魅せる。
 まるで万華鏡の中に迷い込んだかのような錯覚を覚える光景だ。
「凄い……綺麗……」
 幻想的とはまさしくこの事を言うのだろう。
 幻想の名が付くこの地で、幻想的という言葉ほど使われないものはない。
 だが目の前に広がるこの光景は“幻想”そのものにしか見えなかった。


 その夜――幻想郷は人知れず幻想に包まれていた。
 それを知っているのは夜の住人たる妖怪達。
 そしてこれを見た全ての者達が、奇跡を目の当たりにしたと感じたのは言うまでもない。


 ☆


 もうすぐ夜が明けようとしている。
 あの幻想的な奇跡の情景はすでに消え、すっかり元通りの姿に戻っていた。
 しかし一夜明けたくらいであの情景を忘れることなどできるはずもない。

 リグルはあの情景を思い浮かべながら朝露を求めて森の中を歩いていた。
 そんな彼女の目に見知った顔ぶれが映る。
「あ……」
「朝早くからお散歩かね?」
「……サンタクロース」
 名前を覚えてもらって光栄だ、とサンタはとても清々しい笑みを浮かべた。
 その表情にリグルは幻想から目が覚め、戸惑いを覚える。
 彼も自分がどういう運命に置かれたのかもう知っているはずだ。
 それでもそんな風に笑えるとはどういう風の吹き回しか。
「あの……ってチルノにルーミア!?」
切り株に腰掛けたサンタの傍らで大の字に寝ころんで、満足そうな寝顔をしている二人。
 風邪をひくかも知れないという考えは浮かぶはずもなく、ただ驚きしか浮かんでこない。
「この子達の力は凄いね。奇跡を形にしたらあのようなものを言うんだろう」
「やっぱりチルノ達だったのね」
 どうやったかはわからないがあの現象を起こしたのはこの二人だったというわけだ。
 しかしそれとサンタにどんな関係があるというのか。
 不思議そうな顔をしているのがばれたのか、サンタはこれまでのいきさつを話してくれた。
「この子達には儂の最後の仕事を手伝ってもらったんだ」
 それは師走の月廿と四の日、つまり昨日の夜に奇跡を起こすというもの。
 サンタクロースは夢と希望と奇跡を運ぶ。
 その最後の仕事をチルノとルーミアが手伝った。
「あれはダイアモンドダストという天候現象。だがあれだけ大規模で美しいものはまず見られないだろうね」
「だから奇跡……」
 サンタはとても満足そうに笑っている。
 何が彼をそうさせたのか、リグルにも分かった気がした。
「さてと、それじゃあそろそろ儂は行くことにしよう」
 よっこらせと立ち上がるサンタクロース。
 リグルは思わず尋ねていた。
「どこに行くのっ」
 それはこれから起こること、彼が辿ろうとしている道がなんとなく分かったからだ。
 サンタはリグルの言葉ににっこりと微笑みを浮かべた。
「儂は最後までサンタとして生きる道を選ぶ。それでは生きられないとしてもだ」
「でも……それじゃああなたは」
「ここには儂以外にもサンタが来たことがあるらしい……だが皆儂と同じ道を選んだはずだ」
 それがサンタというものだ。
 彼の目には優しくも強い決意の光が宿っている。
 リグルはレティが寂しげな表情を浮かべていた理由をはっきりと悟った。
 自分は今彼女と同じ体験をしているのだ。
「もし――」
 サンタは誰に伝えるでもなく、きっと全てに伝えるかのように呟いた。
「もしこのまま儂のようなサンタが増えれば、この幻想郷にも“サンタ”という文化が生まれるかもしれない。
 そうすればサンタはサンタとして生きられる日が来るかもしれない。だが……」



 願わくば、そうはならないように。



 ☆


 朝日が昇ってきた。
 山裾を夕焼けとはまた違った白橙が染めていく。
 白い雪がそれを反射して、景色全体が輝いているように見える。
 ダイアモンドダストも綺麗だったが、この光景も負けないぐらい美しい。
 そんな光景をバックに、サンタとリグルは別れの時を迎えようとしていた。
「それじゃあその二人によろしくと言っておいてくれるかな」
「うん」
「ありがとう。そして、メリークリスマス」
「めりー……?」
「クリスマスの挨拶だよ。幸せになれるおまじないでもある」
「そうなんだ。二人にも教えるね」
 もう完全に朝日が昇ろうとしている。
 しかしそれとは対照的にサンタの姿は薄く消えかかっていた。
 外界に戻ることも、幻想郷で生きることも望まない。それが彼が自身に下した選択だった。
「もう行っちゃうんだ。後悔とかしてないの?」
「これが儂の、サンタとして選んだ道。後悔なんてしてないさ」
 思っていたとおりの答えにリグルは満足そうに笑った。
 もう殆どサンタの姿は見えなくなりつつある。
 それでも消える最後の最後まで、リグルは笑みを浮かべ続けた。
 そんなリグルや、とても満足そうに眠る二人にサンタは最後の一言を送った。
「リグル、チルノ、ルーミア。ありがとう、そして――――」




“Merry  X’mas”




《終幕》


☆後書☆

 クリスマス小説です。ですがあまりハッピーじゃありません。
 むしろひねてます。サンタクロースがいなくなるなんてなんでこんなことを思いつくのか。
 まぁ皆さんはいつも通りのクリスマスをお過ごし下さい。
 捻くれた私はこんな小説を書いてのほほんと過ごすことにしました。

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