melody of memory


 窓の外に広がる世界を、彼女はただ見つめていた。

 その高さに圧倒されるようなビルが幾つも建ち並び、その中で数え切れない大勢の人が時間に追われて動いている。
 与えられた役割を、課せられた仕事を、余暇を楽しむ余裕さえ、彼らにとっては分刻み。
 人はいつしか怪しいものを切り捨てて、機械という自分たちに理解できるもので世界を満たし、そして自分たちもその一部となる生き方を選んでいた。

 そんな世界が広がる窓の外とは裏腹に、この中はとても静かで穏やかな空気に満ちている。
 外から差し込む黄昏の色が、中にあるものを飴色に染め上げる。
 ここは都心から離れた寂れ商店街の一角に建つアンティークショップ。
 もう何年も前から客足は遠のき、今や冷やかし客すら入ってこない。
 しかし例えどれだけ客が来なくても、この店はずっとここに在る。
 並ぶ商品も昔から変わることなく、ここだけがまるで時が止まっているかのようだ。
 そんな時間の流れが異なる錯覚を覚えさせる空間の唯一の入り口が、前触れ無く開かれた。

「こんにちは〜っ」

 古風なドアベルの音と共に、セピア色の写真を鮮やかに彩る声が吹き入ってくる。
 店主の老女はその声を聞いて、丸眼鏡のレンズ越しに眼を細めた。
 入ってきた久方ぶりの客は焦げ茶色の帽子を被った少女だった。
 白いブラウスと栗色のタイトスカートを着こなす上品な容姿にもかかわらず、発せられた涼やかな声と輝きに溢れた瞳が見る者に活発な印象を与えている。
 少女は店の雰囲気に戸惑うことなく入ってくるが、不意に振り返ったかと思うと、開いたままにしていたドアに向かって手招きしながら声を掛けた。

「ほら、早く入ってきなさいよ」
「ちょっと待ってってば。足の速い案内役に付いていくだけで大変なのよ」

 その少女に続いて、もう一人の少女が開かれたドアの隙間から顔を覗かせた。
 金糸の髪を夕陽で煌めかせる様は、彼女の端麗な顔立ちをいっそう引き立てている。
 少女はゆっくりと足を踏み入れると、埃っぽい空気の籠もる薄暗い店内に視線を巡らせた。

「へぇ、こんな店がまだ残っていたんだ」
「でしょ? この間この店の通りかかった時から気になっていたのよ」

 どこかわくわくした口調で第一感想を述べる金髪の少女に、栗毛の少女は店を見つけた手柄は自分のおかげだと得意げに告げる。
 鼻高々に褒めてと言わんばかりに胸を張る友人を気にも留めず、彼女は飾られた古道具を一つ一つ手にとっては矯めつ眇めつ眺めていた。

「ちょっと、お礼くらい言っても罰は当たらないと思うわよ」
「あーもぉ、わかったわよ。『素敵な店を見つけてくれてどうもありがとうございました。』これで良いのね?」
「ございましたの後に、蓮子さんが抜けてるわ」
「もぅ別にどうだって良いじゃない。感謝してるのは本当なんだから」

 少し変わった友人に辟易した口調で返し、彼女は再び品定めに戻る。
 手に取った懐中時計を耳に近づけて秒針の音を聞いたり、最近ではすっかり珍しくなった糸繰り人形を興味深く見つめたりする。
 それだけのことなのに、とても楽しそうな表情浮かべている様子を見れば、この店に連れてきてくれたことを感謝していることは窺えた。
 蓮子と呼ばれた少女もそれがわかっているからか、友人のそんな横顔を見ながら優しげに微笑んだ。
 そして自身も古き良き時代の忘れ物に思いを馳せるように店内を歩く。

 そんな彼女の目がある戸棚の前で止まった。

「メリー、ちょっと来て」
「なぁに? またくだらないことを言うつもりじゃないでしょうね」
「違うってば。良いからこっち来て」

 金髪の少女――メリーは仕方がないといった様子で手に持っていた写真立てを下の位置に戻しながら、友人の呼ぶ方へと足を運んだ。

「はいはい、それでなんの用?」
「良い物を見つけたのよ」
「良い物?」

 そう言ってメリーは蓮子に言われるがままに、店の隅に置かれたそれに視線を落とす。
 そこにあったものは木彫りの薔薇があしらわれた小さな小箱だった。
 結構な年代物らしいことは一目で分かるが、いったいこれが何だというのか。
 メリーは何気なくその箱を手に取り蓋を開く。
 すると開けた瞬間、箱から澄んだ音色の欠片が零れ落ちた。
 見ると箱の中には複雑に組み込まれた歯車や金具が詰まっている。
 先程の音もその絡繰りによって生み出されたものらしい。
 器械楽器、もしくは自動楽器とも称される演奏者を必要としない楽器で、簡単な造りの物なら土産物屋でも売っている。
 しかしこういった複雑な造りのものは、このようなアンティークショップでも最近は滅多にお目にかかれない。

「これは……オルゴール?」
「そう、最近じゃ全然見かけないから。メリーにも見て欲しくて」

 中にはもう一つ、植物の双葉のような形状をしたぜんまいが入っていた。
 メリーはそれを箱の横に空いた穴に差し込みゆっくりと巻く。
 古い仕掛けだが、きちんと手入れされているのかスムーズに動かせた。
 そして何度か巻いた後にそれを置くと、連なって零れ出る音の欠片が一つの旋律となって、音のない店内に響き渡った。
 どこか懐かしく切ないメロディーに、二人は共に聞き惚れる。

 だが聞いている内にメリーはどこか懐かしさとはまた別の感覚を感じ始めていた。
 次第にぜんまいが切れ始め、途切れだす旋律。そのゆっくりと静止に向かう音色もオルゴールの物悲しい旋律の良さだ。
 そして最後の音が鳴り終えると、メリーは蓋を閉めてゆっくりとそれを元の台へと戻した。
 だが鳴り終えた後も、彼女の視線がそれから外れることはない。

「どうしたの? そんなにこのオルゴールが気に入った?」

 微動だにせず、ただひたすらにオルゴールを凝視する友人の姿に、蓮子は苦笑を浮かべながら尋ねる。
 メリーも蓮子と同じで、こういう雰囲気の店や古い道具が好きだが、ここまで真剣な瞳を向けている彼女を見るのは初めてだっだ。
 いつも一緒にいる友人として、気にならないわけがない。

「そこまで気になってるって事は、何かあった?」
「何かって程のことでもないんだけど」

 ぽつりと漏らされるメリーの言葉は、まるで儚いオルゴールの音色のように微かなものだった。
 蓮子はそれを聞き漏らすまいと、彼女と向かい合うように姿勢を改める。

「つまらない昔話よ。それでも聞きたい?」
「つまらなくて結構。メリーの話がつまらない筈がないもの」
「それはどういう事かしら。まぁ別に良いけど……。あれは私がまだこの国に来る前のことよ――」





 私はごく普通の小学校に通う女の子だったわ。
 だけど蓮子も知っての通り、私には生まれつき不思議な力を持った目があった。
 元々霊感の強い家系だけど、私の力は群を抜いていたのね。
 この話は前にもしたから詳しいことは省くけど、他人とは違う力を持っていることを、私は幼い当時から自覚していたの。

 幼いというのは素直で正直ということ。
 周囲の子達も、どことなく私が自分たちとは違うのだって気付いていたのね。
 私自身もあまり他の子と馴れ合おうとはせず、私には友達と呼べるほどの知り合いはいなかった。
 だけど寂しくはなかったわ。それが当たり前だったから、寂しいとすら感じなかったのね。
 孤独を当然と感じていた私は、いつも一人で遊んでいたわ。
 本を読んだり、誰もいないところを散歩したり。
 今考えるととてもつまらない幼少時代を送っていたものね。

 だけどそんなある日、私がいつものように散歩していたときのことよ。
 学校から少し離れたところに、先生達から近寄ってはいけないと注意されている林があったの。
 入れば必ず迷子になって、親からも先生からもこっぴどく叱られる。
 そんなわけで学校の同年代の子供達は、誰も近づくことはなかったわ。
 もう一つ、そこに入った子達が揃って「あの林には幽霊が出る」って言ってね。
 全員が全員そんなことを言うのは不気味だって、誰も近づかないという理由もあったわ。

 だけど子供の好奇心って、そう言われると逆に疼くものよね。
 一人くらいはそんな好奇心に負けてしまう子がいたって当たり前だわ。
 それが私だったってだけの話。

 その日の散歩で林の入り口までやってきた幼い私は、自分の好奇心が沸き立ってくるのを感じたわ。
 そして気がついたら、もう随分奥の所まで足を踏み入れていたの。
 鬱蒼と茂る木々に阻まれて、まだ昼間だというのに太陽の光は差し込んでこない。
 じめじめした足下に気をつけながら、植物の間を掻き分けるようにして私はどんどん奥へ入っていった。

 誰かに怒られることも幽霊のことも、あの時の私の頭にはなかったわ。
 あったのは、誰も行ったことのないこの林の奥には何があるんだろうっていう好奇心だけ。
 なんとも無謀な思考しかできなかったものね。

 普通、そんなところで迷いもしたら自分が無茶なことをしていたって気づけるわ。
 だけど私は運が良かったのか、出口を見つけることができたの。
 木々の間を白い光が照らしてまるで長いトンネルの出口が見えたときのような感覚。
 私は嬉しくなって飛び出たわ。そうしたら、そこには何があったと思う?

 綺麗な庭の広がるお屋敷があったのよ。
 誰も住んでいないのか、手入れはされてなくてボロボロの廃墟になっていたけどね。
 屋敷の隣には川が流れていて、河のせせらぎと風の音だけがその空間を包んでいたわ。
 ただ幽霊がいるっていうのも、その廃墟を見たら納得したけどね。
 確かに一目見ただけで幽霊が住んでいそうって思ってしまうほど荒れ果てていたから。

 そんな屋敷に辿り着いた私が、その後どうしたかって?
 蓮子ならもうわかってるでしょう。
 今の私よりも冒険心に溢れていた私は、屋敷の入り口に向かって歩き出していた。
 不思議と恐怖は感じていなかったのを今でも覚えてるわ。

 後で聞いた話だけど、そこはずっと昔、栄華を誇っていた貴族が建てた屋敷だったみたい。
 廃墟になってもどこか当時の華やかさが残っていた雰囲気があったわ。
 でも、火事場泥棒にでも入られた後だったんでしょうね。
 高価な調度品なんかは跡形もなく持ち去られて、どこの部屋もがらんとしていたわ。
 ただそれも昔に起きたことだったみたい。
 埃の溜まった絨毯の上には誰の足跡も残っていなかった。
 やっぱり長い間、誰もそこに立ち入ってなかったのよ。

 それなのに、誰もいない廃墟のはずなのに――私は確かに聞いたの。
 金属と金属がぶつかって弾かれたような物音をね。





 そこでメリーはひとまず話を切った。
 相槌も挟まず聞き役に徹していた蓮子は、そこでようやく口を開いた。

「メリーのことだから、それでも帰ったりしなかったんでしょ」
「正解。よくわかったわね」
「何年友達やってるのよ。にしても、普通どれだけ好奇心が強くても、そんなところに一人で行こうとは思わないわよ」
「蓮子も?」
「う、いや……私も多分行くと思うけど」

 自分のことを棚に上げて話していた蓮子は、罰が悪そうにそっぽを向ける。
 そんな友人を微笑ましげに見つめながら、メリーは再びオルゴールのぜんまいを巻いた。
 蓋を開けると変わらぬメロディーが零れ始め、店内は切ない旋律に包まれる。
 だが蓮子は先程の話の続きが気になって仕方がないらしく、絵本の読み聞かせをねだる子供のように続きを急かす。

「それで? 物音にも動じずに突き進んだ勇猛果敢なメリー少女はどうなったのよ」
「そんなに焦らなくても話すわよ。その物音に気がついた私は――」

 オルゴールの奏でるメロディーを聞きながら、メリーはまるで詠うように再び昔語りを始めた。





 誰もいないはずの屋敷に響いた、明らかに人工的な音。
 蓮子の言うとおり、当時から恐怖心よりも好奇心の強かった私は物音のした方へと足を進めていったわ。
 ただ高価な物は持っていかれていても、瓦礫や割れたガラス片なんかが散らばっていて思うように進めなかった。
 それでも先に進もうと思ったのは……なんでかしらね。
 別に誤魔化している訳じゃないのよ? 今考えても本当に不思議。

 そんな足の踏み場もない廃墟の中を、たった一度聞こえた物音の正体を求めてどんどん奥へと入っていった私。
 だけどどの部屋にもそんな音のしそうな物はなくて、結局一番の奥の部屋までやって来たの。
 ここにも何もなかったら、ただの空耳でしたってだけの話よね。
 勿論そんな面白くないオチだったら、こんなに勿体つけて話さないわよ。

 その部屋も他の部屋と同じで、すでに泥棒に荒らされた後だったわ。
 でも他の部屋よりは心なしか綺麗に見えたけど、それでも何かありそうな様子はなかった。
 でもここまで来たのに何も無いなんてつまらないじゃない。
 何が何でも、何かしらは見つけてやろうって意気込んだ私は、その部屋を隈無く探索したの。
 そうしたら見つけたのよ、ある物をね。

 蜘蛛の巣と埃まみれで真っ白けだったそれを、私は思わず拾い上げていた。
 証拠になるような物は何一つ無かったけど、さっきの物音の正体はこれだって確信すら覚えていたわ。
 私が見つけて拾ったもの――それがオルゴールだったのよ。
 見た目はただの小物入れで、外側に高価な宝石が付いているようなものでもなかった。 泥棒も子供の玩具に価値は見出さなかったのか、盗られることなく屋敷に残されていたみたい。
 落ちた周囲の埃が少し散っていたから、きっと無造作に棚に置かれてあったオルゴールが床に落ちて、それで物音がしたんでしょうね。
 まぁ子供だった私にそこまでの洞察力はなかったし、もうそんなことはどうでも良くなっていたのが事実よ。
 私の興味の対象は、それを拾った瞬間から見慣れないその小箱に向けられていたんだもの。

 オルゴールなんて見たのも初めてだったから、最初は一体何なんだこれは、って色々調べたわね。
 叩いたり振ってみたり、無駄に開け閉めしてみたり。
 中に入っていたぜんまいも、当時の私にはどう使うのか分からなかった。
 でもしばらく遊んでいる内に、それが横に穴に差し込むものなんだって気がついて、音を出すのに成功したのもすぐのことだったわ。
 聞いたこともない音色と旋律を、一度聴いただけで気に入ってしまった私は、しばらくの間は音が止まったらまた巻いて聞いて、また止まったらまた巻いて聞いてをずっと繰り返していたっけ。

 それからというもの、時間を見つけてはその屋敷に足を運んで、オルゴールの音色に耳を傾けて時を過ごしていたわ。





 オルゴールの音色が止むと同時に、メリーもまた話をそこで止めた。
 友人にそんな思い出話があったことを初めて聞いた蓮子は、腕を組んで成る程ねと頷く。
 そして音の止まったオルゴールを手にしながら、口を開いた。

「オルゴールの思い出か。なかなかロマンチックじゃない」
「そんなメルヘンなものでもないわ。私にとってはあれが、あの頃唯一の友達みたいなものだった。だから気になった、それだけのことよ」
「確かに無機物だけが友達っていう幼少時代は寂しいものがあるけどね」

 そう言って笑みを苦笑に変える蓮子。
 その表情にどこか寂しげなものを感じるのは、彼女もまた似たような境遇の中にあったのかもしれない。
 しかし今はこうして二人、互いに友人としての関係を築いている。

「昔がどれだけ寂しくても、今はあなたがいるじゃない」
「い、いきなり何を言い出すの。そんな恥ずかしい台詞言われても、何か企んでるようにしか聞こえないわよ」

 悪態をつく蓮子だが、メリーには勿論それが照れ隠しであることはわかっている。
 そうやって自分のことを見透かしているかのように笑う友人に、蓮子は改めて付き合いの長さを思い知らされた。
 つかみ所の無さでは自分よりも上を行く彼女と、口論でやり合っても勝てるのは専攻である物理学の土俵で話すときくらいだ。
 こうして一本取られるのは今に始まったことではない。

「はいはいそれで。思い出話はそれでお終い?」
「ヤケになってるところがまた可愛いわね」
「しつこいわよ。……それで、話を戻すけどそのオルゴールはどうしたの?」

 蓮子にそう問われると、それまで朗らかだった表情を一変するメリー。
 何かいけないことを聞いてしまったのかと蓮子は考えるが、目の前にいるメリーは表情が変わったと言っても暗くなったわけではない。
 言っても良いものかどうか考えあぐねているような、そんな小難しい顔をしている。

「まだ話には続きがあるみたいね。包み隠さず全部言っちゃいなさい。楽になるわよ」
「レトロドラマに出てくる警察の取り調べじゃないんだから」
「まぁ今更どんな話をされたところで、驚きもしないし馬鹿にもしないわ。単に興味があるだけだから」
「そこまで言うなら話すけど……」






 それからというもの、私は暇を見つけてはその廃墟に忍び込んで、オルゴールの音色と一時を過ごしていたわ。
 そんなに気に入ったなら持って帰って聞けば良いと思うでしょ?
 でもね、あれはあそこから動かしてはいけないものだって、幼い私はずっとそう思っていたのよ。
 もう誰も住んでないし、誰かがここに戻ってくることもないってことはわかっていた。
 だけど、それでもそのオルゴールは誰かの大切なものに違いないから、それを勝手に私が持っていくのはいけない。
 私はその誰かの大切なものを、少しの間使わせてもらっていただけだから。

 そんなある日のこと。
 もう随分慣れた足取りで林を抜けて、いつものようにその廃墟にやってきた私は、あの部屋に入ってオルゴールのぜんまいを巻いた。
 何十回と聞いても全然飽きることのない旋律は、その日も私を楽しませてくれたわ。
 だけどその日の前日、パパが買ってくれた本をつい読み耽ってしまって夜更かししちゃっていてね。
 オルゴールから流れてくる心地よい音楽もあって、私はいつの間にか眠ってしまっていたの。


 その時、とても不思議な夢を見たのよ。


 とても綺麗な庭に私は立っていたわ。
 色取り取りの花々が咲き乱れて、その蜜の香りに誘われて蝶や蜜蜂が飛んでいるの。
 水をあげたばかりの花壇はどれも宝石箱を開けたようにキラキラと輝いていたわ。
 私はそんな光景を素敵なドレスを着て眺めていたわ。

 その時私のことを呼ぶ声が聞こえて、私は嬉しそうに屋敷の方走っていくの。
 そこには大好きなパパとママ、それに私のことを可愛がってくれる姉さん達がいた。
 この日は私の誕生日だったのよ。
 お屋敷には沢山のプレゼントが届いていて、家族みんなが祝福してくれたわ。
 楽器の得意な姉さん達は、私のために曲を演奏してくれた。
 ママは私の好きな料理をいっぱい作ってくれた。
 そしてパパは、私に小さな包みをプレゼントしてくれたの。
 私が「開けても良い?」って聞いたら、パパは微笑みながら頷いてくれた。
 みんなが見ている中、丁寧に包みを開くと中からとても素敵なオルゴールが出てきたの!
 ぜんまいを巻いて蓋を開くと、姉さん達が私のために作ってくれた曲が流れてきたの。
 パパが姉さん達と、私のために作ってくれた世界に一つしかないオルゴール。
 私はすぐにそのオルゴールが気に入って、パパに抱きついたわ。
 口元に蓄えたお髭がくすぐったくて、我慢できずに私が笑うと、パパも一緒に笑った。
 それを見たママも姉さん達も、いつの間にかみんなが笑顔になっていたわ。
 素敵な素敵な誕生日。
 その日は私にとって、一生忘れることのできない大切な日になった。


 そこで私の目が覚めた。
 とっくに窓の外はオレンジ色で、慌てて家に帰ったわ。

 家に帰ってからは、ずっとあの夢で見たことを考えていた。
 勿論私に姉なんていないし、そんな豪華なお屋敷に住んでいるわけもない。
 それからパパに聞いてみたの。
 あの廃墟について何か知らないかって。
 そうしたらあそこには昔、それなりに裕福な家族が住んでいた話をしてくれたわ。

 父親と母親、それに四人の娘が、それはもう仲良く暮らしていたそうよ。
 だけどある日その両親が亡くなってしまってからは、四人の姉妹もバラバラになってしまって、あの家は廃墟になってしまった。
 今にして思うと私が見たのは、幸せだった頃のその家族の記憶だったのかもしれない。
 あのオルゴールを聞いた私が幸せな気持ちになれたのも、きっとそんな思い出を無意識のうちに感じていたからなのね。

 それからしばらくして私は日本に渡ることになったから、その後あの廃墟がどうなったかは知らないわ。
 誰にも荒らされずに残っていれば良いんだけど。
 人の世界にある限り、いつかは目について壊されるか直されるかするに違いない。
 いっそ人の立ち入れない世界に行ってしまえば、あの幸せな思い出もずっと残ったままになるのにね。





「今度こそ、この話はお終い。その後のことは本当に知らないから話しようもないしね」

 読み聞かせていた絵本を閉じるように、メリーは穏やかに余韻の残る響きを残しながら話を終えた。
 メリーの柔らかな語りと淡い旋律のハーモニーが心地良い時間が終わり、蓮子は些か残念そうな笑みを浮かべる。

「メリーって昔からそんな体験していたのね。羨ましいわ」
「人より不思議な夢を見ているだけよ」
「それが羨ましいのよ。それにしても本当にこれなの? その話に出てきたオルゴールって」
「うーん……よく似てるし、これだとは思うんだけど」
「同じ物かわからないの? そんなに細かいところまで覚えているのに?」
「もう十年以上も前のことなのよ? それにこんな所で見つかるなんて、奇跡としか言いようがないわよ」

 メリーの国の、しかも廃墟にあったものが、どういう経緯でこの店まで流れ着いたのかはわからない。
 ここでメリーと再会できたのはまさに奇跡と言えるだろう。
 もしこれが奇跡や偶然でないとするなら、いったい誰の意思がそうさせたというのか。

「せっかくだから買って帰れば?」

 蓮子の勧めに、メリーはオルゴールを手にとって考える。
 思い出の品と同じ物でなくても、この時世にこんな器械楽器と巡り合えるのは珍しい。
 状態も良いし、きめ細やかな装飾はインテリアとしても申し分ないだろう。
 しかし購入するとすれば問題となってくるのは金額だ。
 これだけのものだ、学生が手軽に買える金額で済むはずがない。

「あの、これおいくらですか?」

 メリーはひとまず金額を聞くため、今まで一言も喋ることなくカウンターに座っている店主を訪ねた。
 丸眼鏡をかけた老齢の女性は、商品を持ってきたメリーを一瞥すると、柔和な笑みを浮かべて首を横に振る。
 その行動の意図するところがわからず、メリーはきょとんとしながらオルゴールを差し出した。

「もしかして、これは売り物ではないとか?」
「いいえ、勿論売り物ですよ。でも、お金をもらう必要はありません」
「どうして、ですか」

 まさかの申し出に、メリーの混乱はますます大きくなるばかり。
 しかしそんな慌てるメリーにも、店主の老女は穏やかな笑みを絶やさない。

「私はね、物はあるべき場所にあるのが一番だと思っているんですよ。それはあなたの所にあるのが一番だと思ったのです。だから売る必要はありません」
「それじゃあお店が……」

 あなたがそんな心配をすることはないわと、店主の笑みが苦笑に変わる。
 そしてオルゴールを持ったままのメリーの手を、皺の寄った温かな手で包み込んでこう言った。

「大事にしてくれる人の所にある方が、物も幸せなのよ」
「でも……」
「良いじゃない。こんな機会滅多にないわよ? くれるって言うならもらっておくのも礼儀の一つってね」
「何言ってるのよ。あめ玉一つとかそういう話じゃないのよ」

 横から割り込んできた蓮子のいい加減な言動を、メリーは叱咤しながら店主に向き直り頭を下げた。
 申し訳なさそうに、そして同時にとても嬉しそうに笑いながら。

「ありがとうございます。でもやっぱりこれはいただけません。……でも」
「なんでしょう」
「また、聞きに来ても良いですか?」

 メリーがそう告げると、店主はすぐにメリーに微笑みを向けてゆっくりと頷いた。
 その隣では蓮子が羨ましそうに、そのオルゴールに視線を落としている。
 しかし自分が申し出てもこの店主が譲ってくれないことは、彼女自身わかっているのだろう。

「あ〜ぁ、メリーがもらわないなら私が欲しかったなぁ」
「何言ってるのよ。私が来るときは蓮子も一緒なんだし、一緒に聞けばいいじゃない」

 それもそうねと、特に未練がましいことを言ったりはせず、蓮子は薄闇掛かり始めた外へと歩いていった。
 乾いたドアベルを鳴らしながら店を出て行く友人の後を、メリーも慌てて追いかける。
 しかしその手がドアノブに掛けられたとき、

『大切な友達ができて良かったね』

 聞き覚えの無い声が聞こえ、メリーは気になり振り返る。
 しかしそこには店主の女性がいるだけで、他に人影はない。
 メリーが振り返ったのを見て、店主は微笑みながら頭を下げる。
 それに倣ってメリーも再度会釈を返し、先程の空耳を気にしつつ店を出た。

 外は夕焼けが沈む直前の、最も視界が薄暗い色に染まっている。
 人気のない商店街に少ない街灯が点き始め、空には街灯よりも少ない星が光り、町全体が夜に変わっていく。

(さっきの声はなんだったのかしら)

 メリーはやはりあの声が気になって、再度閉めたドアの向こうに視線を向けた。
 周りは薄暗く、硝子越しに見ているため店内の様子を窺うことは難しい。
 しかしメリーの視界には確かに映っているものがあった。

 店主の隣、そのカウンターに置かれたオルゴールの前に立つ一人の少女。
 その姿は見たことがないのにどこか懐かしく、古くからの知り合いであるような錯覚を覚える。
 少女は微笑みをたたえながら、メリーを見つめ返していた。

「何やってるのよ〜。今から飲みに行くんでしょうっ」

 いい加減痺れを切らした蓮子からの呼び声が聞こえ、メリーは店の前を後にする。
 もう一度だけ振り返ってみたが、いつの間にかあの少女の姿は消えていた。
 メリーは今度こそ前を見据えると、自分を待っている友人の元へと駆けていく。


 久しぶりに時間の流れを感じた店内にも、再び静寂が戻ってきた。
 賑やかな客が帰り、店主も居住スペースに戻り、灯りの消えた店内には誰もいない。
 カウンターに置かれたままのオルゴールだけが、人の通らない町を眺めている。
 しかし彼女が見ている景色は、本当に薄暗い世界なのだろうか。
 それとも幸せな光に満ちた、光る川の畔に建つ屋敷の思い出なのか。

 それは彼女が奏でる旋律だけが知っている。
 その旋律が再び奏でられる日は、きっとそう遠くはないだろう。


〜End〜


☆後書き☆

 第五回東方SSこんぺ参加作品の一つです。
 御題が『きかい』ということで、このお話のテーマは『器械』。
 文中でも説明していますが、オルゴールって器械楽器とも言うんですね。
 オルゴール→プリズムリバーのレイラ、とまではすぐに思いついたのですが、そこに秘封の二人を加えることで、
 ネタとしては良い話になったのではないかなと。
 ただ、あまりネタバレな内容過ぎては面白くないかなと思って書いたので、あまり親切ではありません。
 難しいところですね。

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