さいごのいっこ


 波風の立たない静かな水面を、滑るように船が往く。
 周囲は深い霧に覆われ流れも無く、船がどの方角を向いて進んでいるのかも傍目には分からない。
 只一人、その船の船頭を除いては――

「いやぁ、今日もい〜ぃ天気だねぇ」

 湖に浮かべて遊ぶような大きさの船をたった一人で漕いでいるのは、背中に背負った大鎌が印象的な女性。
 物悲しい辺りの雰囲気とは裏腹に豪快な笑い声を上げながら、慣れた手つきで櫂を扱っている。
 ここ、三途の河の船頭は皆死神が担当しており、中でも一番陽気で話し好きなのが、彼女――小野塚小町だ。
 今日は珍しく、もとい当たり前に自分の仕事をこなしている。

「生きてたって死んでたって、お天道様は変わらず昇って沈んでいく。んでもって、ぽっかり昇ったお月さんを眺めながら熱々を一献クイッとくりゃあ、もう全て世は事もなし……ってねぇ」

 彼女が話しかけているのは、彼女の客である向こう岸に運ぶ魂だが、死人に口なしと言うだけあって相槌一つ戻ってくることはない。
 それでも死者の魂の考えていることは分かるらしく、小町の顔には不快感など浮かんではいなかった。

 のんびりとマイペースに船を漕ぎ、自分なりに気に入っているこの仕事を全うする。
 今日はこの魂を向こう岸――彼岸に運べば一通りの業務は終了の予定だ。
 そうしたら死神仲間と地獄の一番街に繰り出すも良し。時間が合えば上司の閻魔も誘ってみよう。

「あの世だって捨てたもんじゃない。地獄に堕ちればそれ相応の罰もあるが、そう悲観しなさんな」

 死神のくせにやたらと陽気な自分を見ていた魂の揺らぎを感じ取り、小町はあっけらかんと言葉を掛ける。
 根拠などは一切無い。強いてあげるとすれば地獄で暮らしている自身の勘くらいだ。
 それでも彼女の陽気さは、これから完全な死へ向かう魂にとっても悪いものではない。
 彼岸に渡ればこの世との関わりを一切断たれ、あとはひたすら閻魔の裁判を待つだけなのだ。
 そしてそれが終われば定められた場所で、それぞれ次の転生まで長い時を過ごすだけ。
 それなら彼岸に渡っても、こういう陽気な奴が居ると思うことができた方が、少しでも将来に期待が持てるというものだ。
 死んだ者に対して将来の期待も何もあったものではないのだが。

「さぁて、ご到着だ。まぁ何もないところだけどさ、ゆっくりしていくといい。何せ時間は途方もないくらい沢山あるからね」

 やがて見えてきた霧の向こう側には、暖かな光が降り注ぐ広大な花畑が広がっている。
 賽の河原を越えた先が彼岸と呼ばれる地獄と冥界、そして天国への分岐地点だ。
 昼も夜もない、裁判を待つ魂達の待合室。

 その船着き場の一つに船を留めて魂を降ろすと、小町も仕事が終わったため荷物を持って船を降りた。
 話し声が殆ど聞こえてこない彼岸を横切って、自宅がある地獄への道を行く。
 背中に背負った大鎌と豊かな胸を揺らしながら豪快かつ軽やかな足取りで仕事後の一杯への楽しみを露わにする小町。

 しかしこの時、彼女は自身が犯した最悪のミスには気づいていなかった。
 小町の頭には、この後の酒宴のことしか浮かんでいなかったのである。


   ◆


 翌朝、小町の自宅の布団にはまだ夢の中を彷徨っている家主の姿があった。
 白襦袢一枚で寝ている上に寝相の悪さも相まって、色々と言葉にはできないような状況が広がっている。
 布団の側にはいくつかの酒瓶が転がっており、寝酒をしていた様子がうかがえる。
 ただでさえ昨夜は二件三軒と梯子をしていたというのに、帰ってからまた飲んだらしい。
 今日が休みであったからできたことだが、彼女なら翌日に仕事があろうと無かろうと飲んでいた可能性は否定しきれない。

「……う、ぅぅ」

 顕界で言えばとっくに日が高く昇った頃合いになってから、ようやくその身体が動き始めた。
 ゆっくりと上半身を起こし、まだ半分眠ったままの思考を巡らせる――が、途端こめかみ辺りに激痛が走り、小町は布団の上で悶絶する。
 せっかく起こした身体を再び布団に埋めてうめき声を上げる。
 なんてことはない、単なる飲み過ぎによる二日酔いだ。身から出た錆、自業自得というやつである。

「そんなに深酒した覚えはないんだけどなぁ」

 そもそもどれくらい飲んだかも記憶が定かではない時点で、飲み過ぎているのは火を見るよりも明らかだ。
 しかしそんなことはひとまず彼女にとってはどうでもいい。先決すべきは、この頭痛を少しでも和らげること。
 這うように進みながらなんとか流し台までやってくると、コップに注いだ水を一気に喉へと流し込む。
 その後も二杯三杯と喉が落ち着くまでひたすらに水を飲み干していく。むしろ頭から被りたいくらいの勢いだ。

「っぷぁ〜っ! 五臓六腑に染み渡るってのはまさにこのことだね」

 なんとか思考も冴え始め頭痛も多少は治まったらしく、小町の顔にはいつもの飄々とした様子が戻りつつある。
 窓の外には死神や閻魔の住居が建ち並ぶ、人間からすれば地獄とは思えない光景が広がっているが、小町にしてみればいつもと変わらない。
 今日は仕事も休みだが、かといって家でごろごろしている質でもないため、ひとまずは出掛ける用意をしようと寝室へと戻った。
 脱ぎ散らかしていた着衣は洗濯籠に放り込んで、衣類棚から新しい着物を取り出し着用する。
 帯をキチッと締めて、今日の気分で決めた髪留めで髪型を決め、鏡で最後の確認をすれば準備完了。
 豪快で男勝りな性格でも、やはりそこは女性。身嗜みには相応に気を遣うし、帯や髪留めも色合いや気分をちゃんと考慮して決めている。

「よし、っと」

 納得のいく出来に仕上がったことを自身の目で確認し、満足げに頷く小町。
 遅い起床になってしまったが、まだまだ1日はたっぷり残っている。
 日々是謳歌。一日一日を楽しんでこその命。
 その信条を体現するべく、小町は家を後にした。




 罰を受ける魂達が居る場所とは異なり、居住区一帯は顕界とあまり変わらない日常を送っている。
 閻魔も死神もずっと仕事詰めの暮らしをおくっている訳でもない。
 仕事があれば相応に娯楽もあり、小町のように休日を謳歌する者も少なくないのだ。
 特に殆どの業務がルーチンワークと化してしまっている現状では、休暇の1つや2つもらわないとやっていられない。
 おかげで小町のような少々困った悪癖を持った死神までいる始末だ。
 
 当の小町は堂々と休暇を謳歌しており、出店で買った焼き鳥に舌鼓を打ちながら、地獄の商店街を特に目的もなくぶらぶらと見て回っていた。
 ただ地獄の商店街は、あまり華やかなものではない。
 地獄とはあくまでも地獄でなければならず、特に堕とされた魂にとっては苦行を積むべき世界であり、また生者にとっては墜ちたくない地でなければならないのだ。
 その地獄に煌びやかな繁華街が堂々とあっては面目丸つぶれ。
 それを懸念してか、飲食店や居酒屋など店の種類は様々揃っておきながら、その実看板などは小さくまた地味に作られており、また店頭に品物が並ぶ店も少ない。
 しかし他に行くべき場所も無いため、殆どの死神や閻魔はこの商店街を中心に休暇を過ごすのが当たり前となっていた。
 故に顔見知りと遭遇する率はとても高く、小町も行き交う雑踏の中に同業の知り合いを見つけて、話しかけた。

「や、お前さん方も休みかい?」

 話しかけられた死神は、小町のどこからどう見ても仕事人には見えない姿を見て苦笑を浮かべた。
 呆れられたと分かっても、その程度を気にするほど小町の性格は矮小ではない。
 むしろ逆に笑い飛ばすくらいの気概あってこその彼女である。
 しかし、彼が笑ったのは別にそういう意味での笑いではなかった。

「俺等は休みじゃないんだ」
「船頭とは別の仕事かい? ご苦労なこったね」
「ったく、毎度の事ながら呑気だな。こっちは重大な任務を任されてるってのに」
「重大な? 何かあったのかい?」

 小町のラフすぎる格好に、うっかり口を滑らせてしまったのか、その死神は「不味い」といった表情を浮かべて口を閉じた。
 しかしそういうことをされればされるほど、気になってしまうのが好奇心というもの。
 ずずいと顔を近づけて、小町は続きを話すように促した。

「別にいいじゃないか。こう見えてもあたいは口が堅い方でね」
「死神一番のしゃべり好きが何を言うか」
「良いから良いから。ほら、焼き鳥食べないかい?」
「食い物で釣られるほど落ちぶれちゃいねぇよ。……わかったわかった、こうしている間にも何かあったら、閻魔様方からどんな仕打ちを受けるかわかったもんじゃないからな」

 どうやらそれほどまでに急な仕事らしく、長居をする気のない死神は溜息を吐くと、課せられた仕事をそっと小町に耳打ちした。
 しかしそれは俄には信じられる話ではなく、小町も聞き終えた後すぐには話を信用できなかったほどだ。
 ただ嘘を吐いている様でもない。

「……それ、本当なのかい?」
「当たり前だ。俺以外にも、手の空いている死神の大半が秘密裏にこの任務を与えられている」
「言われてみれば、いつもより空気がピリピリしている気がするね」
 
 周囲の様子に視線を巡らせて、改めてこの話が本当であることを認識する小町。
 どうやらまだ残っている酒が感覚を鈍らせていたらしい。

「生きた人間がこっちに迷い込んだなんて……イザナミとイザナギの話じゃないんだから」
「だから閻魔様からの勅命だって言ってるんだ。それじゃあ俺は急ぐから、これでな。もしその人間を見つけらすぐに閻魔様に伝えろよ」

 言うが早いか、死神は小走りにその場を去っていった。
 焼き鳥を片手に、残された小町は彼の話を頭の中で反芻していた。

 死者の世界に生者が立ち入ることは、まず不可能と言って良い。
 幻想郷における冥界と顕界のように特殊な例もあるが、基本的に此岸と彼岸は完全に隔てられた別世界であり、互いに干渉できるのは死神と閻魔のみ。
 しかし彼等とて、顕界でできることは限られている。
 それだけあの世とこの世とは、かけ離れた関係であるのが当然なのだ。
 かつてイザナギという男が妻であるイザナミを迎えに来たことがあったというが、その時に使用された入り口は今や完全に封鎖され使い物にならない。
 今となっては、三途の河を渡るほか“こちら側”に来ることはできないのだ。
 逆に言えば、その迷い込んだ生者というのは三途の河をどうにかして渡り、色々とあの世の事情を知ってやってきたということになる。
 閻魔が勅命を出してまで、その生者を捜しているのは、あの世とこの世の理を勝手にねじ曲げた大罪がその者にはあるからだ。

「居るんだよねぇ、いつの時代も。死後の世界が気になって、今の人生を蔑ろにしたがる馬鹿ってのは」

 死にたいなら死ねばいい。
 自殺は確実に地獄行きだが、未練が無くあの世に生きたいなら、それが一番手っ取り早い。
 問題なのは死後の世界に興味があるが、死にたくはないという厚顔無恥な知識人である。

 まぁ、どうせいずれは見つかって極刑になるだろうと、小町は気楽に我関せずを貫くつもりで事態を軽く見ていた。
 残っていた冷めた焼き鳥をほおばって、さて次は何をしようかと思案を巡らせる。
 だがその時だった。
 突然4、5人の屈強な獄卒が現れたかと思うと、彼女の周囲を取り囲んだのだ。
 しかし小町はその威圧感に怯みもせずにむしろ睨み返すくらいの余裕を見せる。

「三途の河船頭勤務、小野塚小町だな」
「なんだいなんだい、藪から棒に」
「十王が一人、宋帝王様より出頭命令が出ている。我々と同行し、速やかに参られよ」

 宋帝王――その名が出た瞬間に、小町の顔は凍り付いた。
 十王の一人、文殊菩薩とも称される宋帝王が何故下っ端死神の自分を名指しで呼び出すのか。
 直属の上司である閻魔、四季映姫に呼び出されるのなら納得できるが、この呼び出しは何よりも疑問しか浮かんでこない。
 かといって、ここで逆らうほど小町も世渡りを知らないわけではなく、元より断る理由も存在しなかった。
 胸中には疑心が残りつつ、小町は獄卒達に連れられて宋帝王の待つ裁判所へと向かうことになるのだった。


   ◆


 普段は船頭勤務の死神では到底入ることなどできない十王の裁判所。
 その豪奢な門をくぐり、小町は宋帝王の待つ間へと通された。
 もちろん宋帝王と謁見するのも初めてのことだ。
 案内された最奥で、小町は理知的な顔立ちの中性的な雰囲気を醸す閻魔と邂逅を果たす。

 剣と教典という一見相反するものを側に置き、細目の閻魔はその空いているのかどうか微妙な目でやって来た小町をまずはじっと凝視する。
 そして徐に口を開くと、想像していたよりも遙かに穏和な口調が響き渡った。

「貴女が小野塚小町ですね」
「はい、そうです」
「幾つか質問があるのですが、その前に貴女は今この地獄で何が起こっているのか知っていますか」

 語末は疑問系だが、明らかに小町は知っていることを見抜いた上で聞いている。
 閻魔――しかも十王である宋帝王――に対して、隠し事をするなど愚の骨頂。
 小町は大凡の見当を付けて、こちら側に迷い込んだという生者のことですね、と告げた。

「そうです。本来ならばあってはならない事態。臨死者が彼岸に迷い込むのとは訳が違います」
「あれは仮にも一度死んだ上で、やって来ていますからね」
「はい。しかし今回はそうではない。我々は、完全に生きた状態でこちらに渡ってきた者がいる形跡を見つけました。これはこの世の秩序を乱しかねない非情に危険な因子です」

 どうやら事態は小町が思っていた以上に深刻なことに発展しているらしい。
 宋帝王の穏やかな口調にも、端々からどこか焦りのようなものを感じてならない。
 こうなってくると、小町は余計に自分がここに呼び出された理由が気になってしょうがなかった。

「あの、それであたいに質問って……」
「わかりました。一刻を争う事態ですし本題に入りましょう。……率直に聞きます。小野塚小町、貴女がその生者をこちらに招き入れたのではないのですか?」
「はぁ!?」

 思わず十王に対して失礼な発言をしてしまい、慌てて頭を下げ小町は謝った。
 しかしそうも言いたくなって当然だ。
 何を言われるかと思えば、どうして死者を運ぶ自分が生者を運んでくることがあろう。
 いくらなんでも死者と生者を見抜けないわけがない。そんなことで三途の河の船頭が勤まるはずがないではないか。

「そんなことは断じてありません。あたいは自分の仕事に誇りを持って働いています。その矜持に反するような真似はしてません」
「……嘘は言っていませんね。ですが侵入者の形跡を辿ったところ、最終的に辿り着いたのが貴女の船だったのです」
「何かの間違いとかじゃあ無いんですか」

 こちら側に来る手段が三途の河を渡ってくるしかない以上、その手段として使われるのは死神の船だ。
 だから進入の経路を辿った先が船だということは納得ができる。しかし、それが自分の船となると話が違う。
 生者を運ぶなどありえない。

「貴女の言葉に偽りは感じられない。わかりました、信じましょう」
「あ、ありがとうございます!」
「只、我々の情報も信頼に値する者から得ています。もう一度自分の目で船を確かめて来てもらえますか」
「わかりました。何か分かったら、誰に伝えれば良いですか」
「直属の閻魔に、貴女の場合はヤマザナドゥでしたね。彼女に報告を」
「わかりました」



 こうして小町は疑いを晴らし、宋帝王の間から出ることを許された。
 そもそもやってないのだから嘘の吐きようもない。当たり前の結果だと、小町は何一つ不安を感じては居なかった。
 宋帝王の穏和な人柄も一つの要因だろう。

 しかし全く清々しいわけでもない。
 侵入の形跡がどうして自分の船から出てきたのか、そのことに対する疑問が小町の中には新たに芽生えていた。
 宋帝王からの勅令が無くても、すぐに向かうつもりでこうして彼岸の花畑を歩いている。
 周囲には裁判を待つ魂達が、言葉一つ発することなくただぼんやりと存在している。いつもと変わらない光景。

 その間を抜けていくと、霧に包まれた三途の河が見えてくる。
 河原では子供の魂が、親よりも先に死んだ罪を償うために石の塔を立てては獄卒に壊されるということを延々と繰り返しているのが見えた。
 しかしそれが彼等にとってやるべきことであり、それを咎める必要はない。
 それもまた日常と、幾つもの船着き場の中から小町は自分の船が泊まっている桟橋へと足を向ける。
 歩いていると程なくして、流されることなく水面に浮かぶ愛用の船が見えてきた。

「調べるなら調べるで、一言くらい断って欲しいもんだね」

 荒らされてはいないものの、明らかに自分ではない誰かが手を加えた形跡があることに気がつき、小町は肩をすくめる。
 支給したのが是非曲直庁でも、手入れをして使っているのは現場の死神なのだ。
 仕事に対しては些か問題がある小町も、船の手入れだけは欠かしたことがない。
 その相棒とも言える船を、勝手に弄られていい気がしないのは当然のこと。

「さてと、どうせ何も見つからないんだろうけど」

 身軽な身のこなしで船に乗り込むと、小町は積荷など殆ど無いに等しい船上を調べ始めた。
 彼女の仕事場は船の上だ。その為必要な荷物を補完しておけるように、船の上には麻袋が常備してある。
 考えられるとすれば、この麻袋に潜んで川を渡ったのか。
 いやいやそんなことはないだろうと、自分で自分の答えを否定する。
 何せこの麻袋は荷物を入れるためのもので、生きた人間が姿を隠せるほど大きいものではないのだ。

 他に見当たるものと言えば船を漕ぐための櫂くらい。
 やはりどこをどう調べても、この船に侵入者の形跡は残っていない。
 仕方なく小町はいったん自分の家に戻ることにした。


   ◆


 居住区に戻ると、噂というものは飛び火するのが早いようで、街を包む雰囲気は随分と慌ただしいものへ変わっていた。
 皆一様にひそひそと話をしているが、その内容は側に寄って聞かなくても件の不届き者のことであるとわかる。
 わかっているのが“生きた人間”ということしかないのは、どことなく不安を煽るのだろう。
 小町はそんな光景を目の当たりにしながら家路を辿っていた。

(まったく、濡れ衣を着せられてるあたいが一番複雑だよ)

 単に興味本位で話をしている連中を横目に、関係者の一人に仕立て上げられてしまっていることに改めて気を落とす。
 とんだ馬鹿者のおかげでどうして自分がこんな気負わなければならないのか。
 こうなったら他の誰よりも早く侵入者を見つけて宋帝王なり十王の前に突きだしてやらないと気が済まない。

「ま、その前に腹ごしらえしないと」

 思えば焼き鳥をつまんで以来、まともに飯を食べていなかったことを思い出し、近くにあった飲食店ののれんをくぐる。
 晩飯のピーク前なのか客の数もまばらで、これならすぐ飯にありつけそうだ。
 注文を取りに来た鬼にメニューの中から適当に見繕って注文すると、ようやく一息吐くことができたと安堵の息を漏らす。
 グラスに注がれたミスを飲み干し、静かな店内をぼーっと見ていると、次第に落ち着いてくる思考。
 いろいろなことが起こりすぎて頭の中がこんがらがっていた小町は、丁度良い機会だと今までのことを整理することにした。

(えーっと……侵入者はあたいの船に乗ってこっちに来たんだよね。確かに死神の船でしか三途の河は渡れないし)

 三途の河は、見た目が川のように見えることからそう名付けられているだけで、実のところ本物の川ではない。
 此岸と彼岸を隔てる結界こそ、三途の河の本質なのだ。
 越える手段は彼岸を司る是非曲直庁の支給する特別な船を使うしかなく、それに乗るには船頭の死神に許可をもらわなければならない。
 死者は生前に積んだ徳の銭を支払うことで乗れるが、生者はそんな金など持っているはずもないため、事実上乗船は不可能なのだ。

(だけど其奴はどうにかして乗り込んで、こっちにやって来た……。死後の世界に興味があるって理由だけじゃどうにも腑に落ちないね)

 死神の船に乗り込むとは自殺行為も良いところだ。並の興味本位程度ではそんな愚行を犯すことはないだろう。
 つまり侵入者は余程の死にたがりか、危険を危険と考えない無鉄砲か、それともどうしてもこちらに来なければならない理由が在る者かに限られる。
 ただの死にたがりなら一番手間がなくて良い。見つけ次第しょっ引いて、然るべき処罰を受けてもらえばそれで良いのだ。
 問題は残る二者。
 彼等の場合は、どうにかしてここから帰る意思がある。つまり死神や獄卒、閻魔といった“こちら側”の住人に見つかってはならないため、どこかに身を隠していると考えられる。

(だとすると厄介だね。この広い彼岸をどう探せば誰よりも先に見つけられるか……)

 考え事をしている内にすっかり冷めてしまった料理を食べながら、今後のことについてあれこれ思索に耽る。
 そんな小町を物陰から密かに見つめる者が居た。ただじっと見つめているだけで近づくことはない。
 しかしそのことには気がつかず、勘定を済ませた小町は店を後にする。
 それに合わせて視線の主も、こっそりとその後を追いかけた。無論誰かの目には付かないようにこっそりと……。



 行くあてもない小町はただひたすらに歩き続け、いつしか居住区を越えて物寂しい荒れ地へと足を踏み入れていた。
 草木一本生えず、巨大な岩がごろごろしているだけの不毛の大地。
 これこそ人々が思い描いた地獄の有り様だろう。しかし別におどろおどろしい雰囲気は無く、ただただ乾いた風が吹き荒ぶだけの場所。

 その砂と岩だけの地で、小町はそれまで歩みを続けていた足を止める。
 この場所に目星を付けたのには何か理由があるのだろうか。
 否、そうではなかった。

「やっぱり尾けてきているようだね。ここまでぴったり張り付かれると嫌でも気がつくってもんさ」

 背後を振り向くことなく小町はそこに誰か居ることを確信して告げる。
 すると程なくして背後の岩陰から何ものかの足音が聞こえてきた。
 小町はその視線に気がついていないわけではなかったのだ。
 無論最初は気のせいかとも思っていたが、それをずっと背中に受け続けていれば気のせいを通り越して確信に変わって当然である。

「わざわざ人気のない場所まで来てあげたんだ。腹を割って話そうじゃないか」

 何故自分を尾けてきたのか、心当たりがあるとすれば是非曲直庁から指令を受けた死神か獄卒だろう。
 小町の船が怪しいとにらんでいる彼等のことだ。例え小町が嘘を吐いていないとはいえ、どこかで侵入者との繋がりを考えていても不思議ではない。
 しかしそれで尾行を付けるなど、コソコソしたことが嫌いな小町にとっては面白くない。
 上司の閻魔ではないが白黒ハッキリ付けてやろうじゃないかと、威勢良く背後を振り返った。

 ――が、その視線の主の正体は小町が予想していたものとは全くの別物だった。

「こ、子供? しかもあんた……“死んでない”ね」

 岩陰から現れたのは、年の端が十に届くかどうかと思わしきどこからどう見ても子供にしか見えない少年だった。
 小町の死神の目が、ハッキリとその少年の寿命を映し出す。まだまだ幼いその魂は、寿命を迎えるには早すぎる。
 まさか探していた侵入者の方からやって来るなど思っていなかったため、小町はしばし目の前の存在を疑ってしまったくらいだ。
 そもそも侵入者が子供ということすら予想外のこと。確かに子供なら隠れる場所も多く、獄卒達がなかなか見つけられないでいるのも頷ける。
 と、そこでこの少年が追われていることや、自分にも監視が付いているかも知れない懸念を思い返し、まずは周囲に他の死神達が居ないことを確認した。
 そして少年の手を引くと、身を隠すように岩陰へと連れ込んだ。

「おい、何するんだよっ」
「あぁ強く掴みすぎたかい? でもね、それくらい我慢しな。それよりもあんたには聞きたいことが山ほどあるんだ」
「なんだよ」
「今、地獄は顕界からの侵入者で大わらわになってる。その侵入者ってのはあんたのことで間違いないね」
「そ、そうだけど」


「なんてことをしでかしてくれたんだっ!!」


 周囲に聞き耳を立てている死神がいるかもしれないという懸念など、すっかり頭の片隅に追いやられ、小町は渾身の怒りを込めて恫喝する。
 思わず耳を塞ぎたくなるほどの大声に、生意気な口を利く少年も背筋をビクつかせた。
 聞きたいことはあるが、まずはその前に自分がしでかしたことの重大さがわかっていないと話にならない。
 そこで小町は、まず少年に自分の置かれた状況がどういう事になっているのかを諭そうと痛言した。

「生きた人間が彼岸に渡るということがどれだけ大変なことかわかってるのかい」
「そんなの関係ない!」

 突然の尖り声に、今度は小町が肩を振るわせた。
 少年の声には大人にも負けないくらいの意志の強さが込められているのを直感的に感じたのだ。
 どうやら彼が彼岸を渡ってきたのには、それをしなければならないほどの理由があるらしい。
 しかしそうだとしても、彼が犯した事の重大さが変わるわけではない。小町は改めて少年の強い光を有した瞳をまっすぐに見据えると、彼女には似つかわしい真摯な態度を示しながら言葉を続けた。

「関係なくはないんだ。本来なら彼岸と此岸、あの世とこの世ってのは離れてなきゃならない。
 死んだ人と生きた人が自由に行き来できたら、今の世界は大混乱してしまう。それくらいは分別できるだろ?」
「…………」
「当たり前のことかもしれないが、当たり前ってのは、それをそう思わせる秩序があって、それが無意識のうちにみんなに守られているから成り立つことなんだ。
 そしてあんたはその秩序を、当たり前を破った。それは悪いことなんだよ。わかるね?」

 まぁ少しばかり難しい話かもしれないけどさ、と小町は最後に苦笑いを浮かべる。
 それが少年の警戒を緩めたのか、怒鳴った後はずっと黙りっぱなしだった少年が徐に口を開いた。
 彼の生まれが幻想郷であること、そして自分がやったことがどういうことなのを理解しているということを――

「わかってるよ。死んだ人が戻ってこないことも、生きた人が死んだ人には会えないことも」
「そうか、だったらどうしてこんな危ないことをするんだい。二度と向こう側には戻れないかもしれないんだよ?」

 生きた人間がそのまま死後の世界に行ったなど例がない。
 本来なら彼岸に行けるのは死んだ人間だけというのが世の理。それをこの少年は善悪は別として、いとも容易く破ってしまったのだ。
 しかし彼岸から戻れなければ、生きた魂も死んでいるのと同じこと。
 やがては生きていることを忘れ、完全に他の魂同様次の輪廻を待つだけの存在になってしまう。
 その辺りの危険を顧みず、本当に彼岸へ渡ってしまう辺りが無計画な子供らしいと言えば言える。

「そんなの……それでも俺はあいつに会わなきゃいけないんだ」
「あいつ? なるほどね、会いたい魂が居るわけだ」

 彼岸へやって来ようとする理由は、大抵死後の世界を見てみたいか、もう一度死んでしまった者に会いたいかのどちらかに限られる。
 後者については多くの人間がいつかは望む願望の一つだろう。違うのはその思いがどれだけ強いかだ。
 この少年はその願望を強く持ちすぎたのだろう。
 そうまでしたい相手となると、やはり母親や父親といった肉親の可能性が高い。もしくは――

「惚れた相手とか?」
「そんなわけないだろ! ……友達だよ」
「へぇ、友達のためにはるばると」

 別にちゃかすつもりはない。相手が誰であれ、死者を悼む気持ちに差異は無いのだ。
 しかしただ仲が良いだけで、こんな無茶な真似をしようと思うだろうか。
 その疑問は少年が続けて話す言葉で解消することになる。

「謝らないと……あいつは俺のせいで死んだんだ」
「何が……あったんだい」

 それを話すのは辛いことだ。
 しかし、小町は聞かざるをえなかった。
 どれだけ残酷な事とわかっていても、どうしてもこの少年の抱く悔恨を知る必要があると、そう思えてならない。

「……あいつは川で溺れて死んだんだ。俺達が遊び場にしていた川だった」

 少年とは違い、友人はどちらかと言えば部屋で本を読む方が好きな大人しい少年だった。
 それでも幼馴染みの彼に付き合って、体力のない身体で野山を駆け回っていた。
 そんな友人を、少年はいつも冗談交じりに小馬鹿にしていたのだ。
 それが原因でしょっちゅうケンカもした。絶好という言葉を何度使ったかも覚えていない。
 しかしその度にどちらからでもなく謝って、また同じように遊ぶ日々を送っていた。

「あの日、俺達は川で水切りをして遊んでいたんだ」
「石を投げて水面で跳ねさせる遊びだね。あたいもたまにやるよ」
「俺、水切りが得意でさ。それに比べてあいつは下手っぴだから1回も跳ねないんだ。それで「下手だなぁ」って言ったら、怒り出して……」
「ケンカになったと。よくある話じゃないか」

 それだけならどこの子供でも日常茶飯事だ。
 ただ、彼等の場合はその後が悲劇だった。

「ケンカしている内に俺も怒って、あいつを置いて家に帰ったんだ。そしたら次の日になってもあいつが家に戻ってなくて……」

 里の大人が総出で探したところ、川の下流で果敢無い姿となって発見された。
 あの後、川に残って何をしていたかは分からないが、謝って流れに呑まれそのまま岸に上がれなかったらしい。

「あそこで俺が馬鹿になんてしなかったら、あいつは川で溺れることもなかったんだ……それにケンカしたままなんて、そんなの嫌だっ」

 悔やんでも悔やみきれない感情と共に、少年は言葉を吐き出した。
 言葉は途中から震えが混じり、自分の些細な行いがこんな結末を迎えさせてしまったことへの苛立ちが涙となって目に浮かんでいる。
 小町はいたたまれなくなりつつも、話を止めることなく彼が全てを吐露し終えるのをひたすら待っていた。

「だから、どうしても謝って、仲直りしたくて」
「彼岸へ渡ろうとしたというわけかい。でもどうやってこっちに来たんだ」
「母ちゃんが言っていたんだ。人は死んだら三途の河を渡って、閻魔様の所に行くんだって。その川は死神が渡し守をしている船で渡るって」

 そのことを思い出した少年は、いてもたってもいられず里を飛び出して三途の河があるという中有の道を目指して走ったという。
 道中妖怪に遭遇せずに済んだのは運が良かったのだろう。彼の強い意志がその運を呼んだのかもしれない。
 中有の道を進み辿り着いた三途の河、その霧に包まれた川岸で少年は母親から聞いた、死神の船を探した。

「そうしたら木の下で寝ている姉ちゃんを見つけたんだ」
「あ、あたい?」
「大きな鎌を持っていたから、すぐに死神だってわかった。そして近くにあった船に乗って、そこにあった麻袋に隠れたんだ」

 大きな鎌は死神のシンボルである。もちろん直に使うことは今ではほとんど無くなった。
 しかしおかげで少年は小町を死神だと判別することができたのだ。
 小町に見つかったら、駄目元で彼岸に連れて行ってくれと頼むつもりだった。
 しかし昼寝から覚めた小町は、何も怪しむことなく今日の仕事は終いと、鼻歌交じりに船を対岸である彼岸へと運んでいったのだ。
 自分が運んだのが死んだ者の魂だけではないということには気がつかず……。

「……マジなのかい、その話」
「嘘なんか吐くわけないだろ」

 こればかりは嘘であると言って欲しかった。
 彼の生まれが幻想郷であるという下りから、薄々感じていた一抹の不安がここにきて確信に変わってしまったのだから。
 がっくりと肩を落とす小町に、少年は頭を下げる。

「ごめん。姉ちゃんには悪いと思ってる。でも、やっぱり俺はどうしてもあいつに会いたいんだ!」
「あ、あぁうん。これはあたいの問題だから、あんたは気にしなくて良いよ。あたいがちゃんと気づいていたら、こんなことにはならなかったんだから」

 宋帝王の前で絶対に違うと断言してしまった手前、今更やっぱり自分のせいでした、などと誰が言えよう。
 厳罰どころか今の職を追われ、辺境で見張りや門番、もしかしたらそれ以上に辛い仕事に身を置く羽目になるかもしれない。
 そう考えるだけで陰鬱な気持ちが、さらに重苦しいものになる。
 どんどん落ち込んでいく小町に、少年は自分が落ち込んでいたことをひとまず置いて謝り倒す。
 しかしそれが逆効果であることを示すかのように、小町の落ち込みは酷くなる一方だ。
 どうたしたら良いものかと少年が困り果てたその瞬間、突然小町は立ち上がったかと思うと、両手で自分の頬を思い切り叩いたではないか。
 パァンッと乾いたいい音を立てると、今度は大きく息を吸い込んでそれを深く長く吐き出した。
 深呼吸を何度か繰り返した後、小町は両手を挙げて開き直った態度で明るく言い放った。

「あーっ! こうなったら乗りかかった船だ! あんたの願いを叶えてやらないと罰を受けるだけじゃ割に合わない!」
「ね、姉ちゃん?」
「だから、あんたの友達に会わしてあげるって言ってるんだよ。ここまで話を聞いちまったんだ、無視する訳にもいかないだろう。それに側にいてもらった方が少しでも時間が稼げるからね」

 いつまでも落ち込んでいるなんて自分らしくない。
 死者を運ぶ死神が暗く落ち込んでいては、運ばれる魂だって不安になるのだ。
 だからいつも明るく豪気に賑々しく、そういう生き方をするとこの職に就いたときから決めたのではなかったか。
 もちろん元々の前向きな性格もあったが、何よりも自分の職を愛し、誇りを持っているからには相応の信念を持たなければ。
 小町の場合はそれがいつも明るく生きることなのだ。

「そうと決まったら善は急げだ。まだ今はこの件について勅命を受けた奴らも少ないはずだから、今ならまだ見つかりづらいはずさ」
「……でも、あいつの魂がどこにいるのか分かるのかよ? 色々見て回ったけど見つからなかったんだ」
「安心しな。あたいには分かってる。あたいは地獄のスペシャリスト、死神の小野塚小町さんだよ? 任せときな!」

 立派に育った双丘をドンと張って、小町は自信満々に断言する。
 その威勢の良さは少年の心にこれ以上ない安心を与えるのだった。


   ◆


 荒野を抜けるまでは特に誰かに会うこともなく、無難に進むことができた。
 しかし問題はここからだ。
 居住区を越えるのは危険だが、それ以外の道を選ぶと警戒中の獄卒達に会いかねない。
 警戒している連中が多い道と、人気は多いだけの道。選ぶとしたら、言わずもがなである。

「本当に大丈夫なのかよ」
「だからあたいに任せておきなって。裏道近道なんでござれ。映姫様の目をかいくぐって町を出ているんだ。他の奴らの目を欺くなんて朝飯前だよ」

 小町は比較的人通りが少ないであろう道を選んで、一気に通り抜けようと画策していた。
 大言を吐くだけあって小町の見立ては確かに合っていた。
 普通、道として通らないような路地まで知り尽くしている。

「凄いな。昼寝をしているのを見たときは、こんなに呑気なのが死神なのかって思ったけど」
「あたいはやるときはやる死神なのさ。いつも気張ってたら肝心なときに全力が出せないだろ?」
「そういうもんなのか」
「そういうもんなのさ」

 大人の態度としては些か間違っているが、二人につっこむものは居ない。
 もしこの現場を映姫が見ていたら、即説教だったことだろう。

「それよりさ。いい加減どこに向かっているのか教えてくれよ」
「三途の河だよ」
「そこにあいつが居るのか? まだ三途の河に?」
「聞いたことはないかい? 親よりも早く死んだ子供はそれだけで罪を負い、その罪を償うために賽の河原で石を積む」

 賽の河原は三途の河の川岸、その彼岸側の呼称である。
 そこでは小町が船を調べるときに見たような、子供の魂が贖罪の石塔を造り続けているのだ。
 彼の友達も幼くして死んだのなら、そこにいるに違いない。小町はそう考えたのだ。


 そうこうしている内に、難関かと思われていた居住区をあっさりと抜け出ることに成功してしまった。
 呆気ないほど簡単だったが、こういうときに限ってこの油断を突くかのように運命というものは試練を与えてくるのだ。

 居住区を抜けた先には、三途の河へと続く広大な彼岸の花畑が広がっている。
 ここを越えれば後は三途の河まで一直線。
 閻魔の裁きを待つ魂達の横を通り過ぎながら、二人は先を急いでいた。

 しかし花畑のど真ん中まで来たときのことだ。
 突然小町は足を止め、前方を凝視する。
 何事かと少年もそれに倣って前方に視線を動かすと、向こうの方からやって来る人影に気がついた。

「あれは……」
「げっ、あいつだ……」

 小町はばつが悪そうに呟く。
 前方から近づいてきているのは、昼頃小町が出会ったあの死神だったのだ。
 まさかここを捜索範囲にしているなんて知るよしもない。
 ここで下手に逃げたら余計な疑心を与えかねない。かといって花以外に何もないこの場では隠れる場所すら見つからない。

「ど、どうすんだよ」
「ちょっと待って。あたいだって考えてるんだからっ」

 すっかり安心しきっていた所に現れた厄介事に、頭がなかなか回らず狼狽を露わにする小町。
 しかし慌てているだけでは刻一刻とタイムリミットが近づくだけだ。
 致し方なく、小町は最後の手段に出ることにした。



「お、小町じゃないか……って、こんな所で何をして居るんだ」
「や、やぁまた会ったね」
「挨拶は良いからさ。こんな所にしゃがみ込んで何やってるんだよ」

 同僚の死神は花畑の上に座り込んでいる小町を訝しむように見下ろしてくる。
 花畑でピクニックというわけではないだろう。
 お転婆な彼女が、花の首飾りなど作る姿も想像すらできない。

「ちょっと足を挫いてね。痛みが治まるのを待ってるんだ」
「そうか、手ぇ貸してやろうか?」
「いやいや心配には及ばないって。それよりあんたは十王様からの大事な勅令が出てるんだろう。あたいのことは良いからさ、そっちを優先しなって」
 
 すると死神はようやく疑いを晴らしたのか、気をつけろよと一言残してその場を去っていった。
 まだ手がかりも掴めていないためか、勅令のことを話に出したのは正解だったようだ。
 充分に距離が離れたのを確認すると、小町はホッと胸を撫で下ろし、隠れている少年に声を掛けた。

「もう大丈夫だ。出てきて良いよ」

 小町が取った苦肉の策によって何とか事なきを得た少年。
 彼が隠れていた場所とはどこだったのか。

「ぷはぁっ。どこに隠れさせるんだよ!」
「しょうがないだろ。これしか方法が見つからなかったんだし、ていうかあんたよりもあたいの方が恥ずかしかったんだからね」

 少年が顔を出したのは、なんと小町のスカートの中だった。
 長めのスカートをうまく利用し傍目にはただ座っているだけにしか見えないという、即興で思いついたにしては成果も上がったし良かった。
 ……良かったのだが、やはり女性としていくら相手が子供でも二度とこんなことをするのはゴメンだと、小町は固く胸に誓ったのだった。


   ◆


 こうしていくつもの難を越え、二人はようやく霧がかった三途の河の川岸へと辿り着く。
 そこでは何人もの子供の魂が、「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため……」と懺悔の歌を歌いながら石を積み上げていた。
 この光景そのものは此岸の河原でも見ることができる。
 しかし彼岸のそれと此岸のそれとでは、そこに込められた意味は全く違うものだ。

 彼岸、つまり賽の河原で子供達が積むのは両親への懺悔の塔。
 これは積み上げている途中で鬼によって壊されてしまい、その罪が軽くなるまで延々と続けられる。
 晴れて裁きを受けることができるようになると、閻魔が直々に迎えに来て、それから輪廻の輪に戻るための裁判を受けるのだ。

 それに対して此岸で石を積む子供達は、まだこの世に未練を残し迷い続けている最中にいる。
 石を積むのは両親のためではなく、自分を哀れんでもらうため。
 そうすれば生き返らせてもらえる、天国に行かせてもらえると、子供らしい浅はかな理由がそこにはあるのだ。
 その行為は三途の河を渡った後、自分のためではない者に対して積むべき苦行であることを悟らなければ、彼等は三途の河を渡ることができない。

「ここにいる子供達はみんな、自分の死を受け入れてここに来ているのさ」
「俺も……早く死んだらここに来るのかな」
「それはどうだろうね。生きたまま彼岸に来るなんてことをやっちまったんだ。問答無用で地獄行きかもしれないよ?」
「……それでもいい。俺はあいつを殺したんだ。地獄に堕ちて当然だ」

 冗談で言ったつもりだったのだが、少年は余程友人を殺してしまったことを悔やんでいたらしく、また落ち込んだ様相を浮かべてしまった。
 失言をしてしまったことに小町も、些か反省するが、こればかりは本人が自分で決着をつけるほか処方箋はないことだ。そのためにここに連れてきたのだし。


 二人は賽の河原に沿って、少年の友人の魂を探して回った。
 途中、何度か石崩しの鬼達に見つかりそうになりながらもなんとかやり過ごし、そしてついにその時がやってきた。

「あ……」

 突然立ち止まった少年。その視線がある一点に向けられている。
 そこには一人の子供の魂が、他の魂同様石塔を積んでいる姿があった。
 ぼんやりと儚く存在する魂から、少年は目が離せない。

「あの子……なのかい?」

 小町の問いかけに少年は無言で頷く。
 その視線に気づく様子はなく、彼の友人の魂は黙々と石を積む手を止めることはない。
 彼にはもう此岸との関わりが断たれているため、かつての友人の気配にも気がつかないのだ。
 今、その魂に在るのは早く死んだ罪への贖罪の責のみ。

「良かったね。ちゃんとこっち側に来てるじゃないか」

 後は時が来れば再び輪廻の輪に加わって、次の生を待つことができる。
 これで少年も安心しただろう、そう小町が思った時だった。

「あっ! 何をするつもりだいっ!」

 少年は突然走り出したかと思うと、友人の魂の元へと近づいて行くではないか。
 小町は慌ててそれを制止しようとしたが、一歩及ばずその腕を掴むことができなかった。
 すぐにその後を追って走る小町。

 会わせるだけに留めておかなければならなかった。
 彼がどれだけ会いに行きたいと懇願しても、それだけはやらせてはならないことだった。
 彼岸の魂を、此岸のものと関わらせてはならない。
 それがこちら側における暗黙の了解の一つだったのに。

「だめだっ! 話しかけちゃいけないんだよっ」
「大丈夫。謝るだけだからっ!」
「そういう問題じゃあないんだよ!」

 いくら小町が大声で説得しても、彼は一向に足を止めることなく全速力で駆けていく。
 そして説得むなしく、彼は友人の元へと辿り着いてしまった。
 肩で息をしながらゆっくりと友人の側に歩み寄ると、少年はその石を積む手を掴もうとした。
 しかしもちろんそれは叶わない。

 ならば、と少年は彼が掴んだ石を掴んだ。
 するとそれまで黙々と石を積んでいた魂に表情が生まれた。
 その目はハッキリと少年を凝視している。

「わ、分かるかっ、俺だよ!」
「…………」
「お前にどうしても会いたくて、こっちに渡って来たんだ」
「…………」
「そう、だよな。話せるはずないよな。でも良いんだ聞いてくれるだけで」

 無言のまま、じっとこちらを見つめてくる友人に、少年はその為にここまでやって来た、その言葉を口にする。

「ごめん、俺のせいで死んじゃって……。俺が悪かったんだ。水切りが下手でも良い。
 一緒に遊んで楽しかったのに、いつもいつも台無しにすることばっかり言って。本当にごめん。ごめんな……」

 頭を下げ、ありったけの思いを込めて、「ごめん」の言葉を繰り返す少年。
 これで少しは友人も無念を晴らしてくれただろうか。
 そう思って頭を上げた――その刹那、彼の瞳には信じられないものが映っていた。

「な、なんだよ……これえええええっ!!!!」

 生前の姿を象っていた魂。
 それが顔を上げた瞬間、魂の肉体は燃え盛る炎のように揺らぎ、その姿はまるで化け物にしか見えないものへと変わり果てていた。
 
「間に合わなかった! だから止めたんだよっ」
「姉ちゃん!? 一体なにが起こってるんだよ」
「あの子はもうこちら側の住人だったんだ。そこにあんたが、向こう側の未練を与えてしまった。それがあの子の魂を歪ませちまったんだ!」

 この世とあの世を隔てる理由。
 此岸への未練は迷いとなって、魂は行き場を失くす。
 彷徨える魂はやがて思いも存在も歪ませて、害を成す悪食へと成り果ててしまうのだ。
 そうなることを防ぐためにも、彼岸と此岸は三途の河という結界によって互いの秩序を保っている。

「どうしたら良いんだよ。これじゃあ、これじゃあ、あいつがっ」
「……仕方ないね」

 小町は背負っていた鎌を持ち、その姿を悪霊へ変えようとする魂へとその刃を向けた。
 本来ならば、全ての未練を断ち切った上でやってくるのが彼岸なのだ。
 此岸での石積みも、迷いを払うための猶予と言って良い。
 しかし彼岸に渡ってきた後で再び迷いを生じてしまった魂は、どうすればその迷いを断ち切ることができるのか。

「お、おい。その鎌で何をするんだよ」
「得物を使ってすることと言えば、一つに決まってるだろ」
「あいつを、……俺の友達を切るのかよっ!!」

 迷いを断ち切るには、もはやその魂毎切り裂くほかに手段はない。
 まごまごしている内に完全に悪霊に成り果ててしまったら手遅れだ。

「どくんだ。この刃はあんたの身体も切っちまう」
「嫌だっ! その鎌は飾りなんだろ? 最近の死神はそんなもの使わないって母ちゃん達は言ってたんだからな」
「時と場合によるものさ。こういう緊急事態には、こうしてちゃんと使えるようにいつも研いでいる」

 あれだけ自分によくしてくれた小町が、今は能面でも付けているかのように無表情でに立ちはだかっている。
 鈍色を放つ刃を前にして怖くないわけがない。だがそれでも少年にはその場を動くことは考えられなかった。
 その心境が痛いほど伝わってきても、小町はその刃を仕舞うことはしない。
 このまま切らずにおいた方が2人にとって悲しい結末を迎えることになってしまう。

「どきなっ」
「嫌だっ」

 互いに一歩も譲らない膠着状態が続く。
 しかし小町の目にはハッキリと、少年の背後で苦しみに呻く魂の姿が見えている。
 もはや一刻の猶予もない。

「これで切ったからって魂が死ぬ訳じゃないんだ。一度綺麗な状態に戻さないと、悪霊になっちまったらそれこそその魂は輪廻に戻れなくなるんだよ」
「……だけどっ」
「見たくないなら目を閉じて耳を塞いでいればいい。すぐに終わる」
「でも……だけど……」
「わがままを言うんじゃないっ!」

 これだけ言っても少年の首が縦に振られることはない。
 業を煮やした小町は、これ以上待っていれば本当に手遅れになると、強硬手段に出ようと一歩踏み出した。
 少年は信じているのだ。小町ならきっと最後の最後は切らずに済ませてくれると。
 しかし少年はわかっていない。そのことを理解した上で、小町は迫っているのだということに。

「これが最後の宣告だよ。そこをどいて、離れたところで何も見ないようにうずくまってるんだ」
「どかないって言ってるだろ!」
「なら……仕方ないね!」

 小町は一気に駆け、刹那の内に間合いを詰めた。
 最後まで小町を信じていた少年は驚愕と落胆と悲懐をごちゃ混ぜにした瞳が、煌めく刃に映る。
 それを見て小町は息が詰まりそうになるが、それを否定するように少年の身体を突き飛ばして死神の大鎌を振り上げた。
 この一閃で全てが終わる。
 もはや原型を留めていない魂を前に、最後の決意を固めて柄を握る手に力を込める。

 その刃を、まさに振り下ろそうと息を止めた瞬間だった。



『審判「ラストジャッジメント」!!!!』



 天から降り注ぐ無数の光の槍が、歪んでいた魂の周囲を拘束するように降り注ぐ。
 突然の出来事に小町は鎌を振り上げた姿勢のまま尻餅をついてしまった。
 その視線の先、あれだけ歪みを露わにしていた魂の形が、まるで時間を巻き戻すかのようにして元の安定した迷いのない魂へと戻っていく。
 そして魂の形が戻って行くにつれ、小町も一体何が起こったのかを理解することができた。

「まったく……いつも良いところを持って行くんだから」
「何がいいところですか」
「きゃんっ!?」

 後頭部に覚えのある痛みを感じ、小町は苦笑を浮かべながら後ろを振り向いた。

「部下思いの優しい上司を持って、あたいは嬉しいですよ」
「お世辞を言っても許しはしませんよ?」
「やっぱり?」
「当たり前です」

 軽口を叩く小町に対し、あくまでも厳格な態度を崩すことのない姿勢。
 その手には小町の頭を叩いたと思しき悔悟の棒が光り、頭には閻魔の証である特別な細工を誂えた帽子を被って、彼女は綺麗な背筋で立っていた。
 彼女こそ小野塚小町が仕える直属の閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥその人である。

「宋帝王様からあなたのことを聞いたときは、肝を冷やしましたよ。様子を見に来てみれば予想以上に大変なことになっているし」
「いやぁ、あはは……」
「笑って済ませられる問題ですか。大変な事になりかけていたんですよ?」

 それは小町にもわかっていたことだ。
 しかし小町は敢えて言い訳をしない。いつものさぼりの口実とは大違いだ。

「それに、侵入者を見つけたのなら何故私に連絡を寄越さないのです。そう宋帝王様からも命じられていたはずですが?」
「それは……だって、ほら子供ですよ? まだまだ前途のある若者じゃあないですか」
「だから?」
「ぅ、いや、その……命を絶ってしまうのはどうかなぁ、と」

 小町は離れたところでぽかんとしている少年を見ながら、ばつが悪そうに映姫の質問に答える。
 こればかりは自分が勝手に判断して行ったことだし、宋帝王の命に背いたのは事実なのだ。

「まったく、勝手なことばかりして」
「やっぱりあの子は……」
「十倍です」
「へ?」

 少年を殺すのかという問いに対して、戻ってきたのが「10倍」という言葉であることに、小町は疑問符を浮かべる。
 理解ができていない小町にたいし、映姫は言葉を付け足す。

「我々の仕事量を今までの十倍にすることで、彼岸への侵入者を許したことで乱れた秩序を回復する話で決着したのです」
「え、と。それはつまり……」
「どれだけあなたの仕事を見てきたと思っているんですか。あなたが取りそうな行動の先読みくらいできなくては」

 映姫は宋帝王からこの件を聞いて、すぐに小町の取る行動に予想が付いたらしい。
 相手が子供であることまでは考えていなかったものの、小町がその者に協力しようとするのはすぐにわかったようだ。
 その後、どうにか命を助けてもらえないかと懇願する辺りまでお見通しだ。
 だから宋帝王に相手に、その分の責任は自分が負うからと、小町の分まで頭を下げたのだ。

 この話を聞かなくても先ほどの言葉だけで、小町には映姫が奮闘してくれたことを察することができた。
 映姫が小町の行動に予想が付いていたように、小町にも映姫のことが理解できるのだ。

「映姫様あぁぁぁぁっ」
「ああこらっ、急に抱きつくのは酔ったときにくらいにしなさい」
「酔ったら抱きついても良いんですか? だったらあたいは今映姫様のすばらしさに酔っています〜」
「だからやめろと言ってるでしょう、がっ!」

 調子に乗る部下の脳天を、もはや身体に染みつくほどに覚えた加減で叩く映姫。
 その痛みすら今は心地よいと、小町は気味が悪いくらいにうすら笑いを浮かべている。

「あ、あの……」

 そこへ完全に蚊帳の外に放り出されていた、今回の事件の当人が割り込んできた。
 2人は慌ててじゃれ合いを止めて少年と向き合った。
 少年はすっかり通常モードの2人とは対照的に神妙な面持ちを浮かべ立っている。

「あいつは……どうなったんだ」
「心配ないでしょう。あの魂の迷いを白黒ハッキリさせました。これ以上の刺激がなければ、また石積みに戻って、然るべき時に裁きを受けることができるはずです」
「そ、そっか。良かった」

 映姫の言葉と、すっかり落ち着いた友人の魂の様子に少年は心の底から安心したように笑いを溢した。
 しかしそのえみが溢れるのと同時に、まるで映姫の表情がみるみるうちに凍り付いていく。
 身体全体からも、灼熱地獄の如き業火が立ち上っているかのような錯覚さえ覚えるほどに恐ろしい雰囲気が醸されている。

「良かった? どの口が言いますか……そんなわけないでしょうっ!!!!」

 まるで落雷のような映姫の怒号に、少年と側にいた小町までが心の臓から身体を震わせる。
 それから延々三時間にも渡り映姫による説教、もといありがたいお話が続いたのは言うまでもない。


   ◆


 みっちり叱られてから、ようやく小町は少年を向こう岸に戻すことを許された。
 まだ耳の奥の方がわんわん鳴っているし、少年の分まで叩かれたおかげで頭は痛いわぼーっとするわで散々だ。
 それに明日からの仕事は10倍という、かつてないほどの業務に追われる日々が待っている。

「本当に、ごめん」
「良いよ良いよ。もう何も言わないでくれる方が、考えずに済んで良いから」

 少年と小町はそれぞれに対岸に在るであろう、そして子供達が石積みをしているであろう彼岸を見つめながら話を続けていた。
 ほんの少しの間とはいえ映姫の話を一緒に聞くくらいの仲だ。
 どうにもすぐには分かれることができずに、しばらくはまだ一緒居ることにしたのだ。

「それにしても……あの人の話って本当だったのかな」
「浄玻璃の鏡は真実しか映さないさ」

 2人が話しているのは映姫が少年に見せた、彼の友人にまつわる真実の記憶のことだ。
 浄玻璃の鏡によって、特別に見せてもらった彼の記憶は、少年が想像していたものとはまったく違うものだった。



「彼は迷いを持つことなく三途の河を渡り、賽の河原の石積みをしていたの。
 もしあなたが言うとおり、あなたとの関係にしこりを持ったまま死んだとしたら未だ此岸の河原で石を積んでいたことでしょう」
「それって……」
「彼は最初から迷うことなく安らかに死ぬことができたということです」

 映姫はそれを裏付けるように、浄玻璃の鏡を取り出しその魂にかざした。
 するとその鏡面に、彼がまだ生きていた頃の姿が映し出される。

 河原で1人佇む少年の友人。どうやらケンカ別れをした直後の光景のようだ。
 しばらくの間は何もせずに黙ってしゃがみ込んでいたが、何を思ったのか立ち上がると足下に転がっている大小様々な石を手に取り始めた。

『平たくて手に収まるくらいの大きさか……』

 それは少年が友人に教えた水切りのコツの一つだった。
 馬鹿にしながら言ったことも、ちゃんと彼は聞いて覚えていたのだ。
 そして良い感じの石を見つけた彼は、すぐに投げることはせず何度も投げる練習を繰り返し始める。
 そうしている間も友人からのアドバイスを繰り返し呟き、こうじゃない、たしかこうだったと試行錯誤を繰り返す。
 彼がずっと川に残っていたのは、水切りの練習をしていたからなのだ。

『よぉし……えりゃあっ!』

 何度も練習しただけあって、なかなかの投石フォームで石を投げる。
 水面ギリギリを狙って放たれた石は、水平の回転を続けながらやがて水面にぶつかった。
 瞬間、その回転が水面を弾け、石は沈むことなく次の水面をめがけて飛び跳ねた!

『ゃ、やったぁ!』

 彼にとって初めて成功である。
 しかし一緒に喜んでくれる友人は居ない。
 でも、これをチャンスに明日は謝れる。そうしたら、自分の水切りを見てもらおう。

 そうして帰ろうとした少年の耳に、突然甲高い鳴き声が届く。
 振り返ると上流の方から狐の子供が流されてくるのが見えた。
 これは大変だと、川の中へと入っていく少年。
 なんとか流れてきた子狐を拾い上げることはできたが、戻ろうとした瞬間足を滑らせそのまま流されてしまったのだ。
 子狐はどうにか岸に上がったのを確認したが、元々運動音痴の彼が冷静さを欠いた状態で泳げるはずもなく……。



「それでも友達と仲直りできるって喜んでたし、獣は助けることができたから、安心していたみたいだね」
「うん……。なぁ、俺って別に来る必要がなかったってことだよな」
「そういうことだね。でもまぁ、人間のやることなんてそんなもんさ。相手の考えてることはわからないんだから。こうじゃないかって思ってでしか行動できないんだから」

 結局の所、小町も一緒だった。
 勝手に少年の助けると決めて、映姫に助けもらったことで事なきを得た。
 それも小町が、こうじゃないかと思ってやっただけのこと。
 そして映姫も同じように小町がどう考え、どう動くかを勝手に考えて行動しただけだ。
 しかし2人は互いに理解し合っていた。その本質まで知ることはできなくても、小町と映姫のような関係を築くことはできるのだ。

「だからさ、あんたもあんたの友達も、これで良かったんだよ」

 少年は小町の言葉に返答はせず、立ち上がると近くにあった石を拾い上げた。
 そして見事なフォームでそれを飛ばすと、投げられた石は凪いだ三途の河の水面をどこまでも跳ね、霧の向こうへとその姿を消した。

「きっと今ので、あいつの石の塔は完成したはずだ」
「わかるのかい?」

 小町が面白そうに告げると、少年は満面の笑みを浮かべて振り返った。

「だって、俺がそう思ったんだ。だからそれで良いんだよ」



 〜完〜


☆後書☆

 2008年の10月頃に開催されていた東方SSコンペの第六回に投稿した作品です。
 テーマが「水」とかなり幅広い解釈が求められるお題だったので、一体どう料理したものかと悩みました。
 結局「水辺」「川原」ということで、賽の河原をネタ元にした、小町主役の話にしてみました。
 当時は緋想天とかやってて、小町のエンディングが個人的に大ヒットだったのを覚えています。
 このこまっちゃんが、格好良いキャラ付けなのも元々からそういうイメージがあったのもあるんですが、
 この緋想天でさらに拍車が掛かったようですw

 紅楼夢の原稿に、合同誌用の原稿と色々書いていて、しかもネタがぎりぎりまで思い浮かばなかったので、
 この話は構想一日、創作三日くらいで仕上げています。
 だから詰めが甘い点が多いのですが、その短期間でもまだ書けるだけの力は残っていることが分かって嬉しかったですね。

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