地底のエトワール


 耳を澄ましても、聞こえてくるのは風に揺れる木々の音だけ。
 心を澄ましても、どこからも何も聞こえてこない。
 静かな夜の獣道。
 何気なく見上げる夜空には糠星が1人で歩く私へ当てつけるように輝いている。
 暗い足下に注意しながら、私は今や地獄としての用途を失った世界へと歩を進めていた。

 神社では今も、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが続いていることだろう。
 本当なら、私もまだあそこに残って、人間や妖怪が騒いでいる様を見物していたはず……。
 だけど、どうしてもあそこにはいられなくて、私はこっそりと一人抜け出した。
 誘ってくれたお燐とお空には悪いけど、あそこは私にはうるさすぎるから……。

 私の――妖怪サトリの能力は、誰からも嫌われる。
 嫌わないのは自分達の意思をくみ取ってくれることを良しとする、言語を持たない動物くらいだ。
 お燐やお空のように、変化する以前から私の側にいる妖怪は別だけど、やっぱり彼女達も心のどこかで私を畏れている節がある。

 宴会でも私は一人浮いていた。
 輪に入れず、外から騒ぎを傍観するだけ。

 分かっている。
 いつものことだ。
 私はあの賑わいには入れない。
 入ったところで、どうなるかは分かっている。
 私も他の者達も、結局どちらも嫌な思いをするのなら、最初から私はあそこに入らない。

 それで宴会を抜け出してきた。 
 後ろを振り返ると、騒ぎはまだまだ盛り上がっているようで、弾幕ごっこが始まっている。
 お燐もお空も、怪我をしなければいいのだけど。
 ぼろぼろになった服を直すのも、容易くはないのだから。

「あら?」

 旧都へと続く穴の近くに、私は小さな影が転がっているのを発見した。
 近づいてみてみると、なんてことはない。地底でも、地上でも、幻想郷に溢れている妖精だった。
 ただ、妖精の中でも人間の子供くらいの大きさはあるし、大抵体の大きな妖精は知能や力もそれなりにある。
 夜の闇のような漆黒の髪に、鮮やかな蒼を基調にした洋服。
 せっかくの身なりも泥だらけになってしまっている。
 妖精のことだから、何か無茶なことでもして痛い目を見たのだろう。
 幻想郷では日常茶飯事。これも気にする事じゃない。

 いつもの癖で心を読んでみようとするけれど、ダメだ、どうやら完全に意識を失っているらしい。
 このままにしておいても、妖精のことだから勝手に起きて、勝手にどこかに行ってしまうだろう。
 なのに、この時の私はちょっぴりナーバスになっていたのか、どうかしていたみたいだ。



   ☆



「はぁ、なんでこんなことをしてしまったのかしら」

 こんなこと、というのは他でもない。
 気を失ったまま客間のソファを陣取っている、この妖精のことだ。
 あの後、私は何をどうしたいのかも分からないまま、いつの間にか妖精の体を持ち上げて帰路に就いていた。
 道中、土蜘蛛や橋姫に奇異の目を向けられたけれど、ここまで連れてきたら捨てていくわけにもいかない。

「ま、連れ帰ってしまったものは仕方がないわね。さて、と……」

 お燐もお空も、結局翌日になっても帰ってこなかった。
 もしかしたら私がいなくなったことに気がついて、探しているのかもしれないけれど、それなら真っ先に地霊殿に戻ってくるべきだ。
 私にはここしか戻る場所も、行く場所も無いというのに。

 だから妖精の手当は私が直接することにした。
 ペットの世話は、今でこそお燐達みたいな変化のできるペットに任せているけれど、元々は私がやってきたのだ。
 手当の一つや二つどうってことない……

「そういえば……氷枕はどこかしら。それに包帯も」

 しまった。
 長い間、基本的な世話や道具の片付けをペットに一任してきたから、場所が分からない。
 世話をされているペットの心を読んだところで、どこに何があるかまでは覚えていないだろう。
 地霊殿は元々地獄を象徴する建物だけあって無駄に広い。
 私とこいしだけで暮らすなら、もっと手狭でも充分だけど、おかげでペットを飼うスペースには不自由しない。

 ……おかげで今はこうして苦労する羽目になっているのだけど。





「はぁ……もう少し自分で屋敷のことを把握しておく必要があるわね」

 屋敷中を探し回り、なんとか目的の物を見つけることができた私は妖精を寝かしてある部屋へと戻ってきた。
 普段は客間として利用するための部屋なので、ベッドはなくあの妖精はソファに寝かせてある。
 だけど部屋に入ってすぐに、件の妖精の姿が見えないことに気がついた。
 そんなことをしても無駄なのに。
 もぬけの殻になった毛布を畳みながら、私は室内を見渡した。

 もし誰かが戻ってきて、寝ている妖精を見つけたら手を出さないとは言い切れない。
 当人達はじゃれつくつもりでも、最弱の妖精がその戯れに耐えられるはずはないだろう。
 だから鉢合わせたりしないようにと、この部屋唯一の出入り口には鍵を掛けておいた。
 ちなみに鍵と言っても、私の妖術によるものだ。
 部屋という部屋に鍵を付けていたら、膨大な数になり管理すらまともにできないのはわかっているから付けていない。

 つまりこの部屋に入れるのは私だけ。
 逆を言えばこの部屋から誰かが出ることもできないということになる。

「どこに隠れていても、ここにいることは分かっているのです。無駄ですよ」

 私は努めて相手を刺激しないように、声を掛けながらテーブルへと近づいていく。
 そこから伝わってくる感情は、恐怖と困惑。
 目を覚ましたら、こんな屋敷に一人きりだったのだから怖いという気持ちは分からなくもない。
 だけど、そんなことをしても何も変わらない。
 私は何の躊躇もなく、真っ白なテーブルクロスを捲り上げた――――

「あっ、ちょっと!」

 その瞬間、中にいた者の目と私の三つの目が合うやいなや、その隠れていた小さな影は弾けるようにテーブルの下から飛び出した。
 だけどまだ完全に傷の癒えていない体ですぐに動いても、そう長く保つはずもない。

「ふにゃっ!?」
「だから言わんこっちゃない」

 私の見ている前で、妖精の少女は足をもつれさせて強かに顔を床へと打ち付けた。
 そんなに焦らなくてもと思うのだけど、所詮は妖精か。

「いつつ……」
「大丈夫ですか?」
「あ、うん……ッッッ!?」
「そんなに後ずさらなくても。私は妖精なんて食べやしません」

 そんなことを言っても嘘かもしれない、か。
 妖精にしては疑い深いというか、そこまで単純な思考能力ではないことに私は少し感心した。
 この地底世界にも妖精の類は棲み着いているけれど、地霊殿にはあまり近づいてこない。
 だから、私の中で妖精というものはそこらの犬猫と同じで本能に従うだけの単純な生き物、その程度の認識しかなかったのだけど。

「とりあえず、傷の手当てだけでもさせてもらえるかしら。折角探してきた道具が無駄になります」
「そ、そんなことしてもらわなくても、回復くらい自分でできるわ」
「星の光を浴びていれば、ですか。ですが生憎、この地霊殿には星の光どころか月も太陽も、その光が届くことはありませんよ」
「そんな……」
「わかったら、大人しく言うことを聞いて。頭が使えるのなら、聞き分けもできるでしょうに」

 私がいい加減にしなさいという目で睨むと、ようやく自分の立場が理解できたのか、妖精は大人しくなった。
 そのままさっきまで彼女を寝かせていたソファに腰掛けさせると、私は箱の中から適当に包帯やら何やらを出して、早速手当の準備に取りかかる。
 さっきのこの子の意識を読んでわかった――星の光を浴びれば回復するということ。それが本当でも、先ほど伝えた通りここにそんなものはない。
 星も月も太陽も、光という光は全て外の世界と此処とを隔てる天蓋に遮られて届くことがない。
 だから、この子の傷を少しでも良くするには、こうした基本的な応急処置が最適なのだ。……多分。

「そいえば、あなたの名前は?」
「……」
「そうね、まずは私から名乗った方が良いですね。私は古明地さとり。この地霊殿を治める者です」

 相手の名前は聞いた瞬間に、その脳裏に浮かんでくるため無理に聞き出す必要はない。
 けれど相手を安心させるには、能力を使いすぎた会話は慎んだ方が良い。
 私は自身の名を名乗り、この妖精――スターサファイアが自分から名乗るのを待ちながら、手当を続けた。
 そうしてしばらくしてから、ようやく妖精は口を開いて名を名乗った。

「私、は……スターサファイア。星の光の妖精……です」
「そう、スターというのね。よろしく」

 まだ警戒はされているけれど、この調子ならペットを拾って帰った時と同じ容量で良さそうだ。
 ある程度こちらへの油断が誘えたなら、次にやることは決まっている。





「さぁ、どうぞ召し上がれ」
「これは……?」
「クッキーくらい地上にもあるでしょう? ってそんなことを聞いているんじゃないって顔ですね」

 実際そう思ってるのは、こちらには筒抜けだ。
 まぁ初対面で名前も知らない相手に対し、傷の手当てをした上に、お茶と茶菓子を出すというのは疑われても仕方がない。
 うーん……犬猫の類と一緒にしたのは、やっぱり間違いだったのかしら。

「そういう事じゃなくて、どうしてここまでしてくれるのかって聞いているんですけど」
「そうね、ちゃんと説明する必要があるわね。だけど、何も無しに話し続けるというのも疲れるでしょう。
 だから、このお茶とお菓子はそのための繋ぎ。そう思えば受け取ってもらえるかしら」
「ん、うーん……それならいいの、かな」

 混乱してる。
 まぁこの調子なら、こちらのペースで話を進めるのは容易だ。

「お互いの名前は先ほど紹介し合ったとおりです。そしてここは地霊殿。地底世界にある、私の家です」
「地底世界?」
「ええ。かつては地上に暮らしていた者達の中には、その能力故に忌避される者も少なからず居ました。
 そんな者達が追いやられて封印されたのが、元地獄の地底世界です。最近は再び地上との関わりを持ち始めていますが」
「じゃあ、ここは地面の下の世界ってこと?」
「その通り」

 ふむ、理解力はそこそこにあるようだ。

「でもなんで私はここにいるの?」
「それは私が気を失っていたあなたを介抱するために連れて帰ったからです」
「気絶? 私が?」

 スターは自分が気絶していたという事実を納得しようと、記憶を遡っていく。
 私の第三の目はその記憶を一緒に追っていく。
 別に意識などしなくてもこうして見つめているだけで、何もかもが伝わってくる。
 
 スターの記憶は、一度気を失ってしまったことでどこか曖昧だ。
 だけど次第にクリアになっていくイメージに、まず現れたのは2人の妖精の姿だった。
 サニーミルクとルナチャイルド。どうやらスターはこの2人と一緒に暮らしているようだ。
 気絶する寸前も、この2人と悪戯を企んで行動していたらしい。
 なるほど、あの宴会に紛れて料理やお酒を拝借しようとしていたのね。

 ……あぁ、身の程も弁えずに強い妖怪にまで手を出して。
 他の2人にはお酒が回っていたことに、スターは気がついていたのか。
 明らかに手を出してはいけないと分かる相手に手を出そうとする2人に付き合う必要はない。
 なるほど、それでスターは1人無事に逃げようと離れていたから、私が見つけたときは1人だったと。

 それで上手くあの場から離れることはできたけど、酔った連中の弾幕ごっこの流れ弾が迫ってきた。
 この子には生き物の気配を探る能力があるようだけど、弾幕のように生き物ではない気配は掴めないのか、
 それとも気づいたときには避けることすらできないほどの距離だったのか。

 何にしても、これでこの子が倒れていたワケを知ることはできた。

「大変だったみたいね」
「わかるの?」
「えぇ、それだけの傷を受けた上に気絶までしていたんだもの。心を読むまでもないわ」
「心を……読む?」

 さぁ、ここでどんな反応を示してくれるのか。
 ペットとして拾ってきた動物たちは、大抵なら自分の意思を汲み取ってくれるこの力を受け入れる。
 勝手な想像で、適当な世話をされるよりは何倍もマシなはずだからだ。
 だけど言葉で意思の疎通ができる相手となると、大抵の場合敬遠される。
 自分の思っていること、考えていることを先に知られるばかりか、秘密だって秘密にならない。
 そんな力を良しとする者は果たしてこの世界にどれだけいることだろうか――

「なんだ、じゃああなたの前では本音で話して良いって事なのね」
「?」

 先ほどまでと打って変わって、スターの口調は明るくなる。
 心から伝わってくる言葉からも、今の発言に嘘偽りが混じっていないことが伺える。
 まさかこんな反応を返してくるとは、正直予想外だ。
 相手の考えを先に読んでしまうため、ある程度の事では動じることのない私も、流石に驚くしかない。

「気持ち悪くないの?」
「どうして? 隠す必要がないって楽じゃない」
「そういうものなのかしら」

 わからない。
 このパターンは今までになかったものだ。
 ペットとそれ以外、その中間的な存在とでも言うべきなのか。

「助けてくれたって事は、良い妖怪なのよね」
「良いか悪いかは私自身には分かりません。ただ、あなたに害を与えるつもりはありません。約束します」
「なら良かった。はぁ〜、怖かった」

 そう言うわりに、今のスターからは恐怖を感じていた欠片など微塵も感じられない。
 先ほどまでは確かに私に対する畏怖の感情があった。
 だけど、私の能力を知った途端に、その畏怖が膨れ上がるどころか消えてしまうなんて。
 逆のパターンなら今まで幾度となく出会ってきたのに。

「もう一度聞くけれど、本当に心を読まれることが怖くも、気持ち悪くもないの?」

 どうしてここまで意固地になって、こんなことを聞いてしまうのか。
 気持ち悪いと、あの宴会でも向けられたような視線を送って欲しいわけでもないのに。
 私は……何を期待しているの?

「しつこいのね。別にあなたに心を読まれても、困ることなんて何もないもの。だから怖くないし、気持ち悪くもないわ」
「そう……」

 初対面ということもあるだろう。
 スターにとって、私のことは何も知らないし、私もスターのことを行き倒れていた所を助けたくらいしか関係がない。
 何かを隠す必要も読まれて困ることもないというのは、もっともだ。
 だけど、だからってそう簡単に割り切れるものなのか。
 それは彼女が妖精だから?
 わからない。
 人の心を読むことができる私が、こんなに考えさせられるなんて。

「どうかしたの?」
「いいえ、ちょっとした考え事です」
「ふぅん。それにしても、このお屋敷は寂しいのね。私達以外の気配を殆ど感じない」
「ここにいるのは私と、私の妹。後はペットの動物や妖怪しか暮らしてません」
「そうなんだ」

 寂しい。
 そう言われた時、私は何かチクリと胸に針を刺されたような感覚を覚えた。
 スターは地霊殿に対して、寂しいと感想を言っただけ。それ以外の思惑がないことは、私だからこそよくわかっているはずなのに。

「ねぇ、今度は私から質問してもいい?」

 ぼーっとしている私に、スターはクッキーを頬張りながらそう聞いてきた。
 だけど、その口が肝心の質問を口にする前に、私の第三の目は先にその内容を感じ取る。

「どうしてあなたを助けたのか、ですか」
「おー、本当に心が読めるんだ。で? どうして私を助けてくれたの?」
「ん、そうですね」

 はて、どうしてだったか。
 昨日の夜は、お燐とお空に誘われて神社の宴会に顔を出したけど、先に戻ることにした。
 その帰りにこの子を見つけたのだけど、別に連れ帰る必要はないと自分でも思った。
 それなのに何の気の迷いか、私はこうして連れ帰り、手当をして菓子まで与えている。

「なんとなく……かしら」
「なんとなくって。随分暇な妖怪も居たものね」
「……その歯に衣着せぬ物言いは、妖精としてどうなのです」

 無鉄砲なのは妖精としてよくある性格だが、私の見たところ、このスターという妖精は、妖精の中でも中々頭が良い。
 だからこそ、相手によっては自分を偽る術も知っているだろう。
 強い妖怪に対しては下手に出て、危険を危険と理解した上で回避する。
 しかし、そんな物言いばかりしていては、無駄に敵を作ることになりかねないのではないだろうか。

「でも、あなたの前では嘘を吐いても無駄なんでしょう?」
「それは……まあそうですが」
「だったら、本音で話す方があなたにもわかりやすくて良いと思うわ」
「……私にはあなたという妖精がよくわかりません」

 まるでサトリという妖怪に対して、嫌悪ではなく、むしろ好意すら持って接してくる。
 これはお燐やお空といった地霊殿のペット以上のものだ。

「心が読めるのにわからないの?」
「えぇ。あなたみたいなものを相手にしたことがないので」
「そんなに私って難しいのかな」

 いや、そういうわけではない。
 妖精らしく、思考回路はとても単純だ。
 だけど単純なうえに何も隠さずに物を言ったり考えたりするものだから、裏を読むことができない。

 知識を持つものは少なからず、表には出さない何かを抱えているものだ。
 それは別に悪いことではない。
 他人とうまく渡り歩いていくには、そういった本音と建て前を使い分けることも必要になる。
 私の力が嫌われるのは、そういった必要な建前が通用しないからだろう。
 人間にしても、妖怪にしても、本音だけで生きていけるほど、この世界は甘くない。

「そういえば、今ってどんな時間なの?」
「時間ですか? そうね、あなたを拾って帰ったのが昨日で、今は外で言うお昼過ぎじゃないかしら」
「じゃあもう帰らないと」
「他の2人が心配しているから、ですか」
「そう」

 だけど、スターの傷は完全に回復していないし、本調子でないのは明らかだ。
 このまま1人で帰したら、地上に着くまでに何か起きるかもしれない。
 そもそも彼女はこの地霊殿から地上に繋がるトンネルまでの道のりも知らない。
 そんな状態で適当に放り出すのは、酷な話だ。

「そうだわ。ちょっとだけ待ってくれる?」
「良いけど」

 何も悩むことはない。私が送ってあげれば良いだけの話だ。
 でも、できれば私は地上には近づきたくない。
 だから私はこの手を取ることにした。

「こいし」

 私は、私とスター以外に誰もいないはずのこの空間の中、きっといるであろう妹に呼びかける。
 スターの能力をもってしても、きっとあの子の気配は察知できないはずだ。
 第三の目をもってしても、あの子の声は聞こえてこない。
 だけど、あの子のことだから、知らない顔を私が連れ込んでいるとなれば気になって見に来ている可能性が高い。

「なぁに、お姉ちゃん」
「やっぱり居たわね」

 今まで誰も居なかったはずの場所に、ずっとそこにいたような顔をして、私の妹はそこに立っていた。
 実際ずっとそこにいたのだろう。
 私達には認識できなかっただけの話だ。

「え? え? 誰なの?」
「私、古明地こいし。さとりお姉ちゃんの妹よ、よろしくね」

 スターは困惑した視線で私を見てくる。
 同じ部屋にいたのに気づけなかったことが、相当信じられないでいるようだ。

「大丈夫よ。こいしは特別なの」
「特別?」
「まぁ、色々とね。とりあえず私と同じで危害を加えることはないと思うわ」

 ……多分。
 こいしの考えていることが分からない以上、お燐やお空が帰ってくるのを待った方が良いのかもしれない。
 だけどスターのことを考えると、早めに地上に帰してあげ方が良さそうだ。

「でも、あなたの能力でも把握できないこの子となら、ここから帰るのも安全だと思うわ」
「んー? 話が見えてこないんだけど」
「あぁ、そうね。こいしにはこの子を地上まで送り届けて欲しいの。どうせあなたも地上に遊びにいくのでしょう?」
「なるほどね。さすがはお姉ちゃんだわ。私のことをよくわかってらっしゃる」

 そう言って無邪気な笑みを浮かべるこいし。
 良かった。これならスターのことを任せても大丈夫だ。

「ということなのだけど、あなたもそれで良いかしら」
「良いも悪いも、そうしないと帰れないんでしょ? だったらお願いするしかないわよ」
「確かにそうね。それもそうだわ、フフッ」

 スターの言葉に思わず苦笑を漏らした私の顔を、気づくとこいしが物珍しげにジッと見つめていた。

「な、何?」
「いや、お姉ちゃんがそんな風に笑うのは珍しいなぁと」
「そう? 私だって笑うことくらいあるわ」
「うん、そうなんだけどね。ただ、そういう笑いとは何か違うのよ」

 こいしの言いたいことがよく分からない。
 でも、何故かこいしの顔は嬉しそうに見えた。
 心が読めれば、もっと正確なこともわかるのだけど。




 スターと遊びに行くこいしを見送るため、私は地霊殿の門の前まで出てきていた。
 ふと何気なく上を見上げてみるけれど、地底世界の天にはやっぱり空がない。
 外の世界の透き通るような青色も、美しい茜色も、明るく輝く白い夜もここにはない。
 いつも通りの黒い黒い天井に、幾つか浮かぶ鬼火が唯一の光源としての役割を果たしているだけ。

 変わり映えのしない空のない光景は、いつも通りの見慣れたものだ。
 今更感慨も哀愁も感じはしない……はずなのに。
 何故か地上の空を見てからは、その当然の光景にどこか物足りなさを感じてしまう自分が居る。

 その原因を考える間もなく、支度を終えた2人が屋敷から出てくる。
 私の意識は黒一色の天井から、引き離された。

「それじゃ、行ってくるね」
「お願いね、こいし。あなたも気をつけて」
「うん、ありがとう。クッキー、とても美味しかったわ」

 そう言ってスターはこいしと一緒に地上へ続く道へと去っていった。
 その姿が見えなくなるまで私はずっと門の前に立っていた。
 改めて考えると、あのスターサファイアという子は、なんというか……とても変だ。
 あの子と話していると、まるで自分がその辺りにいる他の妖怪達と何も変わらないように思えてしまう。

 そんなことは、ただの気のせいに過ぎないことは分かっていてもだ。



   ☆



「で? どうしてまたあなたがここにいるのです」

 私が気まぐれで彼女を連れ帰った日から数えて一週間も経っていないある日。
 どこで遊びほうけていたのか、ようやく地上から帰ってきたお燐達の隣に、見知った顔があって私は嘆息した。

「さとりさんと知り合いなんですって言ったら、じゃあ遊びにおいでと言ってくれたんです」

 私の前に隠れることもなく顔を見せたのは、数日前に別れを告げたばかりの妖精、スターサファイアだった。
 さすがは妖精といったところか、すっかり傷も癒えて今日はとても調子が良いみたいだ。
 しかし対する私の顔は、その微笑みとは対称的に暗鬱としていたに違いない。

「お燐〜? お空〜?」
「ひぃっ」
「ご、ごごめんなさい〜」

 私は軽はずみな言動を取った2匹に、これでもかと言わんばかりの辟易した視線を送る。
 2人はすぐに背筋をびくつかせて謝罪の言葉を口にするが、私が欲しいのはその後ろに秘められている、こうなるに至った経緯だ。
 聞かなくてもわかる、というのは便利なときには便利なもので。

 どうやらこいしと一緒に居るところを見つけて、気になって話しかけたところ、私に世話になったことを聞いたらしい。
 お燐もお空も、私がいつも1人でいることを知っているためか、変な気を利かせたみたいだ。

 だからって……

「とりあえず外で遊び呆けていた分は、しっかりと働いてもらわないといけないわね。
 ほら、わかったらすぐに持ち場に着く!」

 パンと手を鳴らすと、お燐とお空は慌てて灼熱地獄跡へと飛んでいった。
 外が楽しいのは分からないでもないけれど、自分達の役目を忘れてもらっては困る。
 でも今は、それを窘めるよりもしなければならないことがある。

「まさかこんなに早く再会することになるとは」
「そうね。でも折角だし、お言葉に甘えても良いかなぁなんて」
「私と2人になった途端にため口ですか」
「あの猫さんと鳥さんの前では、あぁいう方が良いでしょ」

 相変わらず、というか前にも増して強かさを包み隠しもせずに接してくる。
 やっぱりこの妖精を一言で言い表すならば「変」の一文字。コレに限る。

「まぁ来てもらった分には構いません。それで、本当の用事ってのは何なんですか」
「うんうん、やっぱりこういう相手じゃなくちゃ」
「……あなた、私が妖精なんて軽く一捻りにできることを忘れてない?」
「忘れてないけど、今のあなたにそんなことをする必要はないじゃない。だから大丈夫」

 効果はないことを重々承知で言ってみたが、やっぱりスターは動じない。
 あぁもう、一体何なのだ。この妖精は。

「本当の用事って言うか、あなたとお話がしたいだけよ」
「別に話なら私でなくても、仲間がいるのでは?」
「2人とできない話だからこうして誘いを受けて、ここまで来たの」

 ああ、なるほど。
 この妖精がどうして私を気に入ったのか、ようやくその一端をかいま見ることができた。

「抱え込んでる愚痴が言いたいだけ、ですか」
「えへへ」
「……まぁ、いいでしょう。茶菓子の用意をしてきますから待っててください」

 そう言って私はスターを客間に残して、台所へと向かう。
 なんだ、やっぱりそんな程度の認識だったのか。
 所詮妖精は妖精。自分勝手で、単純な性格であることに変わりはない。
 心を読める相手、嘘を抱える必要がない相手だから、腹を割って言いたいことが全部言える、と。
 私はどこぞの童話に出てくる、王様がどうだとか、耳がどうだとかと秘密をぶちまけるための掃き溜めか。
 
「って、なんでイライラしているのよ、私は」

 別にこの程度のこと、怒ることでも何でもない。
 確かにスターは私に会って、言いたいことを言いたいとそう思っているだけ。
 だけどそれもたまたまお燐達に会えなければ適わなかったこと。
 今日また地上に帰れば、もし仮に同じ様にやって来ることうるとしても、それは当分先の話だろうし、
 どうせ妖精の記憶力だ、その頃にはあっさり忘れているに違いない。
 そう、どうせその程度の相手。
 そんなものに対して、どうしてこの私が苛立つ必要がある。
 愚痴を聞いてやるくらい、何だというのだ。




「それでサニーもルナも、どっちが悪いわけでもなくて、結局二人してドジ踏んでさ。とばっちりを受けるのはいつも私で」
「……」
「先に帰ったら、なんでいつもそうなのよ〜って。そりゃあ学習しない2人が悪いんだもの」
「……」
「2人といるのは楽しいけど、もう少し頭が使える妖精って事をアピールしたいなら考えて欲しいわ、まったく」
「……」

 よくもまあ、そこまで口が回るものだ。
 私はティーカップをすすりながら、怒濤のように繰り広げられるスターの話を聞いていた。
 本当に溜まっていたものを全部吐き出すつもりらしく、彼女の心の中はまったく読めない。
 心で考える分を全部口に出しているのだろう。
 口を挟む余裕すらない。コレでは本当に、ただ言いたいことを埋めるだけの穴扱いではないか。

「ねぇ、聞いてる?」
「えぇ聞いてますよ。あなたが苦労してることは、嫌と言うほど伝わってきます」
「いやなんだ」
「え?」

 思わず口走ってしまった言葉に、そこまで過敏に反応されるとは思ってなかった。
 私は慌てて釈明の意を表しようとするが、この妖精は……

「なんてね、私もまさかここまで自分の中に愚痴が溜まってるとは思ってなかったわ」
「……あのね」
「う〜んっ、ちょっと休憩」

 勝手にべらべらと喋っておいて、疲れたからとスターは伸びをしながらそう告げた。
 というか、休憩を終えたらまだ話すつもりなのか。
 彼女以上に疲労を感じている私は、小さく息を吐くとテーブルの上のクッキーに手を伸ばした。

「そういえば」

 同じくクッキーをかじりながら、スターが何気なく呟く。
 どうやら新しい愚痴ではないようだけど、一体何なのか。
 私は少し身構えながら、次の言葉を待つ。

「このクッキーってあなたのお手製?」
「えっ?」
「この味は大量生産品じゃないわ。味や形、焼き加減も、同じ様でちょっとずつまばらだし」

 スターの言うことは当たっていた。
 話し相手も居ないこの地霊殿で、私がするのはペットの管理くらいで、他に趣味らしい趣味もない。
 だからせめて自分の食べる物くらいはと始めた料理が、唯一とも言える私の趣味となっている。
 お菓子作りもその一つで、暇があればこれくらいのクッキーを作って時間を潰すこともある。

 だけど、それをこの子に話しただろうか。

「そうですが……それが何か?」
「うん、美味しいなって」
「美味しい、ですか」
「私も料理することが多いの。他の2人に任せてたら、どんな食生活になるか分かったものじゃないしね」

 その言葉には嘘偽りは全くない。
 味に自信が無いわけじゃない。お燐達やこいしにも、評判が良いし、何より私自身が一番味は知っている。
 だけど、こうして改めて身内以外の誰かに、美味しいと褒めてもらえたのは初めてだ。

「……良ければレシピを持って帰りますか?」
「良いの?」
「別に秘伝でもなんでもありませんし、美味しいと言ってくれたお礼です」
「本当? やったぁ」

 屈託無く笑うスター。
 その表裏のないまぶしさを見て、私もいつしか微笑を浮かべていた。


   ☆


 それからというもの、スターは頻繁に地霊殿を訪れるようになった。
 すでに地上からここまでの道のりは覚えたらしく、道中の妖怪とは私との知り合いということを全面に押し出してなんとか切り抜けているらしい。
 もっぱら、その身に宿した能力を使って、極力そういう妖怪との接触は避けながらやって来ているようだけど。

 それでやって来て何をしているのかといえば、大抵は私が聞き役に徹するマシンガントーク。
 後は、料理をする者同士、レシピの交換や実際に台所へ立って料理をしたりすることが多くなった。
 スターは妖精にしては腕が良く、地上の山菜や木の実など、森に住む妖精ならではの料理は、中々に新鮮で私も勉強になる。

 何より、話をしているときも、料理をしているときも、彼女には裏がない。
 だから私はある意味安心して、彼女を迎えることができるし、こうして一緒に居ることができている。
 彼女も私の前では裏を作る必要がないことが気に入ってここに来ている。
 持ちつ持たれつ、私に得や有益なことは何もないけれど、まぁ退屈はしない。

 そんなある日のことだ。



 
「ねぇ、次はどうするの?」
「バターがクリーム状になったら粉砂糖と塩を入れて。量に気をつけて」
「わかったわ」

 私とスターは、いつものように台所でティータイムに食べるお菓子を作っていた。
 最近はスターが来たら、一緒に茶菓子を作って、それを囲んでの話をするのが通例となっている。
 今日のお菓子はラング・ド・シャ。手軽に作れる焼き菓子だ。
 元々の腕もあるが、ここのところスターの腕前はさらに上達している。
 家でも仲間達に料理を振る舞っているし、継続は力なりとはよく言ったものだ。

「さて、後は焼き上がるのを待つだけね」
「それじゃあその間にお湯を沸かしてお茶の用意をするわ」
「そうですか? それじゃあお願いしますね」

 私はオーブンの火加減に気をつけながら、砂時計をひっくり返す。
 その砂が落ちていく様を見ていると、突然背後にいたスターかせ声が掛かった。

「あの、今のうちに言っておいても良いかしら」
「なんです?」
「えっと……ね」

 スターにしては歯切れが悪い。
 何か言いづらいことでもあるのだろうか。
 だど、私の前では言いづらいことだろうと何だろうと関係がない。
 それは彼女もよくわかっているはずだ。

「実は、昨日サニーとルナに聞かれたの」
「1人で出掛けて、一体どこで何をしているのか、ですか」
「うん。それでつい口が滑って、この地霊殿のことを言っちゃって」

 好奇心が旺盛な2人は、スターの話したこの地霊殿にいたく興味を持ったらしい。
 それで自分達も行ってみたいと、そう言っているのか。

「そう。でも、断ってもしつこいのでしょう?」
「一度決めたら頑固だから」
「なら呼べば良いんです。私は一向に構いません」
「ほんとうに?」

 別に私には困ることはない。
 スターの話を聞く限り、間は抜けているけど悪い者達ではなさそうだし、言っても相手は妖精だ。
 何かあったところで、対応できないはずはない。

「最近はしょっちゅうここに来ているでしょう。仲間が気になるのも無理はないし、私も一度会ってみたいと思っていたところです。
 あなたがいつも話すドジっ娘の2人とは実際どんな妖精なのか、とね」

 実は、そこまでその2人に興味があるわけではない。
 だけどそう言えば、スターは2人をここに呼びやすくなるだろう。
 私の思惑通り、スターはパアッと顔を明るくすると、心の底から安心して喜んだ。

 だけど、一つ釘を刺しておかないといけないことがある。

「一つだけお願いしてもらってもいいしから」
「何?」
「私の能力のことは、2人にはもう話した?」
「まだだけど」
「なら、そのまま話すことのないように。むやみに不安を与えることになりかねません」

 スターは少し考え始めたけれど、すぐに納得して顔を上げた。

「わかったわ。2人には、あなたの能力を秘密にしておく。それだけで良いのね」
「えぇ。それだけで構いません」
「……あれ、なんか香ばしくない?」
「あぁっ!?」

 すっかりスターの話に気を取られてしまい、オーブンの中からは少し焦げた香りが漂ってきていた。
 すぐに釜戸を開けて取り出したけれど、きつね色に焼き上がるはずのラング・ド・シャは、油揚げのような色になってしまった。
 捨てるのも勿体ないので、二人で苦笑を浮かべながら食べたのだけど、やっぱり少し焦げたお菓子の味は苦かった。


 
   ☆



 スターに仲間を呼んでも良いと許諾した日から二日後。
 私の前にはスターと並んで、2人の妖精の姿があった。
 赤い服を着たツインテールの妖精がサニーミルク。特徴的な髪型と、三日月のような羽を生やした妖精がルナチャイルド。
 サニーミルクは堂々とした態度で私の目をまっすぐに見据えてくる。
 対して、その陰に隠れるれようにしてルナチャイルドはこちらの様子を窺っている。

 一見対称的な2人だが、その心の内は初めて来る地底世界でドキドキしっぱなしなのは同じだ。
 その上、妖怪と直に対面しているみの状況に一抹の不安を感じているところまで一緒という。
 仲がよいのは、似たもの同士だからか。

「初めまして。私が地霊殿の主、古明地さとりです。あなた達のことはスターサファイアから聞いてます」
「は、初めましてっ。私はサニーミルク、です」
「……る、ルナチャイルドです」

 2人からは分かり易いほどの緊張が伝わってくる。それと私がまだ良い妖怪か、悪い妖怪か見極めているようだ。
 なるほど、こういう所はスターと似通っているのか。
 ちらりとスターの方を見ると、彼女は特に何も感じていないようだ。

「とりあえず玄関で立ち話もなんだし、客間にどうぞ」

 そう言って私が背を向けた瞬間だ。
 少しだけ緊張が解けたのか、サニーミルクの心の声が私の中に伝わってきた。
 ……どうやら、スターのことが気になっていただけではないらしい。
 ただ、今は少し様子を見ておくに留めておいた方が良いだろう。
 問答無用で追い返しては、スターに悪い。




 スターを介抱した部屋に3人を案内してすぐ、私はお茶の用意をすると言って席を立った。
 自分も手伝うと、スターは言ってくれたけど私はその申し出を断った。
 彼女には勿論言っていないけど、あの2人を勝手にはしておけない。
 ただ、そのことを私はスターに伝えていない。伝えた所で逆に怪しまれかもしれないからだ。
 見たところ、スターは他の2人の思惑を知らない。
 下手な発言で場を混乱させては、スターの厚意を無にすることになる。

「なに、相手はたかが妖精じゃない。心配することはないわ」

 いざとなればお燐やお空もいる。
 万に一つでも、この地霊殿が妖精に引けを取るなんて有りはしない。
 そうだ、何を不安がることがある。
 私はさとり。古明地さとり。トラウマを抉る地霊殿の支配者!

「どうしたの?」
「うひゃあっ」

 すっかり自分を奮起させることに集中していた私は、背後から近づく気配の声を感じることができなかった。
 こいし相手でもないのに、この失態。
 ……もしかしなくても、今日の私はどこか焦りのようなものを感じている。
 私はその焦りを落ち着かせるように、息を整えながらスターに尋ねた。

「部屋で待っていてと言ったはずですが」
「だって遅いんだもの」

 私に声を掛けたのは、部屋で待たせているはずのスターだった。
 思いの外時間を掛けすぎてしまっていたらしく、戻りが遅いことを気にしたスターは様子を見に来たというわけだ。
 ということは、今客間に居るのはサニーミルクとルナチャイルドの2人だけ。
 なんということだ。
 だけど、ここでスターに悟られてはいけない。
 私は努めて冷静に、何も心配などしていないと

「ごめんなさい。まだお茶の用意はできてないの」
「なら私も手伝うわ。2人の好みは分かってるし、手分けした方が早いでしょ」
「そうですね……」

 本当はお茶の用意などどうでも良いから、あの2人の様子を見に戻りたい。
 しかし、手ぶらで戻れば怪しまれるのは当然だ。
 あくまでもスターには悟られないよう、私は私がやるべき事を果たす。
 それにしても、サトリである私が悟られないように気をつけなくてはならないとは……笑い話にもなりはしない。




「お待たせ〜」

 お盆に4人分の茶器と菓子を乗せて、私とスターは客間へと戻ってきた。
 中に入ると、サニーミルクとルナチャイルドは特に何をしているわけでもなく、来たときと同じようにソファに腰掛けていた。
 特に何か仕掛けを施した様子はない。ただ私に向けられている感情はより強くなっている。
 私は何食わぬ顔を装いながら、2人の前に腰掛けた。スターはサニーの隣に座り、私は向かって左からスター、サニー、ルナと対面する形となる。

「さて、今更ですがよくいらっしゃました。地霊殿の主として歓迎します」
「お招きいただいてありがとうございます。えー、うちのスターがお世話になったようで」

 ふむ、「こういう状況は場数を踏んでいる。だから大丈夫だ」と。
 それにしても私の能力を知らないとはいえ、こうも敵意を向けてくるとは、
 スターといい、彼女達といい、妖精という生き物はここまで直情的な生き物なのか。

 2人は、明らかに私に対して良い思いを抱いていない。
 私の元へスターが通い詰めていることが気にくわないのだ。
 あの日、私がスターを助けるまでは、3人はいつも一緒に行動していた。
 それなのに、ここ最近のスターは自分達には内緒でどこかに出掛けてしまう。それも結構な頻度で。

 サニーとルナは、その原因が私にあると睨んでいるのだ。

 確かにスターは私に会いに来ているため、あながち穿った見方ではない。
 だけど、私の思うそれと2人の心配とでは些か誤解が生じているようだ。
 私が何かの術でスターを引き留めている、もしくはそれに準ずる何らかの手段でスターを魅了していると、2人はそう思っているのだ。

 私が良い妖怪かどうか、それを見定めようとしているのも、そういった疑いが警戒をさせている。
 仕方がない。こういう誤解は後々大きな騒動になりかねない。
 解けるうちに解いておくのが賢明な判断というものか。

「それで? わざわざ世間話をするために地底世界まで足を運んだわけでもないでしょう」
「そ、そうですね」
「どうしたの? 2人とも。せっかく快く招いてもらったのに」

 他の2人に比べて、スターは自然体だ。
 それもそのはず。スターは2人から何も聞いていない。
 サニーもルナも、地霊殿に興味を持っているだけだとそう信じ込んでいる。

「話があるなら聞きますよ?」

 2人はこうも真っ向から攻められるとは思っていなかったらしく、次の言葉を継ぐことができない。
 さて、主導権はこちらが握ったけれど、ここからはどう誤解を解いていこう。
 スターは自分の意思でここに通っている。
 私がスターに無理強いしているわけでも、何か特別な術や力を使っているわけでもない。
 伝えるべきはこの2点だけど……。

「それにしても、あなた達は本当仲が良いみたいですね」
「え? そりゃあずっと一緒にいるし、ね」
「う、うん」

 私はまず当たり障りのないところから攻めることにした。
 サニーとルナは私の言葉の意図が分からず、ひとまず話を合わせる相槌を打つ。
 うん、悪くない流れだ。

「スターの話を聞いていると、いつも賑やかで楽しそうな光景が浮かんできます」
「はぁ……?」
「うちも騒がしいペットは居ますが、私自身の暮らしは静かなものです。だから、少しうらやましいですね」

 微笑も添えて、努めて穏やかに話を進める。
 2人から向けられている疑惑の視線。
 あくまでも私はそれに気づいていないと思わせる。そうすれば、穏便に事を――――

「……だから、スターを拐かしたの?」
「え?」
「あんたが寂しいのは勝手だけど、だからってスターを取らないで!」

 サニーが突然立ち上がり、その勢いでテーブルの上のカップが倒れ、中身か溢れる。
 しかしさんなこともおかまいなしに、サニーはひたすらにこちらをにらみつけてくるだけだ。
 それまでの感情から一変して、突然の憤りを露わにするサニーに、私の困惑はますます増長していく。
 なんだ、何が引き金になった。
 それに今サニーはなんと言った? 「寂しい」? この私が?
 そんなこと私は思っていない。私が孤独なのは当然のことだし、それを寂しいなんて思ったこともない。
 いやね今はそんなことを考えるよりも、この逆上した妖精をどうにかする方が先決だ。
 いきなり激高し始めたサニーに、スターも何事かと慌てて宥めに掛かる。

「ちょ、ちょっと落ち着いて」
「そうです。あなた達は誤解している」
「誤解? 変な話で誤魔化そうとしてたんじゃないの?」
「ルナまでっ、一体どうしちゃったのよ!」

 サニーに続いてルナまでが私に対し、それまで抑え続けていた敵意を剥き出しにする。
 こんな展開になるなんて、私の思い描いていたシナリオ通りに事は運んでいるはずだったのに。
 だけど、2人が私に対してあらぬ誤解を抱いているという状況が変わった訳じゃない。
 その誤解さえ解ければ、万事解決、うまくこの場は収まるだろう。

「だから落ち着きなさいって。私はあなた達が思っているようなことをスターに対して抱いてはいないわ」
「さとりさん……?」
「私はスターを拐かしたわけでも、魅了したわけでもない」

 その言葉に、サニーとルナは少しだけ矛先を収めて私の言葉に耳を傾ける。
 なんだ、まどろっこしいことを考えずに、最初からど真ん中に話せば良かったのか。
 妖精とこんな風に対峙するなんてこと今まで無かったから、どうすれば良いのかわからなくてもしょうがない。

「第一私には友人など居ません。私は妖怪にも忌避される妖怪サトリ。私の能力を隠していたのも原因の一つですから、これ以上は咎めませんが」
「……わかった。みんな、帰ろ」
「えっ?」

 私は自分の耳を、第三の目を疑った。
 その言葉を告げたのはサニーでもルナでもない、今まで2人の言動に戸惑っていた間に入れずにいたスターだった。
 収拾が付かないからいったん帰るとか、そういうものだと思ったけど、そうじゃない。
 私に向けられていたのは強い痛憤、そしてそれ以上の痛哭。

「スター!」
「ほら、私は操られてもいないから」
「そう……みたいね。でも、良いの?」

 思わず名を叫んだ私に一瞥もくれず、スターはサニー達に帰宅を促す。
 サニーが尋ねても、スターは首を縦に振るだけで、言葉では何も答えない。
 肝心のスターが帰ろうと言うのだから、2人はそれに異を唱えるはずもなく、
 私は3人が客間から居なくなった後、ただ立ちつくすことしかできなかった。




 そんな私に背後から聞き慣れた声が掛かった。

「お姉ちゃん」
「こいし? いつから居たの」

 ハッとしつつ、私はすぐに平静を取り戻して自然な会話にしようと、そう尋ねた。
 だけどこいしの表情は硬く、いつもの掴み所のない飄々とした雰囲気は感じられない。

「最初からずっと居たけど?」
「いくら意識されないからって、そんな出歯亀行為、感心しないわね」
「何やってるのよ。あんなこと言って」

 責めるようなこいしの目と声に、私は疑問符を浮かべる。

「あんなこと?」
「お姉ちゃん、お姉ちゃんは人の心は読めても自分の心は読めないよね」
「それは……当たり前でしょう」

 鏡の自分を見ても、所詮そこに映っているのは光の反射による虚像。 
 そこに心がない以上、私の能力は発動しない。
 受信機である私の心は、送信機にきなりえない。しかしは、それはかつて同じ能力を持っていたこいしなら知っていることだ。
 今更言うべきことではない。

「ねぇ、本当にお姉ちゃんに友達は居ないの?」
「え? えぇ」
「スターは!? あの子は違うのっ?」
「あの子は……遊びに来ていただけでしょう。私と話すと隠し事をしなくて良いからって」

 私の言葉に、こいしは諦めたように溜息を吐く。
 そしてこう言った。

「本気で言ってるなら、お姉ちゃんはとんでもないバカだね。さとりの名が泣くよ?」
「なっ! 妹だからって言って良いことと悪いことがあるわよ」
「じゃあ、どうしてあの子が……スターが何も言わずに帰ったか分かる?」
「それは仲間を抑えるために、あぁするしかなかったからでしょう」
「お姉ちゃんさ、そんなに物分かりが悪い頭だったっけ」

 こいしの心を読むことはできない。
 だから、私にはこいしが言おうとしていること、その本心を知ることができない。
 しばらくは困ったように腕を組んでいたこいしだけど、ゆっくりと顔を上げるとまじまじと私の顔を見つめながら、口を開いた。

「お姉ちゃんは、その能力に頼りすぎているんじゃない?」
「頼るって……これは抑制ができないことくらい、あなたなら知っているでしょうっ」
「違う。声が聞こえても、それがたとえ本心だとしても、それがその人の全てじゃないでしょ。
 お姉ちゃんは心の声が聞こえるから、相手を理解することをやめていた。……無意識のうちにね」

 無意識――

 それは今のこいしが持つ能力だ。
 だから分かるというのか。私の“無意識”が。

「それだけじゃない。お姉ちゃんは他にも無意識にしていることがある」
「何のことよ」

 私がそう尋ねると、こいしは三本の指を立てた。

「じゃあ言うよ? 一つはさっきも言ったことだけど、お姉ちゃんは無意識のうちに相手を理解した気になっている。
 だから理解しようとしたことがないから、自分自身を理解することもできない。他の無意識もそれが原因」

 その内の一本、薬指が折られ、立てる指を二本にしながらこいしは言った。

「二つめ。お姉ちゃんは無意識のうちに嘘を吐いてる」
「嘘だなんて。そんなものを吐く必要なんて、肝心の相手がいないのに……」
「そうそれ。お姉ちゃんは、自分が嫌われて当然って思ってるけど、それはお姉ちゃんが自分で自分に吐いてる嘘。
 そう思っていれば傷つかなくて済むって思ってるから、自分が好かれることはないと嘘を吐く」

 そして中指を折り、こいしは最後に残った人差し指を私に向けて突きつけてきた。

「そして最後の一つ。これに気づけなかったのは、さっき言った二つの無意識のせい。お姉ちゃんは本当は――――」



   ☆



 ひんやりとした空気が首筋を撫でる。
 見上げる先には長い岩肌の風穴が延々と続いている。
 ここは地上と地底を繋ぐ岩窟の回廊だ。
 地上に出るにも、地上から戻ってくるにも、基本的にはこの道を通らなければならない。
 浮かぶ鬼火によってかろうじて視界は確保できているけれど、地上からの光がここまで届くことはない。
 私は、こいしの言葉を聞き終えた後、何故かここへ足を向けていた。

 ここに来てどうしようというのか。
 外に出る? 外に出て何をする?

「あら、こんな所で1人で居るとは珍しいわね」

 意識の焦点が合わず手持ち無沙汰にしていた私の元に、この道を守護する橋姫が話しかけてきた。
 橋姫――水橋パルスィ。嫉妬心を操る程度の能力を持ち、私と同じように地底世界に封じ込められた妖怪の1人だ。
 仕事はきちんとこなすが、その性格は嫉妬深くて何かにつけて突っかかってくる。
 私がスターを連れ帰ったあの時も、何かにつけてその緑色の両目を向けてきていた。
 心を読む限り、悪い妖怪ではないみたいだけど、性格に難有りといったところか。

「地霊殿の主ともあろう方が、一体何の用かしら」
「別に。あなたには関係のないことです」

 今は彼女と話している場合ではない。
 ……いや、そうは言うが、今の私は何をするべきか決めあぐねている。
 
「いけ好かない奴ね。なのに、どうして……」
「何か?」
「別に。あなたみたいな根暗で高慢な妖怪を、どうしてあの子は気に掛けるのかしら。あぁ、思い出しただけでも妬ましい」
「!? その話、もう少し詳しく聞かせてくれないかしら」

 私がそう懇願すると、パルスィは伝承通りの鬼の様な形相を浮かべて、怒りを露わにした。
 これは私にもわかる。彼女の性格とそれまでの言動を考えると、私は彼女の苛立ちに拍車を掛けてしまったのだ。
 だけど、それでも気になってしまう。
 だから私は一歩も引かない。

「そんなに私を嫉妬で狂わせたいの? 知りたければお前の能力で勝手に心を読むがいい。
 思い出すだけでも妬ましいのに、それを話せば私は怒りと嫉妬でどうにかなってしまう!」
「そうね、そうさせてもらうわ。それと、不躾な事を言ってごめんなさい」
「謝らないでもらえる? 同情なんてまっぴらだわ」

 私はそれ以上言葉を続けず、パルスィの心にある光景を凝視した。
 そこに映っていたのは、この道を通り地霊殿へと向かうスターの姿だった。
 その顔は何かとても楽しみなことを堪えきれないように、口元にはうっすらと弧を描いている。

(そこの妖精。勝手に通り抜けようとは、地上から来た割りには良い度胸ね。旧都に何の用かしら)

 この言葉は、記憶の中のパルスィのものだ。
 スターは言ってしまえば侵入者。旧都に仇なす存在であれば、橋姫たるパルスィは通すわけにはいかない。
 呼び止めたのは当たり前のことだ。

(ちょっとお友達に会いに……)
(友達? どんな奴かしら)
(地霊殿に住んでいる、古明地さとりって妖怪なんですけど)
(さとりぃ? あの根暗の……友達ですって!?)

 パルスィは素っ頓狂な声を上げて、私に友人が居たということに驚愕する。
 彼女でなくても、似たような反応を見せる者はこの旧都なら少なくないだろう。

(なんでまた……地上の妖精なんかがサトリの友人なんかに)
(あの人がとても寂しそうだったから)

 寂しがりや。
 その言葉に私の胸はずくんと疼く。
 スターは最初から気づいていたのだ。私は自分のことなのに気づくこともできなかった、いや気づこうともしなかったのに。

(もうっ、2人ともどうしたのよ!)

 シーンが切り替わり、そこにはスターとサニーとルナが揉めている様子が映る。
 これはついさっきここを通り過ぎる時にパルスィが見た記憶のようだ。
 突然怒り出したことを咎めるスターに、2人は互いの顔を見合わせながら答える。

(だって……スターがあの妖怪に惑わされているんじゃないかって)
(凄く心配していたんだから)

 たしかに、あの2人の根底にあったのは私への疑惑以上に、スターを心配する気持ちだった。

(それは……私も何も説明しなかったのは謝るけど。それでもあれは言い過ぎだし、あんな怒ることはないじゃない)
(そのことなんだけど……私達もよく分からないのよ)

 サニーとルナは、どうしてあの時自分達があんな風に怒り出したのかを、よく理解していないらしい。
 もちろん私に対する苛立ちはあったみたいだが、それがあそこまで爆発するとは読めなかった。

(それは私の影響ね)

 3人の会話の輪に、その光景を見ていたパルスィが入り込んだ。
 その瞬間、私はこの先の会話を聞かなくも、何が起きたのかを容易に理解することができた。

 サニーとルナには、スターを私に取られるのではないかという心配や不安と共に、私に対する嫉妬が芽生えていた。
 その種を持って地霊殿へとやって来る途中、彼女達はパルスィと会ったのだ。
 いや、会ってなかったとしても、彼女の側を通り、その影響を受けたとも考えられる。
 水橋パルスィ――彼女は嫉妬狂いであると同時に、他人の嫉妬心を煽る事が出来る。
 2人はその影響を受けて、自分達でも制御が効かないほどに嫉妬心を大きくしてしまっていたのだ。

 私に会うまでそれが爆発しなかったのは、私という嫉妬の対象があやふやだったから。
 あの会話の中で、明確な嫉妬の対象が定まったことで、それまで行き場が無く渦巻いていた嫉妬が怒りとなって一気に溢れだしたのだ。

(ごめんね、スター)
(私も……ごめん)

 パルスィの話を聞いても、サニーとルナは自分達がスターと私の仲を崩してしまったことに違いはないと頭を下げる。
 この記憶を見る限り、スターは2人を許して元の鞘に戻ったようだが、その顔が腫れることはない。
 だって本当にスターを傷つけたのは……私だから。

 そして、私はここに来る前に、こいしと交わした会話を思い出す。



   ☆



「お姉ちゃんは本当はずっと寂しさを感じてるのよ。それを、最初から誰も自分を好いてはくれないって理解した気になって、
 自分は嫌われて当然だって自分に嘘まで吐いて。そうして隠したいのは、自分が寂しいことを自覚するのを防ぐため。
 誰だって嫌なことからは逃げたいよね。お姉ちゃんもそう。私だってそう。だから私は“目を閉じる”ことで逃げたの。
 そんな私をお姉ちゃんは大事にしてくれた。でもね、私は知ってたよ。お姉ちゃんも無意識のうちに寂しさから逃げてるって」

 寂しいなんて……そんなことはない。



「だったら、どうして泣いているの?」



 こいしの瞳に映る私。
 その頬に伝う大粒の涙。
 妹に指摘されたとおり、私はいつの間にか涙を流して泣いていた。
 いったいいつから?

「あの子達が出て行ってすぐだよ。どうして泣いてるか、ここまで言ってあげたんだから、今更わからないとか言わないでよね」

 わかっていないわけじゃなかった。
 わかっていたけど、わかっていないように振る舞っていたのだ。
 ――そう、無意識に。

 いつか嫌われる日が来るかもしれない。
 だから寂しいって弱気は見せない。
 弱いところを見せてしまったら、きっと私は他人を受け入れてしまう。
 だけど、私を知れば知るほど他人は私を拒絶する。
 受け入れても拒絶されるなら、最初から受け入れない方が良い。
 だから私は弱さを見せない。他人を受け入れない。
 ずっとずっと、今までそうして生きてきた。

 でも、私はもう受け入れてしまっていたのだ。
 それをいつものように、受け入れないように振る舞い続けていた。
 本当は嬉しかったはずなのに。そんなことも気づかず、私はなんて愚かなんだろう。



   ☆



 それでこうして地底と地上を結ぶ道までやってきた。
 橋姫は私から興味を無くしたのか去っていき、ここには私以外に誰も居ない。
 微かな風の音だけが、今の私をなじるように吹き渡る。

「そんなわけないか……」

 私は乾いた笑いを浮かべ、自分の浅はかさに溜め息を吐く。
 私は心のどこかで、スターは私が追いかけるのを待ってくれているのではと思っていた。
 でも、私は彼女の気持ちを裏切った。
 そんな私を彼女がどうして待ってくれているだろう。
 パルスィが見たスターの顔は今にも泣きそうだったと、そう言っていたじゃないか。
 そんな期待をすること自体、おこがましいというもの……

「何を当然のことみたいに言ってくれてるのかしら」
「え……?」

 思わず振り返った私の視線の先には、ばつが悪そうに佇むスターの姿があった。
 隣には他の二人の姿はない。周囲に意識を向けても声が聞こえてこないし、ここには彼女しかいないようだ。

「どう……して……」
「隠しても無駄だから言うわ。こいしさんに頼まれたの。「お姉ちゃんは絶対追いかけてくるから待ってて」って」
「こいしが?」

 あの子、ずっとあの部屋に居たって言っていたのに。
 心を読まれないのを良いことに、こんなことして……。

「ねぇ、妹さんの厚意に涙ぐむのは良いけど、私にも何か一言あって良いんじゃないかしら?」

 そう言われて私はスターと真正面から向かい合う。
 背の低い彼女を見下ろす形で見つめ合っているのに、私の方が緊張しているようだ。
 言うべき事はわかっている。
 いくら、こいしから説得されたとしても、スターにその意思がなければここに残ったりはしないだろう。
 わざわざ友人2人を納得させて先に帰ってもらってまでして、1人こんな所に残って。

「あ、えっと……ごめんなさい」
「それだけ?」

 うん、そうだ。
 この子が欲しがっている言葉は、それじゃない。
 今の言葉は、私が言わなければいけなかった言葉だ。
 私にはスターの欲しい言葉が見えている。
 言おう、ちゃんと。それが私の能力の良いところなのだから。


 さぁ、怖がることなんてないんだから――――




「――――ありがとう。……また、遊びに来てくれる?」




 言った……言えた……言い切った。
 たったそれだけのことなのに、心の奥がバクバクと音を立てている。
 臆病だった私が振り絞った勇気。
 だけどその代償は、自分で思っていたよりも大きかった。
 それ以上の言葉は紡げないし、足が震えて立ってもいられず、私は膝を折ってその場にへたり込んでしまった。
 そんな私の元にスターが歩み寄ってくる。
 さっきまでとは違って、今度はスターが私を軽く見下ろす形だ。

「妖精相手にそんなこと言って……誰かに見られていたら威厳も何もなくなるんじゃない?」

 威厳とか、今はそんなことどうでも良い。
 私が本当に欲しいのは……

「まぁ、いっか」
「えっ?」

 突然塞がれた私の視界。
 鼻先の柔らかな感触がスターの洋服の生地であることに気がつくのに、私は少し時間を空けてしまった。
 小さな手が頭の後ろに回されて、要するに私はスターに抱きしめられている構図になる。
 妖精に抱きしめられてるこっちの方が、誰かに見つかったときに、私の体裁がという気もしなくもないんだけど。

「そうね……まぁ、いいか」

 そして、私は地底で輝く“友達”という星を抱きしめた。















 薄暗い地の底で、お互いの気持ちを確かめ合う2人。
 それを少し離れたところから、古明地こいしは見つめていた。

 第三の目を閉ざしたあの時から、自分も“寂しさ”なんて感じなかった。
 だけど、地上との繋がりが生まれ、自分の中にも変化が生じ、そして無意識ではない感情を感じたのだ。
 そして同時に、姉も自分と同じように閉ざしているものがあることを知った。
 自分のように全てを閉ざすのではなく、孤独、寂しさ、寂寥感、そういったものを姉は閉ざすことで強く振る舞っていた。
 無意識を操る能力を持つが故、それが自分のためであることも知り、こいしはずっとそのことを気に掛けていたのだ。
 だから、今回の件はこいしにとっても、寂しさを閉ざした姉が友達を作る良い機会だった。

 どうやらそれはうまくいった。
 こいしの口元には、ホッとしたような小さく笑みが広がっている。

「さて、私も地上に遊びに行こうかな〜っと」

 手の掛かる姉を持つと苦労するわ――そう言い残して、こいしは地上へ続く縦穴へと姿を消した。
 彼女も、彼女の友達と会うために。


《終幕》


☆後書☆

 よくよく考えると、地霊殿キャラで書いたのは初めてですね。
 でもさとりは書いてて楽しかった。一人称でも、相手の心が読める分書きやすいのもあるかも。

 さとりが心を許す相手……ペットの動物のように単純な存在ということで、妖精は良いんじゃないかなと。
 ただ、チルノのように単純すぎてもということで、三月精を出すことに。
 本来、その中ではサニーが一番頭も良いのですが、立ち回りの巧さという点ではスターの方が上……という解釈で
 今回は三月精の中で、雨虎イチ押しのスターに頑張ってもらいましたw
 可愛いよスター可愛いよ!

 因みに、さとりが料理上手だったりするのは、書いてるうちに出てきた完全な妄想の産物です。
 だって、料理がうまいのって良いじゃないですかw

 出番が無いに等しいお燐とお空ですが、彼女たちの話も書いていきたいです。

 

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