憂鬱な年末


 もういよいよ大晦日を控え、幻想郷の各地で年末の大掃除と新年の準備はラストスパートを迎えていた。
 一年中の溜まりに溜まったものを埃と共に払い落とし、真っ白な状態で新年を迎えるために。
 妖怪だってゴミ溜まりのような場所でいつまでも生活はできない。種族にもよるが大抵は無理だ。
 年末年始、大晦日、正月というのは大掃除の機会としては丁度良いのである。
 それはここ紅魔館においても同じで、メイド達が片付けと準備に分かれて着々と仕事は進んでいた。


 だがその喧騒の中、ある噂が飛び交っていた。


 ☆


 この時期は魔法使いも忙しいのか、はたまた泥棒稼業も休みなのか魔理沙が襲撃に来ることもない。
 その為門番である美鈴もこうして年末大掃除兼迎春準備の手伝いに参加させられている。
 元々肉体派である彼女にとって特別苦労する仕事ではないし、館のメイド達と交流を取れることもあって
 美鈴はこの年末の多忙な時期を楽しみながら過ごしていた。
「美鈴さ〜ん、新しい雑巾持ってきました」
「ありがとう。そこに置いておいて」
 今は窓ふきの担当を任されているメイド達を手伝っているところ。
 勤勉で人柄も良く、スタイルの良い容姿も相まって、美鈴はメイド達からはなかなかに好評を得ている。
 この時期くらいしか共に仕事をしない彼女達だが、互いにギクシャクして沈黙だけが支配するようなことにはなっていない。
 本当はいけないことではあるが、女性が集まれば会話に花が咲くのは当然なわけで、
 あちらこちらで指示以外の声が飛び交っている。
「そういえば美鈴さん、メイド長には会いました?」
「咲夜さん? 今日は会ってないけど、何かあった?」
 十六夜咲夜といえばこの紅魔館にいる大勢のメイドを束ねるメイド長だ。
 たかだか十数年しか生きていない人間にも関わらず、その仕事ぶりは完璧瀟洒。
 厳しさと優しさの両方を兼ね備え、そのうえ美形ときたものだからメイド達の憧れの的となっている。
 今も館内を巡り的確な指示を飛ばしていることだろう。
 そのメイド長がどうかしたというのか。
「実は最近元気がないそうなんです」
「そうなんですって……あなたは会ってないの?」
 美鈴は窓を拭く手を休めることなく、隣で同じ作業しているメイドに尋ねた。
「えぇ、会った子が言うには、いつもより溜息の深さが一割り増しになっているとか」
 他にも窓の外を見つめてはアンニュイな表情を浮かべたり、考え事をしていてすっころんだり、
 今までの彼女なら絶対しないような失敗をしてしまったりと、とにかく変らしい。
 しかしそんな咲夜の姿を誰が想像できようか。
「噂でしかないんですけどね」
 噂――女性の好物の一つである。
 そのうえここは只でさえ娯楽の少ない館だ。
 仲間達との会話が唯一の楽しみと言っても過言ではない。
「元気がなくて変になっている……ねぇ」
 にわかには信じがたい話に美鈴は苦笑を浮かべる。
 確かに咲夜も一人の人間だ。元気を失くすこともあるだろう。
 しかしそんな調子が続くようでは、この紅魔館のメイド長は務まろう筈がない。
「噂はあくまで噂でしょ?」
「でも、火のないところに煙は立たないって言うじゃないですか」
「むむ……それもそうだけど」
 それにしてもと美鈴は想像する。
 アンニュイな表情を浮かべて深い溜息をつく咲夜。(憂いげな瞳と吐息のダブルコンボ)
 考え事に没頭して何もないところですっころぶ咲夜。(アングルによっては乙女の聖域も見えよう)
 まずしないような失敗をして焦る咲夜。(人目のないところで涙を浮かべているかも)
(……なんと言うべきかしら)
 その光景を一つ一つ想像する度に、彼女の胸がきゅんと高鳴る。
 普段は見られない彼女の一面。
(見たい、激しく見てみたい!)
 美鈴の鼓動の高鳴りは腕にも伝わり、それまでの倍の速度で窓を磨き上げた。
 隣で作業をしているメイドは何事かと目を見張っている。
 その間にもあれよあれよと――主に美鈴の――仕事は進み、予定の半分にも満たない時間で終わってしまった。
「時間が余っちゃったわね……さて」
 本来なら手間取っている箇所に行ってそこの仕事を手伝うのが美鈴の役目だ。
 しかしあんな話を聞いてしまってはいてもたってもいられない。
 メイド長と肩を並べて相談に乗ってあげられるのは、メイド部隊とは管轄の違う自分しかいないのだ。
 美鈴は強引な自分論でそう結論づけると、噂の真相を探るべく駆けだしたのである。


 ☆


 しかしそうと決めてもこのだだっ広い館内で、たった一人の人間を見つけるのは至難の業である。
 それに加えて相手は時を駆ける少女もとい十六夜咲夜だ。
 見かけとしても次の瞬間にはすでに別の場所に移動してしまっているということも自由分にあり得る。
 要するに美鈴はまだ咲夜の姿を見つけられないでいた。
(一体咲夜さんはどこに……)
 考えたところでこの忙しい年末に決まった場所にいるはずがない。
 ならば一番近道となり確実な手段といえば――――


「ねぇ、咲夜さんを見かけなかった?」
 それは地道な聞き込みしかあるまい。
 美鈴は近場にあった厨房に顔を出すと、早速用件を切り出した。
 しかし年始に向けて様々な料理の下ごしらえが行われている最中の厨房だ。

「ごめんなさい、他の人に聞いてくれますか?」
「他をあたってもらえませんか」
「あぁもう、邪魔ですよっ」

 なかなか答えてくれる相手は捕まらない。
 どのメイドも自身の仕事に追われており、美鈴の質問になど答える暇など無いのだ。
「仕方ない……別の場所に行くしかないかな」
 もはやここにいても有力な情報は掴めないと諦めかけた瞬間。
 門番として鍛えられた美鈴の聴覚はその会話を捉えることに成功した。

「ねぇ、メイド長ってさ。なんだか最近変だよね」
「そうね……。なんかこう今までより覇気がないというか」
「クリスマスまではそんなことなかった思うんだけど」
「なにかあったのかしら。別に何もなかったと思うんだけど」
「本人しかわからない悩みがあるんじゃないかしら」
「さっき見たときはそうでもないように見えたけどね〜」
「メイド長が人前にそんな一面を見せるわけないじゃない」
「それもそうね」

 やはり咲夜の様子がおかしいことは館内に広まっている事実らしい。
 だが先程の噂に比べるとまだ元気であるようにも感じられる。
 覇気がない程度なら別に問題はないだろう。
 だがこれもあくまで噂話だ。真相として結論づけるにはまだ軽薄すぎる。
 美鈴は修羅場と化している厨房を出ると、再び咲夜の姿を探すと共に聞き込みを再開した。
 後ろで手伝えーとか聞こえたような気もするが、聞こえなかった。届かなかった。


 ☆


 続いて美鈴が訪れたのは紅魔館地下にある大図書館。
 ここは元々小悪魔が整理整頓はしているので、溜まった埃の清掃くらいで済んでいる。
 済んでいるとは言っても流石は幻想郷一の蔵書量を誇る図書館だけあって、
 その広さを掃除するにもそれなりの人数を割かなければならないことには変わりない。
「あらあなたがここまで来るなんて珍しいわね」
 そう言って美鈴を迎えたのは、実質この図書館の主となっているパチュリー・ノーレッジだ。
 周囲でメイド達が忙しなく働いている中、彼女だけは優雅に読書に耽っている。
 誰も文句を言わないのは、彼女の実力と性格とそして体調のことを知ってのことだろう。
 埃が舞ってパチュリーの喘息が起きないように、最善の注意もはらわれている。

 美鈴がここを訪れたのはこの状況を知っているからだ。
 メイド達は忙しくて話ができないなら、忙しくない者をあたればいいのである。
「パチュリー様、咲夜さんを見かけませんでしたか?」
「咲夜? この時期は忙しいから色々動き回ってるんじゃない?」
 館内にいるのは当然だ。しかし知りたいのはそういうことではない。
「咲夜さんならさっき図書館の見回りに来ましたよ」
 そこへ仕事が一段落したらしい小悪魔がやってきた。
「それ本当なの?」
「えぇ。でも随分焦っていたように見えましたね。別にいつもと変わらない忙しさなのに……」
 なんで今年に限ってあんな……と小悪魔は首を傾げている。
 ここまでくると様子がおかしいという噂はどうやら事実と断定して良さそうだ。
 となると残された問題は、どうしてそうなったか――つまり原因である。
「図書館を出て、それからどこに向かったかわからない?」
 後は直接本人を見て探るしかない。
 もしくは直接本人から聞き出すという最も確実で最も危険を伴う手段もあるにはある。
 だがどちらを選ぶにしても、まずは本人を見つけ出さないことには始まらない。
「確か一通り見回ったから、レミリア様に紅茶でもとか言ってた気がします」
「そう、ありがとう」
 言うやいなや美鈴の足は館主の部屋へと向かっていた。
 あと少しで真実に近づける。
 十六夜咲夜の知られざる一面と対面できるかもしれない。
 たったそれだけのこと、されどそれだけのこと。
 好奇心と憧れとほんの少しの嗜虐心に火を付けられた美鈴を、もはや誰も止められはしなかった。


 ☆


 さてこれまでの情報を一度整理してみよう。
 十六夜咲夜はこの紅魔館のメイド長として、質より量なメイド達を取り仕切る腕の持ち主だ。
 ここ数年の年末年始が無事に過ごせているのも、彼女の存在ありきと言っても過言ではない。
 その彼女が今年に限って何やら様子がおかしくなっているらしい。
 元気がないように見えたり、いつものような覇気がなかったり。
 そうかと思えば焦った様子で仕事に取り組んでいたり。
 完璧で瀟洒がウリの彼女にしては珍しすぎる変わりようである。
 つまり、そこには彼女をそうさせるだけの何か重要な要因が絡んでいるのは間違いない。
 果たして十六夜咲夜を変貌させるほどの要因とは何なのだろうか。
 大抵のことは涼しげに受け止めてしまうから、要因と言えるものは随分限られてくる。
 弱点としているもの、触れて欲しくないもの、もしはそれらに準ずる何か。
 その中で私、紅美鈴が知っているものと言えば――――



 レミリア・スカーレットの部屋の前。
 この辺りの掃除はすでに終わっているのかメイドの姿は一人たりとも見かけられない。
 これは好都合だが、逆に自身の気配を察せられやすいという落とし穴もある。
 だがそんな初歩的なミスをかますようでは紅魔館の門番など務まろうものか。
 美鈴は“気を操る程度の力”を用いて、自身が発する気配の一切を絶つ。
 これなら姿さえ見られない限り、誰にも存在を悟られることはない。
(さて……咲夜さんはまだいるのかしら)
 扉越しに中の様子を探る。
 ドアを開ければまず見つかってしまうので聞き耳をそばだてるしかない。
 耳を澄ませていると、中から何人かの話し声が聞こえてきた。
 どうやら中には咲夜はおらず、吸血鬼の姉妹だけがいるらしい。

「掃除や片付けはもう終わった頃かしら」
「なんで“大掃除”なんて面倒なことするの?」
「私たちはやってないけどね。面倒だから」
「面倒だものね」
「まあなんというか気分的な問題ね。後は一年一回くらいこういうことがあれば、
 時の流れを感じながら過ごしていけるからというのも理由かしら」
「ふ〜ん。まあいっか、私たちはしなくて良いんだし」
「したければしてきて良いのよ。多分咲夜あたりに止められるだろうけど」
「なんで?」
「あなたが片付けると、跡も形も残さないからよ」
「それがいけないことなのかしら」
「それがわかっていたなら止められないんだろうけどね」
「良いよ面倒だから。今は咲夜が淹れてくれた紅茶でも飲んでのんびりするわ」
「そうね……それにしても今日のは特に美味しく感じるわ。いつもこれくらい気合いをいれてくれると嬉しいのだけど」
「そうなの? 私はよくわかんないわ」
「ムラが出過ぎるのはよくないことよ。続くようなら少し叱っておかないと」



 咲夜の唯一無二の弱点、それは主つまりレミリアしかない。
 かつて咲夜がここに来たばかりの頃、レミリアに叱られて随分と泣いていたのを美鈴も幾度となく目にしている。
 今となってはそんな面影微塵もないが、それは咲夜がレミリアから昔のように叱られなくなったからだ。
 完璧で瀟洒なメイドとなった彼女に、レミリアも注意することはあれど叱ったりはしない。
 しかしもしそれがここ最近であったとしたら……。
 様子が変わってもおかしくはないと思われる。
「でも……なんだかそんな単純な理由じゃない気がするのよねぇ」
 美鈴は左肘を右手で支え、左手は口元にという典型的な考え事ポーズをしながら誰も通らない廊下を歩いていた。
 きっと咲夜の様子が変な原因はレミリアと関係しているはずだ。
 だがそれだけではなんだかしっくりこないのだ。落ち込んでいるという一言で済む問題ではない気がする。
 気がするだけなら何ら問題はない。
 本当に気がするだけで終わってくれれば……。


 ☆


 あらかた館内は見終え、聞き終えた。
 忙しいのは重々承知でメイド達に尋ねると、五回に一回はまともな返答があり、
 それによって咲夜の軌跡を辿ることはできた。
 だがどうやっても本人まで辿り着くことは未だできないでいる。
 一旦自室に戻ったとも考え、咲夜の部屋も覗いてみたがそんな形跡はなかった。
 後美鈴が訪れていない場所、そして聞き込みの末に行き着いた場所。
 今その扉の前に美鈴はいる。
 そして気を操るからこそ瞬時に理解できた。
 この向こうに探し求めた彼女がいる。
 ようやく辿り着けた。
 しかしここで気を抜いてはならない。
 ここで相手に勘ぐられてしまえば全てが水の泡、元の木阿弥。
「…………よし!」
 大きく深呼吸を一つ。
 美鈴は気配を消すと、ゆっくりとその重い扉を開いた。

 開けた瞬間、隙間からここぞとばかりに入り込んでくる冬の風。
 暗い館内とは対照的に、扉の先は日の光が降り注いでいる。
 美鈴は最低限に扉を開け、そこから滑るように出ると音を立てないように扉を閉めた。
 容赦なく吹き付ける北風は、高い場所だからかいっそう強く吹き荒んでいる。

 それもそのはず、ここは紅魔館の時計塔の屋上なのだから。

 そしてそこに彼女――十六夜咲夜が立っていた。
 美鈴はそっと近づくと咲夜からは死角となる場所に身を隠し様子を窺った。
 咲夜は何をするでもなく、ただ時計塔の巨大な文字盤を見つめている。
 その表情は噂で聞いたとおり憂いに満ちていた。
(咲夜さん、そんな顔しないでっ)
 だがその顔はにやけている。
 誰かがその心の声を聞いていたとして説得力のなさを感じるのは明白だ。
 その時美鈴の脳裏に、ある一つの可能性が浮かんできた。
 それはずっと引っかかっていたもの。
 そして同時に美鈴は嫌な予感にも囚われる。
(まさか……でもいやそんな)
 否定に続く否定。
 脳内で二つの答えがせめぎ合っている。
「……はぁ」
 声を出さずに苦悶の表情を浮かべるという、傍から見れば随分不気味な美鈴の耳に咲夜の吐いた溜息が届いた。
 それはとても寂しそうで哀しそうで切なさに溢れていて……。
 詰まるところ、こんな所で隠れていないでぎゅっとしてあげたくなる、そんな感じ。
 そんな衝動を必死に押し殺しながら、美鈴はさらに様子を窺うことにした。
「私の時代は終わったのね……」
 ぽつりと囁かれた一言。
 その一言で疑心は確信へと変わった。
 美鈴の脳裏に描かれていた認めたくない可能性。

 咲夜が紅魔館のメイドをやめる。

 そんな馬鹿なことあろうはずもない。
 美鈴だってそんな想像を浮かべた直後に否定していたくらいだ。
 だがもしレミリア直々に解雇を言い渡されたとしたら。
 レミリアに絶対服従を誓う咲夜がそれを否定することはないだろう。
 年末という転機。それがタイムリミットだとすれば、彼女がとってきた行動にも説明がつく。
 焦った様子で仕事に取り組んでいたのはそういうこと。
 それでもショックは拭いきれず、失敗もしてしまう。
 これで全てが一本の線として繋がった。繋がってしまった。

「咲夜さんっ」

 思わず美鈴は気配も姿も露わにして叫んでいた。
 咲夜からしてみれば、ここにいるはずのない美鈴の存在は驚きの対象でしかない。
 目を丸くし、息を切らせて立つ美鈴を凝視している。
「美鈴、あなたこんなところで一体何を」
「ダメですっ、ダメったらダメなんですっ」
 しているの、と続けようとした咲夜だったが美鈴の必死な言葉に遮られてしまった。
 しかし一体何がダメだというのか咲夜はまったく分からない様子で、困惑の表情を浮かべている。
「ダメですよぉ」
 だんだんと勢いが無くなる美鈴。
 そのタイミングを見計らって、ようやく咲夜は話を切り返した。
「突然現れて突然喚いて……一体何なの」
「しらばっくれないでください! 私にはもう分かっているんです」
 咲夜はぎょっとした。
 いつの間にか美鈴の目には涙が溜まっている。
「確かに仕事は激務です。失敗だってします。でもですね、今の紅魔館には咲夜さんがいないとダメなんですよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。いったい何を言っているのかさっぱり……」
「私からもレミリア様にお願いしますから! だから――――」


「やめないでくださいっ」


「な……」
 美鈴の必死の思いを込めた一言に、咲夜は絶句する。
「隠していたつもりなんでしょうけど、隠し通せると思ったら大間違いですよっ」
 なんとしても思いとどまらせる。
 そうしなければここまでずっと続けてきた意味がない。
 途中から薄々と気がついていたのだ。それをずっと否定し続けていただけで。
 好奇心の疼きから始まったこの騒動も、今や止めて欲しくないの一心のみでここまでやってきた。
 だから絶対にここで説得しきってみせる。みせなければならないのだ。
「はぁ……」
 咲夜が一番に返した反応。それは小さな溜息だった。
 しかしそれは先程吐いたものとは全く異なっている。
 そこに含まれているのは寂しさでも悲しさでも切なさでもない。
 やれやれといった感じの呆れが混じったどうしようもなさ。
「まったく……何処の誰がそんなことを」
「え……?」
 美鈴は思わず間抜けな声を発してしまう。
 今咲夜はなんと言った。いや言ったことが重要なのではなく、そこに含まれた感情が大事なのだ。
 隠している後ろめたさや、ばれてしまった驚きなどは微塵もなかった。
 あったのはただの呆れ。
「違うん……ですか」
 なんだ。違うのか。それならそれでとてもホッとする。
 最高の結末も、最悪の結末も何も望んではいなかった。
 望んでいたのはありきたりないつもの彼女の言葉。
「よ、よ、良かったです〜っ」
 高まりに高まった感情はあふれ出し行動となって表れる。
 嬉し涙を流しながら抱きついてこようとする美鈴。
 そんな彼女を咲夜は――――


 思い切り締め上げた。


「ぐ、ぐぇ……咲夜さん?」
 見ると咲夜はとても美しい笑みを湛えていた。
 それはもう非の打ち所がないくらい完璧な笑顔だ。
「美鈴、そうまでしてあなたは私を貶めたいの?」
 さっきは咲夜が困惑していたが、今度は美鈴がその番だ。
 いったい咲夜が何を言っているのか、どうしてこんなことをするのかこれっぽっちも理解できない。
 というかこの締め上げは、叱るっていうレベルじゃない。
「私の時代は終わったかもしれない……。でもなんで次があなたなのかしら?」
「さ、ぐやさん。なんのことでずか」
 意識が朦朧としてきた。本気で危険かもしれない。
 しかし咲夜の腕は解放するどころか、さらに酷く締まってくる。
 美鈴は最早考えることすらできずにいた。
 そして意識が落ちる寸前、美鈴が最後に耳にしたのは溜息混じりの咲夜の一言。
「はぁ、なんで今年の年末はこんなにも憂鬱なのかしら」


 ☆


 そのほぼ同時刻。
 館主レミリア・スカーレットは友人のいる図書館を訪れていた。
 働かない二人はテーブルを囲んで談笑に花を咲かせている。
「ねぇパチュ」
「どうしたの?」
「この間咲夜とね、干支について話をしていたのよ」
「干支ねぇ。それで?」
「ほら、今年は戌年だったじゃない。それで私咲夜に言ったのよ。
 あなたは悪魔の犬。ということはあなたの年だった訳ねって」
「それはまた無理矢理な」
「まだ話は続いているわ。でもそれももうすぐ終わり。丁度いい転機だし咲夜は少し休んで良いわ。
 確か来年は亥年だったわね。じゃあ次は猪突猛進な門番にでも頑張ってもらおうかしらって言ったの」
「それもこじつけね。それで咲夜はどうしたの?」
「なんだか凄く複雑そうな顔をしていたわ」
「確かにレミィのジョークは理解しがたいものがあるわ」
「それを言うならパチュの話だって時々訳が分からないわ」
「それはレミィの努力が足りないからよ。……で、結局門番にはどう頑張ってもらうの?
 私としてはやってくる度に「借りていくぜ」って盗って行くネズミの侵入を阻んで欲しいところだけど」
「別に何も、今まで通りね。だってジョークだし」
「そう。そういえばその門番だけど、ずっと館内を走り回つていたみたい。ここにも来たわ」
「掃除もせずに? 後で咲夜にでも注意させておくわ」

 何も知らない呑気な館主とその友人。
 二人は来年が善き年になるよう、ティーカップで乾杯した。


《終幕》


☆後書☆

 二千六年も終わり。今年は色々楽しかった。
 何より東方の小説がここまで増えるとは思ってみなかった。
 今年はもう東方に始まり東方で終わった気がする。

 さて、この後書きを書いたら最後の大仕事(冬コミ戦線)に出掛けるとしようか。

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