ざ・頭脳戦?
些細なケンカは無鉄砲な妖精の間では日常茶飯事だ。
この日もチルノは遊ぼうと思っていた場所で先に遊んでいた妖精と口論をしていた。
隣にはそれを止めようとするもなかなか割って入れず、おろおろする大妖精がいる。
そしてチルノと口論をしているのは光の三妖精のリーダー格、サニーミルクだった。
その傍には勿論三妖精の残る二人、ルナチャイルドとスターサファイアの姿もある。
しかしその二人はサニーのように声を荒げてることはせず、むしろ早く終わらないかと冷めた視線を向けていた。
サニーが同意を求めたときだけ、ルナはそうねと相槌を打っているが、サニーが再びチルノに視線を戻せばまたその表情を戻す。
スターに至っては完全に“我関せず”を決め込んでいるようだ。
そんな仲間の態度にも気付かずサニーは声を荒げて怒鳴り散らす。
「だから、ここがいつあなたの縄張りになったわけ?」
「理由なんて要らないわよ! あたいがそう決めたからそうなんだってば」
「そんなの納得できるわけないじゃない!」
ぎゃいぎゃいといつもと変わらぬ不毛な論争を続ける二人。
ルナとスターはもういい加減うんざりしてきていた。
チルノと力量で比べれば自分たちの方が弱い。能力的にもチルノの方がケンカには向いている。
しかし力量で劣っていても、知能面では三妖精達の方が上であることは彼女たち自身がよくわかっていた。
だからこそサニーがいつまでもチルノを説き伏せようとしているのは見てて退屈にしか感じられない。。
サニーは頭の使い方を間違っているとルナとスターは顔を見合わせて溜息を吐くことで同意していた。
「ね、ねぇ、チルノちゃん。もう止めようよ」
加熱した言い合いの所為で二人が息を切らしたタイミングを好機と見て大妖精が止めに入る。
「サニーもいい加減やめといたら?」
「そうよ。見ていて退屈な見世物は見世物にもなりゃしないんだから」
日和見なルナと呆れを毒に変えて発するスターにサニーもようやく自分だけが空気を読めていないことに気付く。
「む、その言い方じゃ私が見世物みたいじゃない!」
みたい、ではなくとっくに二人の見世物だったのだが。
「止めないでよ。大妖精は悔しくないの?」
遊び場を占領されていたことをチルノは怒っている。
だが別にそこはチルノの縄張りではない。
むしろこの魔法の森は三妖精達の住処があり勝手に入ってきたのは自分たちの方なのだ。
だがそう言ったところで納得するはずもないのがチルノがチルノたる所以なのだが。
「はぁ、これじゃあ埒があかないわね」
尤も場を達観していた――若しくは無視を決め込んでいた――スターが吐き捨てるように呟いた。
こんなことで時間を潰すのが勿体ないと言わんばかりだ。
「何よ、じゃあスターはここで降参して退散すればいいって言うの」
「うーん……そういう言われ方をするとなんだか苛っとくるね」
本当は軽くあしらって別の場所で遊ぶのが良いとスターは思っていた。
だが自分よりおばかな氷精に背を向けて退散するというのは確かに気分の良いことではない。
しかしそうだからってサニーのように口論する気もスターにはさらさら無かった。
「でもケンカじゃ私たちには勝ち目無いわよ?」
ルナの言葉にスターも頷く。
チルノは相手が人間だろうが妖怪だろうが、お構いなしに勝負をふっかける。
そして時には負かしてしまうほどケンカや弾幕ごっこには慣れているのは事実なのだ。
だからチルノと口論になった場合は相手の得意な戦いに持って行かれる前に退散するなり誤魔化すなりして回避してきた。
勿論それが上手くいかず、痛い目を見たことだって何度か有る。
「ねー、さっきからぼそぼそ何内緒話してんのよ!」
完全にスルーされている立場に腹を立て始めたのかチルノが大声を上げた。
このままではチルノはいつ弾幕ごっこを始めてもおかしくない。
しかしそれは三妖精にとって好ましくない展開だ。
「でも負けは認めたくない!」
サニーはあくまでもチルノに背を向けたくはないらしい。
そしてそれは口に出していなくてもルナやスターも同じ考えだった。
「そうね……だったら面白い考えがあるんだけど?」
スターはにやりと笑って見せた。その笑みは悪戯を思いついた子供そのもの。
そしてそれに対してサニーとルナは同じように笑ってみせることで同意を示したのだった。
「いつまでもあたいを無視するなんて良い度胸じゃない。こないならこっちから行くよ!」
今まさにチルノの手から氷のつぶてが放たれようとした時だった。
「ちょぉっとタンマ!」
サニーに手の平で制されて、思わず前のめりになるチルノ。
タンマと言われて本当に止まってしまう辺りが可愛らしい。
だがすぐに我を取り戻すと、チルノはどうして止めたのだと騒ぎ出した。
「あんたが弾幕ごっこを得意としているのは知ってるわ。でもそれじゃあアンフェアでしょ」
「あんふぇあ?」
「対等じゃない、ずるいってことだよ」
聞き慣れない横文字に首を傾げるチルノの耳に大妖精が小声で説明する。
「だから勝負の方法はこっちで決めさせてもらうわ。えっと……」
「隠れん坊なんてどう?」
首謀者であるスターが提案を持ちかける。
だがそれは三妖精の最も得意とする勝負。流石にチルノも気付いたらしく文句を返した。
「って、そんなの卑怯じゃないの。えと……あんふぇあよ!」
どこか頼りない発音でチルノは言い返されたことをそのまま返した。
しかし頭を使ったやり取りで勝てるはずがない。
「だからこっちもあなたが有利になる条件を付けるわ」
スターが提示したのは三つの条件。
一つ目は三妖精側はばらばらに隠れるというもの。
それでも隠れん坊が得意なことに変わりはないが、三人が揃っているよりは見つけやすくはなる。
二つ目は隠れ場所を予め指定しておくというもの。
ただしどこに誰がいるかは伏せておく。
つまり探せる場所とそこにいる人数が確定されたわけだ。
しかしそれでも三妖精の方が優位である。それは彼女たちが備える能力があるからだ。
そして三つ目は余裕を見せているのか大妖精の助けは借りて良いというものだった。
「私たちより強いって自分で言ってるあなたがここで逃げるわけないわよね?」
「あ、あったりまえじゃん! それよりあんた達こそ今更やめるとか言わないでよ」
売り言葉に買い言葉で、話はどんどんスターの思惑通りに進んでいく。
ここまできたらもう後戻りなどできはしない。
大妖精はハラハラしつつも、怪我をしない方法で決着が付く事に胸を撫で下ろしていた。
ただそれが間違った認識だったということに気付くのは全てが終わった後である。
☆
「それじゃあ隠れるからね。隠れる場所はさっき教えた場所だから。制限時間は日没よ」
「わかってるわよ!」
噛みつくようにチルノが吠えると、三妖精はばらばらの方向に散っていった。
後はこの場で百を数えた後に探しに行けばいい。
「いーち、にーぃ、さーん……」
もうすでに三妖精には聞こえていないだろうが、チルノは大声で数を読み上げる。
それが隠れん坊の暗黙のルールなのだ。多分。
「……さんじゅいーち、さんじゅにー、さんじゅさーん、さんじゅよーん」
百もこうして数えると結構な時間となる。
ずるい奴なら早口でとっとと済ませてしまいそうなものだがチルノはそうしない。
そういう悪知恵が思いつかないだけかもしれないが、そういうチルノを大妖精は好いている。
だが、しばらくして――
「……ごじゅごー、ごじゅろーく、ごじゅひーち、ごじゅはーち、ごじゅきゅー……」
その後が続かない。
まさかと思うって大妖精がチルノを見ると、なんだか険しい表情を浮かべていた。
「ご、ごじゅひーち、ごじゅはーち、ごじゅきゅー……」
少し前まで戻ってノリで続きを絞り出そうということなのだろう。
だがここで大妖精が助言をすればチルノは邪魔をするなと怒り、どこまで数えたか忘れてしまうに違いない。
それを危惧した大妖精はただただチルノが自身の力で百を数え終えるのを見守っていた。
「ごじゅきゅ……ろ、ろくじゅっ! ろくじゅいーち、ろくじゅにー……」
その後も十の位が変わる度に口止まってしまったチルノはたっぷり百以上の時間を浪費したのであった。
これもスター達の思惑だったのだろうか。その真相は彼女たちを捕まえなくては知ることはできない。
ようやく探しに行けるようになったチルノは、予め定められた隠れ場所の一つへと勇んで飛び立っていった。
三妖精残り三人。
日没まで後6時間
☆
三妖精側から提示された隠れ場所。
それは紅魔館、永遠亭、博麗神社の三カ所だ。勿論家主の許可など取っては居ない。
チルノと大妖精はひとまず魔法の森からほど近い博麗神社へと足を向けていた。
博麗神社の境内に降り立ったチルノと大妖精。
いつ来ても人気の少ない境内だが、今回はそれに感謝すべきだろう。
周囲に誰もいないのならば気配を探りやすく、些細な手掛かりも見逃さない。
「んー……本当にここにいるのよね」
一目見渡しただけでは誰の姿も見つけられない。
見つかってはいけないのがルールなのだから見えなくて当然。
それに隠れる相手はここに必ずいると自分たちから言って隠れている。
そう易々と見つかってくれるはずがないはないだろう。
「うーん……姿を消すならサニーちゃん。だけど気付かれずに逃げるならルナちゃんだし、
見つかる前に逃げられるのはスターちゃんが得意だよね」
それが三妖精が隠れん坊を得意とする最たる理由だ。
彼女たちの能力は個々で隠れることに特化している。三人全員が揃えば最早気配すら探ることができなくなってしまう。
一人一人でも隠れん坊の相手としては手強いこと請け合いだ。
「ここにはどいつがいるのかしら」
実はそれが一番ネックだ。
何処に隠れるかは教えてもらったが、そこに誰がいるかは教えてもらっていない。
相手が分かれば対処もしやすいものだが、その相手がわからないのではどうしようもない。
現段階では三分の一。しかしここで一人見つければ、次の場所では二分の一。
つまり見つければ見つけるほど次の場所での対抗策が練りやすくなる。面倒なのは一番最初なのだ。
だからこの一番最初の場所を範囲も狭く他人の気配も少ない博麗神社にしたのは最善策ともいえる。
それを意識して選んだわけではないのは明白だが。
「湖の妖精が神社になんの用かしら」
そこへ主の博麗霊夢がやってきた。
あまり来たことのない顔ぶれを面倒くさく感じているのか、視線が歓迎していない。
「あ、丁度良かった。ねぇ光の妖精の誰かが来てない?」
「光の妖精? あぁ、あの悪戯好きの三人組か……さぁてね」
来たような、来てないようなと霊夢は曖昧な返答をする。
何かがやってきた“感じ”はしたけど、確認するまでもないということで放置しているらしい。
とどのつまりここに誰かがいるのは確定だが、三妖精の誰かと断定はできていないということ。
だが三妖精も自分たちから提案したのだからズルをすることはないと大妖精は考えていた。
勝負とは反故にされない規則があるからこそその勝利は価値のあるものとなるのだ。
その辺りは弾幕ごっこを考えてもらえば理解できることで、それは妖精達も無意識に認識していることらしい。
「……仕方ないね。とりあえず大妖精はあっち探して。あたいはこっちを探すわ」
「わかった。何か見つけたら報せるね」
相手が誰か分からない以上、何かしらの手掛かりを見つけなくてはならない。
考えていても埒があかないなら行動有るのみだ。
チルノも流石にこの勝負は一人では分が悪いと感じているのか、素直に頼ってくれている。
頼ってくれる以上は全力で助けようと大妖精は意気込むのだった。
☆
ここ博麗神社に隠れているのはサニーミルクだった。今彼女はどうしているのか。
彼女はチルノがまずここに来ることを予想していた。
制限時間がある以上、まず近くの場所にくることを考えるのは当然。
そしてこの狭い敷地内で見つかりにくいのはサニーの能力ということがあって、彼女は今ここにいる。
姿を見せなくすることができる能力といえば隠れん坊では最強の力の一つだろう。
だがだからといって目の前にいて気配を悟られては不味いため、サニーは本殿の屋根の上にいた。
ここならば日の光も存分に浴びられるし、相手の動きを把握しやすい。
そして近づいてきたときに逃げる方向が多方向を選択できるのも強みだ。
気をつけなければならないのは足下の瓦が音を立てやすいことくらい。
(動かなきゃいいのよね。音を立てなければ心配ないわ)
我ながら上手いこと思いついたものだとサニーは小気味よく笑う。
多少声を漏らしたところで下にいるチルノ達には聞こえてないだろう。
幸い霊夢も協力する気はさらさらないらしく境内をかったるそうに箒で掃いているのが見える。
日没まで、というのが少し長いがその程度を我慢すれば勝てるのだから易いものだ。
サニーは音を立てないように腰を下ろすと、文字通り高みの見物としゃれ込むのだった。
☆
博麗神社はお世辞にもそう広くはない。
だから二人で手分けをすれば小一時間もしないうちに全ての場所を調べ終えることができた。
しかし三妖精の一人所かなんの手掛かりも発見できていない。
「はぁ〜っ……」
失意が溜息となって漏れてくるが、そうこうしている間にも制限時間は刻一刻とやってくる。
残る紅魔館や永遠亭はここから離れているし、どちらも博麗神社より探す範囲が広い。
こんな所で時間を喰っている場合ではないのだ。
「チルノちゃん、いったん落ち着いて考えてみようよ」
「考えるって言ったって……」
その考える手掛かりが一つもないのだ。考えるのが苦手とかそれ以前の問題だ。
こちらに与えられている情報はその場所には一人しかいないということだけ。
「うーん、うーん、うー……」
ぷすぷすとチルノの頭から煙が出始める。
これはショート寸前の兆候だ。ここで気絶したら制限時間いっぱい意識が戻らないかも知れない。
「わわ、チルノちゃん!?」
大妖精は慌てて止めさせると、チルノはがくりと項垂れた。
本当にもう少しで知恵熱を出して倒れてしまう寸前だったらしい。
「ても隠れる場所なんてそんなにないはずなのに」
入り組んだ作りはしていないこの博麗神社では迂闊に動けば見つかりかねない。
だから隅々まで探せば見つかるはずなのだ。ただでさえこちらは二人で探しているのに。
「……あーもーっ!」
突然チルノが大声を上げた。
苛々が最高潮に達し考えることに嫌気がさしたのだろう。
「チルノちゃん、落ち着こうよ」
「落ち着いてなんて居られないわよ! なにさ、なんでこんだけ探して見つからないの?」
「えっと、私に言われても」
「わかっるわよ! でもこんなの見つかりっこないじゃない!」
だから三妖精は隠れん坊を勝負の方法として提案したのだ。
それをいいように言いくるめられて安い挑発に乗ってしまったのはチルノに非がある。
「うがーっ! もうイライラするーっ!」
頭をぐしゃぐしゃと掻き乱しながら喚くチルノ。
嫌な宿題を前にしてついに不満が爆発した小学生そのものだ。
ただ普通の子供と違うのは、チルノは苛々すると手当たり次第に冷気を振りまくという点だ。
これは周囲にいるもの皆が迷惑を被ってしまう。
「こら! 人ん家の庭先で吹雪を起こすな!
流石に霊夢もこれは受け流せなくなったのか文句を言ってきた。
だがいったん暴走してしまったチルノが聞く耳を持つはずがない。
大妖精は止めようにも止められず、霊夢の怒りを抑えようと宥めることしかできない。
このままでは三妖精を見つけるどころか巫女の粛正を受けてしまう。
その時だった。
「きゃああああっ!」
素っ頓狂な悲鳴と共に、どずんという落下音がそれに続く。
あまりの音にチルノも霊夢もその音がした方向に目を向けた。
そこには強かに尻餅をついて立てずにいるサニーミルクの姿があった。
「あーっ、サニー見ーっけ!」
苛々もどこへやら。チルノは歓声と共にサニー発見を声高々に宣言した。
その少し前。
サニーはチルノが苛々を募らせ暴れ回る姿を屋根の上から見物していた。
こうして思い通りに行かずに地団駄を踏む相手を見るのはやはり痛快である。
サニーはもっとよく見ようと屋根のぎりぎりまで移動することにした。
だが自身の勝利を確信している者ほど油断して些細なミスに気付かないものである。
サニーも兜の緒を閉め忘れていたのか“あること”に気がついていなかった。
チルノが放った冷気は屋根の瓦を凍り付かせてしまっていたのだ。
それに気付かず不安定な屋根の上を移動したものだから、その結果は――
「いたたた……。どうしてあんなに滑るのよぉ」
まったく予期していなかった自身の落下。
それによって被ったダメージはとても大きかった。
見事なまでにつるりと滑り、サニーはお尻で着地してしまったのだ。
その痛みで思わず掛けていた術を解除してしまうほどに。
「へっへーんだ。あたいの目が真っ黒な内はどこにいたって探し出してやるんだからね」
本当は探し出したと言うよりは相手のミスを誘っておびき出したというのが正しい。
しかも本人の意図していないところでだ。
だがルールは鬼が見つければいいのだから、何も問題はない。
「凄いね、チルノちゃん」
「えへー! すっごいでしょー」
大妖精に褒められてすっかりご満悦のチルノ。
だがまだ後二人を捜し出さなければ完全勝利というわけではない。
士気の上がったチルノは次なる隠れ場所へ、意気揚々と飛んでいった。
見つかったことですっかり役目の無くなってしまったサニーはまだ動けずに境内に座り込んでいた。
「うう……。まさか私が一番に見つかるなんて」
その背後に現れる影が一つ。
「またあんたが一枚噛んでいた訳ね」
「え?」
いきなり妖精同士のケンカに巻き込まれ、ようやく雪解けを待つばかりとなった境内を氷漬けにされた霊夢。
サニーは霊夢が発する気迫で危機を悟ったが、哀しいかな体は言うことを聞いてくれない。
二人きりの境内に、負け犬となった妖精の悲鳴が響き渡った。
サニーミルク発見。三妖精残り二人。
日没まで後4時間半。
☆
運良くサニーを見つけることに成功した二人は次なるステージ、紅魔館を訪れていた。
だが来て早々関門とぶち当たる羽目となっていた。
「だからここは通せないの」
紅魔館に入ろうとしたところを門番の紅美鈴に阻まれていたのだ。
しかしここに来た三妖精だっていたはず。彼女はどうしたのか。
まさか入れなかったから館周辺に隠れているわけはあるまい。
「絶対中に隠れている奴がいるの! そいつを見つけたらすぐに出るから」
「そうは言われても……」
客として招き入れるなら何も問題はないのだが、勝負の場所として勝手に使われるわけにはいかない。
ここはあのレミリア・スカーレットの住む紅魔館なのだ。
妖精の遊び場として解放されているわけでは断じてない。あろうはずがない。
「ということなので、お引き取り下さい」
職務を全うする美鈴には油断も隙もない。
一介の妖精如きが侵入を試みたところで返り討ちに遭うのは目に見えている。
「今に覚えてなさいよ、この中国ーっ!」
捨て台詞なのかどうなのか微妙な台詞を吐き、あっかんべーをしながらチルノはとりあえず門を離れた。
「なによ、少しくらい入れてくれてもいいじゃない」
「これも相手の作戦なんだよね」
相手は何かしらの手を使って館の中に入り込んでいることだろう。
だとすればこちらも中に入って探さなければいけないのだが、中に入れなければ探すことができない。
そのまま中に入れずに制限時間を迎えればこちらの負けとなってしまう。
「じゃあどうしたらいいのよ!」
近づけば美鈴に阻まれる。
しかしその先に行かなければならない。
まさかこんな所で足止めを喰らう羽目になるとは。
「チルノちゃん、私に任せてくれないかな」
「大妖精?」
大妖精が意味ありげにウインクをして見せた。
☆
「ここなら見つかる可能性は低いわね」
いつもの服ではなく、紅魔館の妖精メイドが着用しているメイド服を着ているのはルナチャイルドだ。
この場所は彼女が隠れ場所として選んでいる。
さて外でチルノ達が悪戦苦闘している美鈴を彼女はどうあしらったのか。
それはなんてことはない。美鈴は門番でありながらしばしば昼寝をしていることがあるのだ。
その隙を消音の能力を用いて突けば何の苦労もなく侵入を果たすことができる。
そしてまんまと館の中に入り込んだルナはメイドに扮して自身の姿をカモフラージュしているのだ。
ここには妖精達が大勢いる。
昔から「木葉を隠すなら森の中」と言うように、ここならルナの姿も周囲の妖精に紛れて見つかりにくい。
サニーのように姿を消したり、スターのように相手の動きが把握したりということができないルナは
三妖精の中では最も見つかりやすいと言える。
本人もそれを自覚しているので、それを補うことのできる場所としてここを選んだのだ。
それにここなら自分が手を回さなくてもチルノ達の侵入を阻んでくれる存在がある。
三妖精同士の中でも損な役回りばかり回ってくる為か、ルナは慎重に慎重を重ねて動いていた。
そしてそれは彼女の思惑以上に絶大な効果を発揮している。
だがここにいて危険なのはルナ自身にも言えることだった。
「ちょっとそこの巻き毛の子!」
背後から呼ばれてルナはびくりと肩を震わせる。
まさか見つかってしまったというのか。
「仕事もせずにこんな所で何をしているのよ」
「え、あぁ、なんだ違うのか」
ルナは近づいてきたのがチルノ達ではないことに胸を撫で下ろした。
その相手はルナも知っている。だがあまり関わりにはなりたくない相手だった。
この紅魔館で唯一の人間にして妖精メイドを一人で取り仕切るメイド長、十六夜咲夜だ。
「あらあなたはいつぞやの悪戯妖精。また何か悪さをしに来たのかしら」
「今日は違うわ。ちょっと身を隠すために入れさせてもらっているだけよ」
「でもその服はうちのでしょう?」
「ち、ちょっと借りているだけよ」
いつもなら悪戯の対象でしかない人間だが、このメイドは別格の存在だ。
神社の巫女や白黒魔法使いとかと同類。それはつまり「離れろ危険」ということだ。
「その服を着ていることが何を意味するのか、あなたなら分かるわね」
「う……」
ルナの脳裏に浮かぶのは以前に紅魔館を別荘にしようと企んだときのこと。
働かざる者住むべからずを咲夜に言い渡されて逃げ帰ってきた苦い思い出だ。
「わ、わかってるわ。働いている方が妖精メイドとして紛れやすいもの」
「そう、わかっているならいいのよ」
優しげな微笑を浮かべてその場を後にする咲夜だったが、ルナははっきりと見ていた。
彼女の手が太ももに隠してあるナイフに掛けられていたことを。
☆
チルノと大妖精はなんの荒事を起こすことなく、館の中に侵入を果たしていた。
ルナのように美鈴の隙を突いたわけではない。
「大妖精もなかなかやるわね」
「ちょっと疲れたけどね」
大妖精の秘策――それは彼女の瞬間移動能力だった。
流石にチルノを連れて中距離の移動となると全力を消耗してしまったらしく、顔色も優れない。
ここからまだ隠れている三妖精を探さなくてはならないのにこれではまたすぐに紅魔館の連中に見つかってしまう。
「大妖精はここで待ってて。あたいが探してくるから」
「大丈夫?」
するとチルノは胸をどんと叩いて見せた。
あたいを誰だと思ってるのさと言わんばかりの満面の笑みを浮かべて。
そんなわけで大妖精を置いて一人で探すことになったチルノ。
だが紅魔館の中は博麗神社よりも広い。上手く見つけられないと思わぬタイムロスを招いてしまう。
「えーっと、サニーは見つけたから後は……」
ルナチャイルドとスターサファイアの二人。
チルノは知らないがここにいるのはルナチャイルドだ。
もしスターサファイアなら、チルノはここで制限時間いっぱい探す羽目となっていただろう。
相手がルナチャイルドだからこそチルノにも勝ち目があるのだ。
こういった要素も勝負の分かれ目となる。
「あ、そうか他の妖精に聞けば良いんだ」
チルノにしては名案が閃いた。
三妖精が口止めの根回しをしているかもしれないとまでは考えが至ってないが、この場合は必要ない。
相手が妖精ならそんな口約束程度の根回しは意味がないのだ。
「あ、ねぇねぇ。あたいと同じくらいの大きさの妖精見なかった?」
近くを通りかかった妖精に早速声を掛けるチルノ。
だが声を掛けられた妖精メイドは迷惑そうな表情を浮かべて怒鳴るように行った。
「何よ。忙しいんだから話しかけないで」
そう言うとあっという間に行ってしまった。
チルノはカチンときながらも、次の妖精に声を掛けた。
「な、何さ。あ、ねぇあんた、聞きたいことがあるんだけど」
「え? 何?」
「ここいらであたいと同じくらいの大きさの妖精見なかった?」
「妖精なんていっぱいいるわよ」
そりゃそうだ。
良い考えを思いついても、聞き方が悪いと意味がない。
「むー……どいつもこいつももう少し話を聞いてくれても良いじゃないのさ」
妖精に口止めが意味がないというのは、自分が得しない頼まれ事には基本応じないからだ。
だがこうして考えると元々話を聞かないから質問をしても意味がないからとも考えられる。
「それにしても今日はなんかみんなせかせかしてるわね」
紅魔館は湖から近いため、チルノはよく忍び込んで痛い目に遭ってるいる。
それはまた別の話なので詳しくは割愛するが、いつも来ているときよりも妖精達が働いているのだ。
チルノが気付く位だからよほどの違いがあると理解できることだろう。
いつもとは違う紅魔館。ここで引っかかるものを感じたのはある意味奇跡と呼べるかもしれない。
「ねぇ何かあったわけ?」
手近にいた妖精に質問をするチルノ。だが前二つとは質問内容が異なっていた。
すると尋ねられた妖精は三度目の正直か、完結ではあるが応じてくれた。
「あちこちで仕事を増やしてる子がいるのよ。まったく自分のことで皆手一杯なのに」
手早く答えた妖精は忙しいを連呼しながら廊下の彼方へ消えていった。
「?」
元々使い物にならないとすら言われてる妖精のメイドだが、そんな彼女たちが手助けに回らなければならない程のドジなメイドが居るらしい。
チルノはそのドジメイドに俄然興味が湧いてきた。
三妖精を見つけなければならないという目的があるというのに、そんなものすっかり忘却の彼方だ。
大妖精が信じてくれたこともすっかり忘れて、チルノは野次馬気分でメイド達の後を追った。
どうやらそいつは余程のドジを踏んでいるらしく、あちらこちらにその惨状を垣間見ることができる。
窓硝子を割ったり、花瓶を割ったりというのは当たり前。
洗剤を使いすぎて洗濯場が泡だらけになっていたり、書庫は本棚が崩れて酷い有り様だという。
(一体どんな奴なのかしら。そんなにドジなやつだからきっとドジな顔をしてるに違いないわ)
興味が湧いたら行かずにはいられないのは妖精の性か。
わくわくした表情を浮かべるチルノに、当初の目的を教える者は誰もいない。
☆
ルナチャイルドはとても焦っていた。
他の妖精と同じようにやっているはずなのに、何故かミスを繰り返してしまうのだ。
おかげで今や紅魔館内部は自分が起こしたことでてんやわんやになっている。
これだけ騒いでいればチルノ達が侵入してきていたら見つかってしまうかも知れない。
だから場所を変えては大人しくしていようとしているのだが、どうも上手くいかない。
焦りが焦りを生んでいるのか、それとも元々自分がとろくさいからなのか。
今のルナにはそれを考える余裕すら無くなっていた。
もうチルノだけではない。紅魔館の妖精全てから目を向けられているのだ。
(まったく……酷い目にあってばかりだわ)
曲がり角から顔を出し、周囲の様子を窺ってから先に進む。
誰かに見つかれば仲間を呼ばれて大騒ぎ。
その騒ぎを聞きつけてチルノ達がやってきたら負けだ。
木葉を隠すために森へとやってきたのに、周りの葉は枯れいて隠そうと思っていた若葉が目立ってしまうような状況。
(ほとぼりが冷めるまでは何もしない方が賢明ね)
枯れ葉の下に埋もれてしまえば緑の葉っぱだって見えることはない。
風を起こすような真似をするから見つかってしまうのだ。
そう悩むことではない。騒ぎにさえならなければよいのだから。
そう考えると少しだけ冷静な思考が戻ってきた。
(よし、なら隠れる場所を探さなくちゃ)
ルナは周囲に隠れられる場所がないか首を動かす。
すると死角になりやすい階段下のスペースを発見した。
あそこの奥に隠れれば、深く覗き込まれない限り見つかることはないだろう。
消音の能力を使えば息づかいやちょっとした音も消すことができる。
不審な音が立たなければ誰かが覗き込んでくることもない。
そのとき背後からきっと自分を探しているのであろう妖精達の声が聞こえてきた。
最早いっこくの猶予もない。
ルナは素早くそのスペースに身を滑り込ませると、できるだけ奥へと体を潜り込ませた。
間一髪で妖精達が素通りしていくのが見え、ひとまずホッと胸を撫で下ろす。
後はここで時間を潰すだけだ。
元々暗い紅魔館の、さらに灯りの届かない階段下はまさに暗闇。
ここならきっと容易くは見つかるまい。
――と、その時だった。
ルナの肩に何かが触れる。
「え?」
音もしなかった。姿も見えなかった。動いてる気配もなかった。
なら突然置かれたこれは何なのか。
温かさと形状、触感から考えて誰かの手であることは間違いない。
そしてそれが手だと確信したとき、ルナはもはや気が気でなくなっていた。
「だ、誰?」
相手の声は聞こえない。
ますます気味が悪くなり、ルナは隠れることなど忘れ思わずそこから弟子待った。
「あーっ、ルナチャイルド見つけたーっ」
「へ?」
恐怖を感じていたルナからすればあまりにも場違いな明るい声。
その声のした方を見ると、チルノが得意げな顔をしてこちらを指差しているのが見えた。
しまったと気付いたときにはもう遅い。
その時背後の暗がりから何ものかが這いずり出てきた。
「チルノちゃん、やったね」
「だ、大妖精?」
暗がりの中でルナの肩に触れた者、それは同じくそこに隠れていた大妖精だった。
隠れん坊はチルノに任せて自分は力を回復するためにここで待っていたのだ。
「な、なんで声もしなかったのよ」
「え? 私、何度も誰ですかって聞いたけど」
そんな声聞こえなかったとルナは言おうとしてハッとした。
見つからないように自身の周囲の音を消していたのは、他ならぬルナ自身。
姿が見えないのは光の届かないあの場所だったから。
姿が見えないし、音もしなければ相手が動いたって気付くことは難しい。
全て自業自得だったというわけだ。
「そ、そんな……」
へなへなとその場に崩れ落ちるルナチャイルド。
「よぉし、これで後はスターサファイアだけだね」
「あら、サニーはもう見つかっていたの?」
ルナはサニーよりは後に見つかったことに安堵していた。
いつもとろいとか鈍くさいとか言われるが、今回はむとろ言える立場になったからだ。
それでも見つかった時点で五十歩百歩でしかないのだが。
「急ご、チルノちゃん」
「うんっ」
残るは後一人。
ここまでくれば後は最後の一人を見つけるほかあるまい。
チルノと大妖精は再度気合いを入れると、最後の隠れ場所永遠亭へとその羽を向けた。
「……えっと、私はどうしたら良いのかしら」
「それは勿論決まっているでしょう」
ぽつりと呟いた一言は静かな廊下に吸い込まれず、背後に立っていた人物の耳に届いていた。
この後のルナがどうなったかについては、ご想像の通りとだけ言っておこう。
ルナチャイルド発見。三妖精残り一人
日没まで後3時間。
☆
二人が見つかり最後の一人となってしまったスターサファイア。
彼女はチルノ達の気配が近づいてくるのを待っていた。
ここまで時間が掛かっているならもう他の二人は見つかっているだろう。
「サニーは詰めが甘いし、ルナはどこか鈍くさいしね」
ここまでは予想通りだ。いや残り時間を考えれば予想以上に健闘はしたらしい。
だが負けは負けだ。所詮勝負は勝ったか負けたかが結果である。
「さてと、もうそろそろやってくるかな」
クスリと不敵な笑みを溢すスター。
「他の二人が見つかったからって、私も同じように見つけられるとは思わないことね」
確実に傾き落ちていく太陽を見上げるその横顔には、自信に満ちた表情が浮かんでいた。
☆
残すはスターサファイア一人のみ。
しかし制限時間も刻一刻と迫りつつある。
油断をしてしまうと逃げ切られて負けだ。
そうなってしまっては、せっかく二人も見つけた甲斐がない。
「見えてきたよ」
「よぉし、絶対見つけてあたいがさいきょーだって事を知らしめてやるわ」
後一人ということもあってチルノのテンションは最高潮だ。
この調子ならきっと見つけられると大妖精も思っていた。
だが二人は同じ妖精だからとスターのことを侮っていたのだ。
迷いの竹林の道中を経て、永遠亭の玄関口へと辿り着いたチルノと大妖精。
ここに至るまでにすでに日没まで二時間を切っている。
一時間程度でやってこられたことを考えるとマシな方だろう。
時間を喰ってしまったことも、ノリにのっているチルノは意に介していない様子だ。
「さぁて、ちゃっちゃと探し出すわよ!」
「うんっ」
言って玄関の戸を開く。
すると程なくして鈴仙(以下略)が訪問者を察知してやってきた。
「あら、また妖精?」
また、というのはスターがここに来たことを知っているからだろう。
ルナのように勝手に侵入したわけではなさそうだ。
「ねぇスターが来てるんでしょう? どこにいるか知らない?」
「スター? あぁ、先にやってきた妖精の事か」
「隠し立てしても良い事なんてないわよっ」
誰も隠すなんて言ってないでしょうと鈴仙は呆れ顔を浮かべる。
「探すなら勝手に探せば? 来たのは知っているけどそれから後は姿も見てないから」
ただし暴れ回って荒らし回るのだけは禁止だからねと付け加えて、鈴仙は屋敷の奥へと戻っていった。
だがこれで屋敷の中を自由に捜索できる許可は得られたわけだ。
もはや一刻の猶予もない。
チルノと大妖精は手分けしてスターを探すことにした。
しかし相手は周囲の気配を把握できるレーダー能力を有するあのスターサファイアだ。
こちらの動きが分かっているなら、それに合わせて逃げ回ることも容易い。
サニー同様隠れん坊の中では最強の力と言っても過言ではない。
予想に違わず一時間を費やしてもその姿を見つけることはできずにいた。
会話のできる兎達に聞いて回ってもどうやらスターはかなり上手く立ち回っているらしく手掛かりすら手に入れられない。
「はぁ、どこに隠れているのよーっ」
叫んだところで出てきてくれるわけがない。
だがこうも手掛かりがないとせっかく最高潮だってテンションも下がって当然だ。
「人の研究室の前で大声上げないで欲しいわね」
「うん?」
壁により掛かってへたり込んでいると頭上に涼やかな声が聞こえてきて、チルノは頭を上げた。
そこには白衣を纏った八意永琳が襖から顔を出してこちらを見ていた。
どうやらここは彼女の研究室とやらの前だったらしい。
「あなたは湖に住んでいる氷精ね。いったい何の用かしら」
「かくれんぼしてるのよ」
「隠れん坊?」
チルノは簡単に今の状況を話して聞かせた。
だがチルノの話だ。支離滅裂で普通の人間なら半分も理解できれば良い方だろう。
しかし目の前にいるのは屈指の天才、月の頭脳八意永琳だ。
一回聞いただけでチルノの話を完全に理解していた。
「成る程ね。それで最後の一人がここにいるというわけか」
「だけど全然見つからないのよ」
口を尖らせて悔しさを滲ませるチルノ。
そんなチルノを微笑ましく感じたのか、永琳は微笑を浮かべている。
「あ、そうだわ」
そして突然手を打つと部屋の奥からある物を持ってきた。
こころなしか笑顔が先程より三割り増しくらいになっている。
「な、なにそれ」
「あなたのお手伝いをしてあげるわ」
にっこりと微笑む永琳。チルノの視線はたおやかな微笑ではなく、その右手に注がれている。
指二本分くらいの太さ。その先端には細長い針。
どこからどう見ても立派な注射器だ。下手に大きくない分、リアルで怖い。
「あ、あたいはは病気じゃないわよっ!」
「わかってるわよ、私には医学の心得があるからね」
医学の心得があるのならその笑みは消して欲しいとチルノは本能で悟った。
しかし数時間動きっぱなしだつたチルノの体はなかなか言うことを聞いてくれない。
「大丈夫、効果は短時間のはずだし。きっとあなたの役に立つと思うわ」
“はず”とか“きっと”とか“思う”とか曖昧な表現ばかり。
怪しさ爆発の笑みと言葉と右手の注射器を誰が信用できるものか。
「はい、終了っと」
「……?」
刹那の出来事だった。見れば右腕には注射を打たれた痕。
医学の心得があるのは間違いない。その使い方が正しいがどうかはまた別の話みたいだが。
「な! なんてことしてくれんのよ!」
注射を打たれたことを認識したチルノは慌てて抗議するが、時すでに遅し。
「だから何度も大丈夫だって言っているでしょう……多分」
「その多分って言葉が信用できないんだってばーっ」
得体の知れない薬を打たれ、混乱するチルノ。
その騒ぎを聞きつけて大妖精が飛んできた。
もはや隠れん坊どころの話ではなくなってしまった二人であった。
☆
日没まで後三十分。
すでに周囲は黄昏に包まれ、橙と暗褐色がマーブル状に溶け合っている。
彼方には一番星。
「今日も星が綺麗ね」
すでに勝ちを確信したスターは空を見上げて呟いた。
チルノ達がどう足掻いたところで、もはや制限時間内に自分を見つけることはできないのだから。
所詮頭を使った勝負でチルノが自分たちに勝てるわけなどないのだ。
後十五分もすれば完全に日が沈む。それでゲームセット。
――のはずだった。
「嘘っ」
スターは空を飛んで近づいてくる二つの気配に体を震わせた。
まさかあの二人がこのトリックに気がついたとでも言うのか。
まぐれ、奇跡、偶然。どれだったとしても、見つかった時点でこっちの負け。
「慌てるな……私は逃げ切るだけで良いんだから」
こちらは相手の動きを感知できるという強力なアドバンテージを持っている。
そしてもう一つ、ごく僅かな制限時間という、時間的アドバンテージまでこちらに有利に働いているのだ。
焦ってミスさえ起こさなければ勝利は変わらず、こちらの側にある。
(ここを見つけ出すなんて……それだけは認めさせるを得ないわね)
まさかあの二人がここまで知恵を働かせたのか。
ならばこれからは認識を改めなければならないだろう。
「でも――勝ちは譲らないっ!」
「それはあたいの方よ」
「なっ……」
瞬間、時が凍り付いた。
スターは何が起こったのか全く理解できない。
そんなはずはない。こんな馬鹿な。絶対ありえない。
「な、なんで」
「もう少しで罠にはまるところだったわ」
スターが振り向くと、そこには知的な笑みを浮かべるチルノの姿があった。
この時点でチルノ達の勝利、三妖精の敗北が決定したわけだ。
だがスターはまったく納得ができずにいた。
「ど、どうして! どうやって私を見つけ出したの!」
激昂するスターに対し、チルノはいたって冷静でいる。
「このかくれんぼで提示された条件。提案したあんたなら覚えてるわよね」
勿論覚えている。そしてそれこそがスターの仕掛けた罠だったのだ。
一つは三妖精はばらばらで隠れるというもの。
そしてもう一つは隠れ場所を予め決めておくというもの。
「でも、ここで一つ大きな落とし穴がある」
チルノはもったいぶるように含みを持たせて解説を始めた。
「三カ所に三人がばらばらで隠れるということは、必ず一カ所に一人がいることになる。
そう思わせるのがあんたの計画だったんでしょ。普通なら鬼はそう考えて三カ所全部まわるはずだものね。
あたい達もそう考えて神社、紅魔館、永遠亭と三カ所を廻ってきたわ」
でもね、とチルノはスターを指差した。
「もし見つかってしまった場所に、もう一人が後からやってきたら?」
一カ所に一人という条件は護られている。
三カ所全てにいなければならないという鬼側の前提を手玉に取った作戦がまかり通るというわけだ。
「嘘……でしょう」
スターは思わず呟いた。まさかチルノがここまで考えを廻らせられるはずがない。
「気付いたときはしてやられたと思ったわ。……まさか最初にやってきた博麗神社に最後の一人がいるなんてね」
自分がやってきたことを永遠亭の住人に認識させ、チルノ達が辿り着いても自分がそこにいると思わせる。
自分はサニーとルナがすでに見つかっていることを予測して、
博麗神社に戻って制限時間までのんびりと構えているだけで勝利が確定したというのに。
「ちなみに紅魔館を選ばなかったのは、自分の姿を見られる可能性が高いから」
「嘘よっ!」
あまりにもな現実に思わず否定の言葉を発してしまうスター。
だがチルノは依然としてその知的な顔を崩すことはない。
「……そこまで気付いたことは認めるわ。でもどうやって私の背後にまわったの!」
近づいてきた気配は二つだったはず。
それを感知してから一瞬で自分の後ろに来ることは大妖精の瞬間移動でもなければ不可能だ。
だがここにはチルノしか居ない。
「あんたの能力はよく知ってるからね。それを逆手に取らせてもらったの」
スターはチルノと大妖精が二人で行動していることを知っていた。
そして移動には最短距離で移動できる空を使うことも分かっている。
「だからあんたは空から来る二人組の気配ばかり気にしていたはずよ」
「っ!」
「だからあたいが地面すれすれを一人でやってきたことに気がつかなかった」
まさかと思ってスターは上空にいるはずの二つの気配に視線を動かす。
そこには大妖精とリリーホワイトの姿があった。
「ここに来る途中でリリーを見つけたから、手伝ってもらったのよ」
罠に掛けたと思っていた自分が、逆に罠に掛けられていたとでもいうのか。
いや驚くべきはそこではない。
この短時間の内にこちらが仕掛けた罠に気がつき、その上こちらを仕留める罠を考えたチルノにある。
「あ、チルノちゃん。見つけたんだね」
「うん、これであたい達の勝ちよ」
やったぁと文字通り飛び跳ねて喜ぶ大妖精。
リリーは再び春の訪れを報せるために飛んでいった。
「ねぇ、最後に一つだけ教えて。どうしてわかったの」
いつものチルノからは考えられない行動と考えの数々。
それさえなければ確実に自分の勝ちだったはず。
「えっとね。チルノちゃん、永遠亭で永琳さんに注射されたの」
「注射?」
まったく予想してなかった答えにスターは思わず聞き返してしまった。
注射されたこととこのチルノの変わりよう。
「まさか……」
「私には難しいことはよくわからないんだけど、永琳さんは確か“IQ逆転薬”って言ってたよ」
永琳が大妖精たちにした説明をかいつまんで訳すとこうだ。
この薬は投与された者のIQを逆転させる効能がある。つまり天才はバカに、バカなら天才になるというわけだ。
それは程度が顕著であればあるほど、効果も抜群になって現れるという。
妖精のように知能が低いと言われている存在なら、並の人間を抜くほどの知能を得ることができる。
それがあのチルノなら、その頭脳はもはや永琳並みと言っても過言ではない。
「……はぁ」
とんだところで邪魔が入ったものだとスターは溜息を吐いた。
永遠亭を隠れ場所に選んだのは間違いだったらしい。もう今更のことでしかないが。
「負けちゃった」
しかしここまで完膚無きまでにしてやられるといっそ清々しい。
それに負けたとしても、それはチルノの力だけではないということが悔しさを紛らせてくれていた。
「楽しかったわよ」
「え……」
チルノから差し出された手。
スターはその手を払うことなく、強く握りかえした。
「私も……まさかこんな結末になるなんて」
「またやろうねっ」
大妖精の無邪気な言葉にスターとチルノは笑みを浮かべて頷いた。
「そうね。でもまたあたいが勝つけど」
「何よ。その薬の効果が切れたら私が勝つに決まっているじゃない」
雨降って地固まる。
一日掛けた妖精達の頭脳戦は、こうして幕を閉じたのである。
一番星の輝く夜空の下、博麗神社の境内に彼女たちの笑い声が響き渡っていた。
☆
後日のこと。
「もー、なんで私たちがルナの尻ぬぐいをしなきゃいけないわけ?」
「元はと言えばスターがあんな勝負を吹っ掛けるからでしょうが」
「そうじゃないでしょ。元々はサニーがあんな氷精とケンカするのがいけないのよ」
「それもそうね」
「二人して何よ! 全部私の所為にするってわけ?」
三妖精は先日の隠れん坊でルナが紅魔館で起こした不始末の後片付けを行っていた。
連帯責任、といよれはルナ一人ではまた被害が拡大しそうだからという理由でだ。
三人揃ってメイド服を着用し、それぞれに責任をなすりつけながら掃除に精を出す。
「わわ、チルノちゃん! 銅像をタワシなんかで擦ったらダメだよぉ」
「え、そうなの」
三妖精の背後では、大妖精とチルノが銅像相手に奮闘している。
この二人も三妖精同様の理由でここにいる。
足を引っ張っているように見えるのは、わざとというわけではないだろう。
すっかり薬の効果が切れてしまったチルノはいつもの調子で周囲に迷惑を掛けている。
「そうそう、永琳さんから伝言でね。また薬の実験に付き合って欲しいって。
前回の結果があまりにも凄かったから、今後もお願いしたいって言ってたよ」
「絶・対・やだ!」
断固拒否の姿勢を崩さないチルノに大妖精は苦笑を漏らす。
「バカを治す良い機会なんじゃないの?」
「それもそうね。この間の薬は凄い効き目だったんでしょ」
背後でその話を聞いていたサニー達が早速揚げ足取りにかかる。
「何をぅっ」
売り言葉に買い言葉。
口論は発展して、すぐに取っ組み合いが始まってしまう。
「もー、掃除の途中なのに。やめてよー」
大妖精が止めようにも、サニーとチルノの間には入れない。
「あ……」
その傍では一人窓硝子と格闘していたルナが本日二度目の破壊活動を起こしていた。
掃除どころではなくなってしまったこの惨状。
「あ・な・た・た・ち?」
その時全員が動きを止める地鳴りのような声が響き渡った。
全員がぎこちなく首を動かすと、そこにはメイド長の咲夜が立っていた。
腰に手を当て仁王立つ姿からは、誰も逆らえないオーラが噴出している。
「え、えっと、これはその……」
「問答無用ですわ」
見た者すべてが凍り付く笑みを浮かべながら、咲夜は手にナイフを構える。
そして問答無用の言葉通りの制裁を加えるのだった。
喧嘩両成敗。約一名、あまり関与していない者もいたが。
《終幕》
☆後書☆
妖精シリーズ、今回はちょっと方向性がいつもと違います。
タイトルの「頭脳戦」は「ぶれいんばとる」と平仮名読みするのが正解です。
知能は低いとされている妖精が頭脳戦を繰り広げたら?というコンセプトで書いてみました。
でもあんまり賢すぎるのもあれなので、対サニーミルクと対ルナチャイルドでは
結構相手のドジによって、とかまぐれとかで勝負が付いてます。
ただそれだけでは「頭脳戦」の名を冠すには相応しくないということで、
スターサファイア戦はちょっと格好良いチルノを描いてみました。
違和感が出ないように、困ったときの永琳先生頼みのネタを使ってw
三妖精は今回初挑戦。スターが少し賢すぎたかな。
でもこれくらい役割がはっきりしている方が書きやすいんですよね。
一番頭良いのはサニーとされていますが、美味しいところを持って行くのはスターかな、と。