蓬莱の咎人−前書−


 月の裏には何がある?
 発達した文明都市?
 月の兎の集落?


 大当たり。


 我々地上の人間が見ている月は、天蓋に映る月の姿。
 つまりただの映像情報に過ぎない。ならば何故、それを本物の月だと確証できるのだろうか。
 それは所詮我々の間で、あの“空に浮かぶ白くて丸いもの”が
 “月”だと信じられているだけにすぎない。
 偽物でも、それを本物だと思いこめばそれが真実になる。
 人間の思考などそれだけ短絡で浅はかなものでしかないのだ。


 では本物の月と何なのか。
 姿形は我々が見て信じている月と大差ない。
 しかし、違うのは特定のモノ達だけが感じることのできる特殊な力。
 直接浴びれば人を狂わせる程の強力な力だ。
 だから月は天蓋に映されることによって、その毒を中和されているのである。
 そしてそうさせているのは、我々とは違う人々。
 月には我々には想像もできない文明があったと、そう考えられる説があった。
 すでに月に行くことのできるこの時代。そんなことを言っていれば世迷い言として
 相手にされはしないだろう。


 しかし、真実はいくらでも変えられる。
 月には我々とは違う人が住んでいて、その存在を知るのは此の世で一握り人間だとしたら。
 月に実際に行くことのできない我々にとって、月の事をしれるのは行った者からの
 情報のみである。それが曲折されて伝えられていたとしたら。
 今、何故月への旅行や基地計画がこうも着々と進められているのか。
 それはなにも技術が発達したからではない。
 月に自由に行くことができる、そこで地球人が好きにできるという条件が整ったからだ。
 もし月に人が住んでいて、我々地球人がそこに攻め入っていたとしたら。
 この世界平和が叫ばれるこの世界で、月人との戦争が路程でもすれば、
 月との戦争よりもまず地球内での内紛が起こるに違いない。
 それを危惧した人間が、秘密裏にことを進めていたとしても不思議ではないだろう。
 地球の技術は我々が思っている以上に発達しているのだ。
 たとえ少人数であったとしても、大人数を相手に侵略する術などいくらでも備えている。


 つまり隠された真実はこうだ。
 月には人が住んでいた。もちろん我々とは違う月の原住民とも言える者達。
 地球と月の間には連絡手段も交通手段もなかった。
 厳密に言えば月からはあっても、この争いに満ちた地球とどうしてわざわざコンタクトをとる必要が在ろうか。
 月人は、平和のため連絡を取ろうとしなかったのだ。
 それによって保たれていた均衡は、地球側の早すぎる文明発達によって崩された。
 初の月面着陸に成功した地球人は月人との邂逅を果たした。そして一時は交流を結ぼうとした。
 しかし、月の地球以上の文明を見た地球人達は月人に恐れを抱いた。
 それがやがて侵略心に変わるのに、そう時間はかからなかった。
 月人の存在を隠しつつも、月への侵略を進める地球人。
 ついには月人を滅ぼし、月をも己達の植民地にしてしまったのだ。


 何故そんなことが言えるのか?


 それは簡単なこと。月の人々はまったく地球と接触が無かったわけではないからだ。
 その事実は物語として、我々の国に伝承されている。
 かなり真実とは曲げられている形で、だが。
 その物語の名は『竹取物語』。
 かぐや姫を迎えに来たのは、月の使者であると書かれている。
 これは物語ではなく、曲折された真実であると信じる者には、
 前述の話もたんなる作り話と笑い飛ばせるものではなくなるのではなかろうか。
 この話をさらに読み進めるには、そう信じてもらうほかないのだが。

 何?
 私自身は信じているのか、だと?
 愚問だな。信じていなければこんな話を語ったりはしない。
 そう、信じることによって、真実は真実たり得るのだ。それがたとえ真実でなくとも。


 なにせ、私も『浅はかな人間』なのだから――――


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