妖夢のお年玉


 特に何事もなく、しかしそれなりにめでたく年が明けた。
 忘年会からそのまま新年会になだれ込む輩も多く、
 各地で宴会が開かれ幻想郷の一年は明るく賑やかに始まりを告げた。

 さてそんな元旦から数日。
 冥界の白玉楼にて、ちょっとした騒ぎが起こっていた。


 ☆


 白玉楼内の一室。薄暗い部屋の一角にある戸棚の前で、一人の少女が立ち尽くしていた。
 その目は棚の中の一点を見つめるだけで他の一切には見向きもしていない。
「これは……大変な事件だわ」
 深刻な顔を浮かべ真剣な声で呟くのは、そんな姿が目に浮かびにくい西行寺幽々子。
 いつもはどんなに真剣な場面でも、持ち前の余裕っぷりを如何なく発揮する彼女だが今は違う。
「妖夢、妖夢はどこ?」
「ここに」
 いつの間に聞きつけたのか、幽々子の前に彼女の従者魂魄妖夢が参上していた。
 幽々子のただならぬ雰囲気を声から察していたのかその顔は引き締まっている。
 いつもの我が侭なら呆れが混じることもあるだろう。
 だが今の妖夢にはそれが微塵も感じられない。
「妖夢、外の様子はどうかしら」
「新年会ですか? どいつもこいつも呑気なものです。まだ正月気分が抜けないでいるようですね」
 今白玉楼の庭には幻想郷中から妖怪や人間が集まり、本来ならもうとっくに終わっているはずの新年会を開いている。
 紅魔館や永遠亭からも出席者が居り、というかそこで開かれた新年会に幽々子達も出ているので来て当然とも言える。
 まあ新年会というのは建前で、騒いで飲める場があれば彼女たちは満足なのだ。
「それより何があったんですか」
 外の連中は家主がいなくても勝手に騒いでいることだろう。
 妖夢にとっては本当に“それ”程度のことでしかないのだ。
「妖夢、とても大変なことが起こったわ」
 幽々子の死を見通す深い瞳が静謐な輝きを見せる。
 ただならぬ雰囲気であることが言わずとも感じ取れ、妖夢も否応なしに緊張が高まっていた。
 ここで無粋に言葉を発してはいけない。
 主君が次に発する言葉こそ、自身が待つべきそして答えるべきものだと知っているからだ。
 そしてしばらくの沈黙の後、幽々子の口からそれは発せられた。


「私のおやつが盗まれたわ」


 妖夢は転んだ。
 吉本ばりの大袈裟なリアクション顔負けの見事なこけっぷりである。
「あらあら妖夢、最近あなたも冗談が通じるようになってきたわね」
 立ち上がる妖夢の手を取ってそれを助ける幽々子の顔には笑みが浮かんでいる。
「幽々子様、もう戻っても構いませんか……」
 がっくりとうなだれ、部屋を出ようとする妖夢。
 しかし幽々子は服の裾を引っ張ってそれを留めた。まだ何かあるらしい。
「今私はなんと言ったかしら」
 顔こそ笑っているものの、幽々子の口調は依然として真剣味を崩していない。
 妖夢もそれを察したのか、無理に引き離すことはなく再び幽々子と向き合うように振り返った。
「私は“盗まれた”と言ったのよ」
 これが意味するところ。
 それはこの白玉楼内に侵入を許したということであり、それは妖夢が自身の職務を全うできなかったということだ。
 彼女の仕事はこの白玉楼のお庭番。
 これまでその目の黒いうちに屋敷内への侵入を許したことは……ちょっとしかない。
「申し訳ありませんっ!」
 がばっともの凄い勢いで土下座をする妖夢。
 自身の否はすぐに認め、その否を詫びる。それが従者として当然の弁えだ。
「この妖夢、不逞の輩に侵入を許したばかりか盗みまで見逃すとはなんたる失態。
 此度の失敗は私自ら犯人を捕まえることで清算するほかにありませんっ」
 そんな妖夢の謝罪を聞いていた幽々子がぽつりと漏らす。
「ここは切腹するしかー、とか言うかと思ったのに」
「え、えと……そうした方がよろしいのでしょうか?」
 幽々子の言葉に困惑しながらも刀に手を掛ける妖夢。
 どうやらそこまでの冗談のセンスは身についてはいないようだ。
「なんでもないわ。ともかくあなたはあなたの仕事を果たしなさい」
「かしこまりました」

 なにはともあれ、新年始まって早々のこの事件。
 魂魄妖夢は今年最初の大仕事に取りかかるのであった。


 ☆


 幽々子が言うにはおやつは確かに昨日まであの戸棚に入っていたという。
 失礼ながらも食べたのを忘れただけという可能性はと聞くと、
『失礼ねっ、食べてない物のことを忘れるわけがないじゃない』
 と返ってきた。
 成る程食べた物のことは忘れるけど、食べてない物のことは覚えているらしい。
 幽々子にとって食べてしまった物は、“美味しかった物”と“美味しくなかった物”のどちらかでしかない。
 しかし食べていない物のことは食べるまでずっと覚えているという。
 そんな彼女がおやつを盗まれたのだ。
 その怒りや憎しみ、恨みはどれほどのものか。それは妖夢にも計り知れない。
 食べ物の恨みは恐ろしいという言葉がこれまで似合うものは幽々子をおいて他には居ないだろう。

 そんな幽々子の命にて犯人捜しを始めた妖夢。
 昨日まであったということは盗まれたのは今日ということだ。
 そしておあつらえ向きにも今日は新年会。様々な人妖が冥界にやってきている。
 確かにこの喧騒の中、屋敷の忍び込む輩がいてもおかしくない。
 自分が酌やらつまみの足しやらで忙しなく動き回っている隙をついたのだろう。
 それで犯人の侵入を許してしまったのは未熟というほかないが、まだ挽回の機会は充分に残っている。
 新年会はまだ続いている。
 犯人はまだこの中にいると考えてまず間違いないのだ。
 きっと見つけ出して斬り潰す。
 楼観剣をぎゅっと握りしめ、妖夢は犯人探しに決意を固めた。


 ☆


 庭は普段の冥界の静けさからは想像がつかないほど賑わしくなっていた。
 プリズムリバーの演奏に加え、それぞれがそれぞれに騒いで歌っているのだから当然と言える。
 妖夢はそんな彼女たちの様子を窺いながら、今日来た客人達を確認していた。
 冥界と顕界の境界が薄くなり行き来がしやすくなったと言っても、行き来するにはそれ相応の力が必要となる。
 その為客の人数もそこまで多くはないし、顔見知りが多いため大体の顔はすぐに把握できた。
 その中にここでは珍しい者が紛れ込んでいるのを見つけた妖夢。
 他の者たちがやってくるときに偶然紛れたのだろうか。
 なんにしても妖夢の疑惑はその者に集中していた。


「ちょっと、そこの黒いの」
 妖夢は明らかに目立つそれに声を掛けた。
 新年会は朝から始まっており、まだ日は高く庭は白い光で溢れている。
 なのに一点だけ半紙の上に墨を一滴落としたかのような真っ黒な塊がそこにあった。
 中の様子はまったく見えないが気配は感じられ、妖怪であることはわかっている。
「前に天狗の新聞で読んだことがある。闇を操り、常に闇に包まれている妖怪の話。
 それはお前のことね。宵闇の妖怪、ルーミア」
 傍から見ると黒い球に独り言を言っているようにしか見えない。
 だが本人は至って真面目である。
「うるさいなー、誰?」
 球の中から可愛らしい声で返事がもどってくる。
 中に肝心の妖怪が居ることが分かると妖夢は話を続けた。
「話がある。まずはその闇を取り払って顔を見せなさい」
「いやよ。まだ外は明るいんでしょ」
「取れと言ったら取るの」
 楼観剣を鞘から抜き闇に向かって構えを取る。
 これ以上逆らうようなら斬るという妖夢の意思表示だ。
 だが相手は見えていないのだから意味がないということには気付いていないらしい。
「だったらあんたがこっちに入ってきてよ。少しだけ光も入れるから」
「冥界は私たちの領域。そして命令しているのは私の方よ」
「なんだっていいじゃない。というか話だけならこのままでもできるんだし」
 どうあっても闇を取り払う気はないらしい。
 ただルーミアの言うように話ができないわけでもないので、妖夢は諦めることにした。
 楼観剣を鞘に戻すと早速本題を切り出す。
「屋敷の中に侵入して、幽々子様のおやつを盗んでいないか」
 そんな単刀直入に聞かれて、そうだ私が犯人だよくわかったなフハハ、などと呆気なく自白する奴はまずいないだろう。
 それでもいつかの異変の時のようにいきなり斬りかかったりしない分、いくらかマシな対応とも言える。
「おやつ? 知らないよ」
「まあそう言うとは思っていた」
「思っていたなら聞かないでよ」
 その時妖夢の中の何かが切れた。
 真実は斬って知るもの。
 しかし以前の砕月異変の時のようにただ斬っても真実は知ることはできないと知っている。
(それでも、私には剣と師匠の教えしかない……だからっ)
 今度は白楼剣を鞘から抜き取り、今度は何の躊躇いもなく闇に向かって一閃を放った。
「斬って確かめるほかに術はないっ!」
 白楼の刀身が煌めき、一瞬遅れて闇の塊に光の亀裂が走る。
 その隙間から外の光が入り込むと、中にいるルーミアは素っ頓狂な声を上げた。
「ふええっ、なんでこんなに眩しいのよぉっ」
 ルーミアは眩しさから逃れようと文字通り闇雲に逃げ回る。
「あっ、待てっ」
 その後を追おうとする妖夢だったが……
 ガツンッ!
「ふぎっ!?」
 目の前にあった桜の木に景気よい音を立ててぶつかるルーミア。
「だ、大丈夫?」
 思わず妖夢もそんな言葉をかけてしまう。
「あぅぅ〜……」
「もしかして見えてないのか?」
 明らかにぶつかる場所にある木ではなかった。
 それに向かって気を失うほどの勢いでぶつかるとは到底考えにくい。
 ここにきてようやく妖夢はルーミアが外から見えないだけでなく、内からも見られないのではということに気付く。
「見えてないなら犯行も無理か……」
 この状態で屋敷の中に入ってあの戸棚まで辿り着くことはできないだろう。
 怪しい奴ではあったが犯人ではないらしい。
 妖夢は次なる容疑者を訪ねるために気絶したルーミアの元を去った。


 ☆


「ちょっと、そこの黒いの」
 なんだかさっきも言ったような台詞で次なる容疑者に声を掛ける。
「んー、なんの用だ」
「あら丁度良かったわ。お酒が無くなったから持ってきて」
 頬を朱色に染めた少女達がにへらにへらと笑いながら妖夢を迎える。
 霧雨魔理沙と博麗霊夢の人間コンビだ。結構飲んでいるようで、周囲に散乱したお銚子の数がそれを如実に示している。
 本来ならまだ酒を嗜むのは早い年頃だが、この二人にそれを窘めるのはまあ無駄というものだ。
 だが妖夢は酒を注ぎ足しに来たわけでも、それを窘めるために来たわけでもない。
「やはり最初から怪しい奴の所に来れば早かった」
 言うやいなや白楼剣の切っ先を魔理沙に向ける妖夢。
 盗人という点で彼女ほどその呼び名が相応しい者もいない。
 だが容疑を掛けられた本人は何食わぬ顔で盃を煽っている。
 冥界に来る度に斬りかかられているので慣れてしまったのだろう。
 こんなことには慣れたくないものではあるが。
「せっかくのめでたい席だっていうのに、新年早々血気盛んだな」
「あんたも今日くらいは刀を降ろしてみんなと一緒に楽しめばいいじゃない」
 まったく我関せずな態度を崩さない二人。
 言われるまでもなく、自分だって束の間の無礼講を楽しみたいと思っている。
 だがそれを是とさせてくれないことが起こって、その容疑者が目の前にいるのだ。
 そんな状況で安穏と酒を嗜むのは誰が許しても自身が許さない。
「どうやらこれ以上話しても無駄なようね。なら答えはこれで聞くことにするわ」
 白楼剣を構え魔理沙に向かって斬りつける。
 しかし魔理沙もそれを甘んじて受けるほど戦い慣れしていないわけではない。
 側に置いてあった箒を手に取るとその刃を柄で受け止める。
 多少酒は入っていても流石は妖怪と互角に渡り合う霧雨魔理沙と言ったところか。
「だからさっきから一体何の話をしてるんだ」
「お前が答えなくてもお前を斬れば答えは分かるっ」
「はいストップ」
 力と力で押し合っていた二人の動きが突然止まる。というか止められる。
「美味しいお酒が台無しになるわ。見せ物としても二流品だしね」
 二人の額に封印の札を貼り付けた霊夢はよいしょと腰を下ろす。
 そして再び盃を口元に傾けながら妖夢に尋ねた。
「で、いったい何があったのか。そこから話してもらいましょうか」
 霊夢の言葉は口調こそ怒ってないものの、これ以上酒を不味くするなら容赦はしないと
 そう言っているようにしか聞こえない。
 体の自由を奪われたまま二人は口元と目線だけがかろうじて動くことを許されている。
 その目で霊夢を恨みがましく見つめながらも、妖夢はその指示に応じることにした。
「実はこの騒ぎに乗じて屋敷に侵入した奴がいるのよ。
 それだけならまだしもさらに幽々子様のおやつを盗むというとんでもない奴で……」
「その容疑者が魔理沙な訳ね。なかなか良い線突いてると思うわ」
「思うのかよっ」
 魔理沙もこのままでは霊夢の同意付きで犯人に仕立て上げられてしまうと危惧したのか異議を申し立てた。
「私はおやつなんて盗んだりしないぜ。そんなものを盗むくらいならもっと他のものを盗むな。
 そもそも盗みなんて生まれてこの方一度たりとてやったことがないんだし」
 よくもまあぬけぬけとそんなことが言えたものだと、この場にいる全員が思うであろう。
 特に紅魔館の魔女は、聞いた途端にその首を締め上げでもするのではないだろうか。
「……まあ確かに魔理沙が盗むものとしては考えにくいか」
「だろう? それにさっき酒を取りに行くついでに寄ったのは書庫くらいだ」
 まあお約束のボケというか何というか。墓穴を掘るのは
 魔理沙はしまったという表情を浮かべ、妖夢の顔には修羅の如き凄惨なオーラが宿る。
「霊夢」
「えぇ、わかっているわ」
 霊夢は立ち上がると額に張った札を剥がす。ただし妖夢のだけ。
「天誅ーっ!!」
 その隣では霊夢が合掌していた。


 ☆


 立て続けに犯人には辿り着けなかった妖夢。
 後こんなことをしそうな者といえば、身近にいる中では一人しかいない。
「おや妖夢。今日は一段と大変だな」
 労をねぎらってくれる数少ない理解者、八雲藍が妖夢の姿に気付き話しかけてきた。
 妖夢もその言葉にいくらかホッとした表情を見せる。
「いえ、皆勝手に騒いでいるだけですので。明日の掃除は大変ですけど」
「ハハハッ、そうだな。そういえば先程から幽々子殿の姿が見えないが?」
「幽々子様でしたら今はお屋敷の方に」
 そこで妖夢は本来の目的を思い出す。
 つい自分の苦労を理解してくれる藍と話すことで、すっかり世間話に入りかけていたが、
 まだ一休みできる立場ではないのだ。
「えぇと、紫様はどちらに?」
 妖夢が疑う三人目の容疑者。それが八雲紫だった。
 幽々子と古くから付き合いのある彼女なら、白玉楼の屋敷の内部も知り尽くしているし
 そもそも入り込まなくても隙間一つでなんでも手に取れてしまう。
 ある意味一番容疑者としては妥当と言える人物だ。
「紫様か? それならほら」
 そう言って藍が指差す先を見ると、そこには可憐な表情を浮かべて眠る紫が居た。
 猫のように丸くなり、その金糸の髪は寝乱れて周囲に
 生きてきた歳月からは考えられないほどに可愛らしい寝姿に、思わず妖夢は見とれてしまう。
 しかしすぐに首を横に振って本来の目的に焦点を戻す。
「藍さん、紫様はいつからお休みになっているのですか」
「そうだな……かれこれ一刻半くらい前だと思うが」
 一刻半と言えばまだ宴会が始まって間もない頃だ。
「宴会好きの紫様がそんなに早くですか?」
 にわかには信じられず、妖夢はさらに詳細を尋ねた。
「実は博麗神社で始まった新年会からずっと飲み続けていたんだ。そこから紅魔館、永遠亭ときて今回の白玉楼。
 その合間合間も鬼や天狗やらと飲み比べをしていたようで……。
 ついにはこの有り様だ。次に起きたときは二日酔いどころでは済まないだろうな」
 そう溜息混じりに告げる藍の言葉には嘘は混じっていない。
 主のことに対して虚言を混ぜることは言語道断。まして真面目な藍がそんなことをするはずがない。
「そうですか。紫様らしいですね」
「世話をする身としてはもう少し考えて欲しいところだがね」
「心中お察しします……」
 困った主を持つ者同士、妖夢と藍は互いの労をねぎらい合った。


 ☆


 それからもう手当たり次第に斬り回ってみたが、結局犯人らしい者には出会えなかった。
 なんの成果もなく妖夢は屋敷へと戻ってくる。
 しかし何も得られなくても報告はするべきと、幽々子の元を訪れていた。
「幽々子様、申し訳ありません」
 シュンとうなだれて入ってくる妖夢。
 そんな彼女に幽々子はにっこりと微笑みかけた。
「ご苦労様。ずいぶん走り回ったようね」
「ですが犯人は見つけられませんでした……」
 それにもし見つけたところで幽々子のおやつが戻ってくることはないだろう。
 書物や金品のように持っていて価値のあるものならまだ取り返せる余地はあるが
 食べ物のように消費することに価値のあるものをいつまでも所持しておくはずがない。
 申し訳なさそうに立つ妖夢に、幽々子はするすると近寄るとその頭を優しく撫でた。
「良いのよ。あなたが頑張ってくれただけで私は充分嬉しいわ」
「幽々子様……っ」
「あらあら」
 その言葉に感激するあまり妖夢は思わず幽々子に抱きついていた。
 新年早々不祥事を起こしてしまった自分に、こんなお年玉をくれるとは思ってもいなかった。
 だからこそ余計にその感謝の言葉が身にしみる。
 だがここで安心してはいけない。
「しかし幽々子様。今犯人を見つけておかないことには、またということも考えられます故」
 味を占めた犯人がまた忍び込まないとも限らない。
 二度は自分も許さないが、それを未然に防ぐのもお庭番としての役目である。
 それを危惧する妖夢に、再び幽々子は微笑んだ
「あぁ、その点も大丈夫よ」
「……と申しますと」
「私だってあなたが庭を走り――斬り――回っている間、何もしていなかった訳じゃないわ。
 私なりに犯人を推理していたのよ」
 妖夢は幽々子から体を離すと、彼女の前に正座した。
 幽々子もそれに続いて正座する。
「良い? ここは冥界の白玉楼。まだ未熟とはいえ魂魄家のあなたが守っているお屋敷よ。
 そう簡単に賊が侵入できる場所じゃないわ」
「……はい」
 未熟という言葉がぐさりと心に突き刺さるが、その通りのことに異は申し立てられない。
 それに幽々子は自分の力をきちんと認めている風に言ってくれている。それが妖夢には嬉しく感じられていた。
「つまり相手はあなたほどの使い手の隙を突ける手練れ。若しくはあなたが見過ごすような存在のどちらかということ」
 それは妖夢も考えたことだ。
 だから紫の元へも容疑者として向かったのだ。しかし彼女は犯人ではなかった。
 幽々子はさらに続ける。
「そしてこの広い屋敷の中であの部屋から私のおやつだけが無くなっていた事実。
 それを踏まえると、犯人はこの屋敷のことを随分知っているようだわ」
 その言い方に妖夢は、どこか違和感を感じた。
 しかしそれを聞く前にさらに幽々子は言葉を続けた。
「屋敷に出入りしても不自然じゃなく、さらにこの屋敷のことを熟知している。
 ほら、あなたにも犯人の姿が思い浮かんできたでしょう?」
 妖夢は何も言い返せない。
 幽々子が言いたいことはさっきの違和感の払拭と共に理解できた。
 いや理解できなくても、幽々子の視線の奥に宿る妖しげな光がそれを直に訴えかけてくる。
「え、えっと……幽々子様?」
「何かしら妖夢」
 その顔の微笑みには、先程までの慈愛に満ちた仏は宿っていない。
 今は何を言っても無駄。妖夢は剣士としての勘がそう告げているのをひしと感じていた。
「幽々子様が言いたいことはよく分かりました。ですがよく考えてください」
 それは確かに最も忘れやすく最も明快な解答だ。
 しかしそんなこと何を間違っても起きはしない。

「私が犯人だとして、幽々子様のおやつを盗み食べる訳がないじゃないですか」

 そう、幽々子は従者の自分を疑っているのだ。
 いや疑っているのではない、もはや確信している物言いである。
「そうね。私の可愛い妖夢が私の大事なおやつを食べるなんて“ありえない”ことだわ」
「そ、そうですよね」
 ホッと胸をなで下ろす妖夢。だが彼女は幽々子が確信しているということを見逃していた。
「でも食べたんじゃなかったとしら?」
 妖夢の背中がびくりと震える。
 その刹那、妖夢の脳裏に昨日の出来事がフラッシュバックされた。



 その夜、妖夢は明日の新年会の準備を遅くまで行っていた。
 これまでに行われた新年会のことを考えると気が滅入る。
「あの騒ぎがここで開かれるのか……。考えるだけで憂鬱になってくるな」
 戸棚からお銚子や重箱を取り出す肩も重く感じられる。
 その時妖夢の視界にあるものが映った。
「あれ、これって……」
 得体の知れないそれに妖夢は怪訝な表情を浮かべる。
 そして、妖夢はそれを――――



「ま、まさか……」
「あら心当たりがあるのかしら」
「も、もしかして幽々子様のおやつって」
 そういえば幽々子はおやつが盗まれたとしか言っていない。
 いったいそのおやつが何だったのかを妖夢は知らないままでいた。
「あら言ってなかったかしら? “お餅”なんだけど」
 餅と言えば妖夢の記憶にある限りでは、大晦日に永遠亭から仕入れた物が全ての筈だ。
 もしそれがこの時期まで残っていたとしたら。
 それはもうカチカチでカビまで生えて食べ物としてはもう見るも無惨な姿に変わり果てていることだろう。
 そういえば昨日見たアレはあまりにも酷かったから、殆ど見ようとしないまま捨てたのだ。
「あれはね、最後の一つだったの。分かる? 最後の一つは同じ物でも二倍にも三倍にもその美味しさが感じられるの。
 もっと食べられるという至福と、これでもうしばらくは食べられないという悲しみ。
 二つの葛藤に挟まれた最後の一つというレッテルは、食べ物の素晴らしさを極限まで高めてくれるのよ」
「ですがあれはもう食べられる代物じゃ――」


「嘘よっ!!!!」


 幽々子の聞いたこともない怒号に妖夢は思わず足が竦んでしまった。
「あれはね。醗酵していただけ。だからまだ食べられた! 納豆やヨーグルトだって醗酵して美味しくなるじゃない。
 それをあなたは見た目に惑わされて捨ててしまったのよ!」
「お餅は発酵しないと思うのですが……」
「嘘っ!!」
「ひぃっ」
「私には聞こえる。私のお腹に入れなかったお餅の哀しい叫びが……。
 せっかく美味しく熟していたのに、志半ばで捨てられてしまった無念の言葉が……」
 いつの間にか幽々子は目の前まで迫っていた。
 腰が抜けてしまった妖夢は逃げ出すこともできず、ただ幽々子がずるずると迫ってくるのを見つめるしかできない。
「妖夢。あなたはよく頑張ってくれたわ。でも、それとこれは別の話。分かるわね?」
 もはや涙目でコクコクと頷くことしかできない妖夢に、幽々子は微笑みを向けた。
 しかしその笑みもこの状況下では恐ろしさの象徴にしか見えない。
「可愛い妖夢。それじゃあお仕置きもちゃんと受けられるわね」
「は、ひゃい」
「そんなに怖がらなくて良いのよ。食べ損なったお餅の代わりのお餅を食べさせてくれれば良いだけだから」
 そう言って幽々子は妖夢の首筋にその白い手を回した。
 そのまま顔を妖夢の頬に近づける。そして――
「汗ばんでいるからかしら……。塩味が効いててとても美味しいわ」


 皆外で騒いでいるため誰も気がつかない。
 なので霊夢の代わりにこうしておこう。


 合掌。


《終幕》


☆後書☆

 新年になって初っ端が頭の悪い小説で申し訳ない。
 でもたまにはこういうのをこういうのを書きたいときだってある。だってオタクだもん。

 ……真面目に書きます。
 年末に発売された『東方求聞史記』のおかげで想像力がかき立てられている状態。
 書きたいネタが溜まりに溜まって今変なテンションです。
 うーん他にも書かないといけないものは多いはずなのですが。

 とりあえず煩悩はこれで晴らして、次回はシリアス行ってみようかとか思ってます。

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